2026年現在も女子プロレス界でその名を知られるダンプ松本。1980年代、日本中のファンから憎まれるほど強烈な悪役レスラーとして人気を集め、長与千種との「敗者髪切りデスマッチ」や極悪同盟での活躍によって、女子プロレス史に大きな足跡を残した人物だ。本名は松本香(まつもと・かおる)。リング上では竹刀や一斗缶などを使う過激なファイトで恐れられた一方、後輩レスラーへの気遣いを伝える証言も残されている。
Netflixシリーズ『極悪女王』の配信をきっかけに、ダンプ松本の半生やヒール時代の真相に改めて関心が集まった。なぜ彼女は日本中から嫌われる悪役を演じ、人気絶頂期の1988年に引退を決断したのか。そして、アジャコングが語った知られざる人柄とは。公式プロフィールや当時の試合記録、本人・関係者の証言を手がかりに、2026年現在の活動まで詳しく整理する。
【この記事の重要ポイントまとめ】
- 本名・年齢:本名は松本香。1960年11月11日生まれで、2026年10月28日時点では65歳。
- 女子プロレスでの功績:1984年にダンプ松本へ改名し、極悪同盟とともにクラッシュ・ギャルズとの抗争で一時代を築いた。
- 引退と復帰:1988年に全日本女子プロレスを引退したが、2003年5月に復帰し、再びリングに立つようになった。
- 悪役の裏側:アジャコングは、若い頃に自分が反発していた時期もダンプが気遣ってくれたと振り返っている。
- 現在の活動:プロレスに加え、テレビ・イベントなどの芸能活動にも取り組み、Netflix作品を通じて新しい世代にも知られる存在となった。
【2026年最新】ダンプ松本の現在は?年齢・本名・プロフィールを総まとめ

ダンプ松本は、女子プロレスラーであり、タレント・女優としても活動する人物だ。2026年10月28日時点では65歳で、11月11日に66歳の誕生日を迎える。1980年代に築いた強烈なヒール像は、引退と復帰を経た現在も彼女の代名詞となっている。
所属先のえりオフィスが公開するプロフィール資料では、本名や出身地、身長、体重などが紹介されている。また、ビクターエンタテインメントのプロフィールには、1980年のデビュー、1984年のリングネーム変更、2003年の復帰というキャリアの節目がまとめられている。
| 項目 | プロフィール・詳細 |
|---|---|
| リングネーム | ダンプ松本 |
| 本名 | 松本香(まつもと・かおる) |
| 生年月日 | 1960年11月11日 |
| 年齢 | 65歳(2026年10月28日時点) |
| 出身地 | 埼玉県熊谷市 |
| 身長 | 164cm |
| 体重 | 100kg(公開プロフィール記載値) |
| 血液型 | B型(公開人物プロフィールに基づく情報) |
| プロレスデビュー | 1980年 |
| リングネーム変更 | 1984年 |
| 所属 | えりオフィス |
| 主な活動 | 女子プロレス、テレビ出演、イベント、タレント・女優活動 |
本名は松本香。「ダンプ松本」という名前の由来
ダンプ松本の本名は松本香。プロレスデビュー当初は本名で活動していたが、1984年にリングネームを変更した。ビクターエンタテインメントのプロフィールでも、この年がキャリアの転換点として紹介されている。
リングネームの由来については、スポーツ総合誌『Sportiva』などで、当時のプロレス関係者が証言している。本名で活動していた頃、観客から「ダンプみてぇだ!」と評されたことがきっかけになったという。極悪同盟のブル中野やクレーン・ユウにも重機を連想させる名前が付けられた背景には、こうした命名の流れがあった。
一見するとユーモラスな名前だが、結果的に「ダンプ松本」というリングネームは、威圧感のある外見や荒々しいファイトスタイルと結びつき、唯一無二のブランドになった。名前そのものが悪役としてのキャラクターを強く印象づけた点も、彼女の成功を考えるうえで見逃せない。
身長164cm・体重100kgという存在感
公開プロフィールに記載された身長は164cm、体重は100kg。リング上では体格を生かした攻撃や威圧的な立ち居振る舞いが特徴だった。凶器を手にして対戦相手を追い詰める姿は、正統派の人気レスラーを応援する観客に強烈な印象を与えた。
ただし、ダンプ松本の魅力は体格や外見だけではない。観客が反感を抱く言動、試合中の緊張感、対戦相手の魅力を引き出す役割まで含めて、リング上の存在感が形づくられていた。単純に「体が大きく、怖いレスラーだった」という説明だけでは、彼女が女子プロレス史に残した影響を十分に捉えられない。
【経歴・年表】ダンプ松本はなぜ最恐ヒールになったのか
ダンプ松本のキャリアを理解するには、1980年代の女子プロレス人気と、正統派レスラーと悪役レスラーの対立構造を押さえる必要がある。当時は試合だけでなく、テレビ出演や音楽活動を通じて女子プロレスラーが広く知られるようになった時代だった。
その中心にいたのが、長与千種とライオネス飛鳥によるクラッシュ・ギャルズだ。華やかな人気を誇る2人に対し、ダンプ松本と極悪同盟は観客の怒りを引き受ける存在として対峙した。両者の対立は、単なる勝敗以上のドラマを生み出していった。
1980年にデビュー、1984年に悪役として転身
ダンプ松本は1980年、全日本女子プロレスで本名の松本香としてデビューした。その後、1984年に現在のリングネームへ変更。極悪同盟の中心人物として、クラッシュ・ギャルズとの抗争を本格化させた。
この時代の女子プロレスは、競技としての試合に加えて、レスラーの個性や対立関係を観客に伝える興行としての側面も強かった。ダンプ松本は、ブーイングを浴びることを恐れず、観客の感情を揺さぶる役割を徹底した。人気レスラーが喝采を浴びる一方で、彼女は怒りや恐怖を生み出すことで興行全体の熱量を高めていた。
極悪同盟のメンバーと役割
極悪同盟は、1984年に始動した全日本女子プロレスのヒールユニットだ。ダンプ松本を中心に、クレーン・ユウ、ブル中野、コンドル斉藤、影かほるらが関わり、時期によって構成や役割が変化した。悪役レフェリーとして知られる阿部四郎も、当時の極悪同盟を語るうえで欠かせない存在である。
ブル中野は後に女子プロレス界を代表する選手へと成長し、ダンプとの師弟関係でも知られるようになった。後輩たちがそれぞれの個性を発揮できるよう、ダンプが中心となってチームをまとめていたことは、当時を振り返る関係者の証言にも表れている。
極悪同盟の悪役像は、単に乱暴な行動を重ねるだけでは成立しない。誰が観客の支持を集め、誰が反感を引き受けるのかという役割分担があって初めて、試合の対立構造が鮮明になる。ダンプ松本は、その構造の中心を担っていた。
【長与千種との伝説】敗者髪切りデスマッチは何がすごかったのか
ダンプ松本の名を語るうえで避けて通れないのが、クラッシュ・ギャルズの長与千種との「敗者髪切りデスマッチ」だ。敗れた選手が髪を切られるという過酷なルールは、勝敗だけでなく、選手のイメージや誇りまで懸かった試合として大きな注目を集めた。
1985年8月28日、長与千種が丸刈りに
最初の大一番は、1985年8月28日に大阪城ホールで行われた。ベースボール・マガジン社の『週刊プロレス』編集部による試合記録では、ダンプ松本が長与千種に勝利。長与は凶器攻撃を受けながらも粘りを見せたが、最後は敗れ、リング上で髪を切られることになった。
当時の長与は、ライオネス飛鳥と組むクラッシュ・ギャルズの一員として、女子中高生を中心に大きな支持を集めていた。1984年には全日本女子プロレスのテレビ中継がゴールデンタイムに戻り、クラッシュ・ギャルズは歌番組やドラマなどにも出演。リングの外でもスターとして認知されていた。
その人気選手が髪を切られるという展開は、観客に大きな衝撃を与えた。試合は単なる悪役の勝利ではなく、応援していたスターが屈辱を味わう物語として受け止められた。試合後にはテレビ中継への抗議も相次いだと報じられている。
1986年11月7日、今度はダンプ松本が敗北
翌年の1986年11月7日、大阪城ホールで再戦が行われた。今度はダンプ松本が長与千種に敗れ、自ら髪を切られる立場になった。試合記録によれば、ダンプはフォークや一斗缶を使った攻撃で長与を追い詰めたものの、最後は逆転を許した。
試合後、ダンプはリング上で髪を切られることを受け入れ、悪役としての強気な姿勢を崩さなかった。相手の屈辱を演出してきた選手が、自分自身も同じルールに従う。その展開は、前年の試合を知る観客にとって、単純な勝敗以上の意味を持っていた。
この2試合が長く語り継がれているのは、過激な攻撃があったからだけではない。クラッシュ・ギャルズのスター性、極悪同盟の悪役としての存在感、そして両者が試合に懸ける感情が重なり、観客に強烈な記憶を残したからだ。
【1988年の引退理由】人気絶頂期にリングを去った背景
ダンプ松本は1988年に全日本女子プロレスを引退した。悪役として大きな人気を集め、女子プロレスの興行を支えていた時期だけに、突然の引退表明は関係者やファンに驚きを与えた。
引退の背景については、テレビ朝日系の情報メディア「テレ朝POST」のインタビュー記事で、本人が当時の心境を振り返っている。ダンプによると、プロレスそのものには未練があったものの、松永会長以外の会社関係者への不満が積み重なり、我慢の限界に達していたという。前年の夏頃から辞めたい意向を伝えていたが、すぐには認められなかったとも語っている。
1988年1月に引退表明、2月に引退試合
ダンプ松本は1988年1月4日に引退を表明した。引退試合は同年2月25日、全日本女子プロレスの川崎大会で行われた。大森ゆかりとのタッグで、クラッシュ・ギャルズの長与千種、ライオネス飛鳥と対戦し、流血を伴う激しい試合の末に無効試合となった。
試合後、ダンプは長与に呼びかけ、リング上で思いを伝えた。長年にわたり敵対する役割を演じてきた相手と、最後の試合で向き合った場面は、当時の抗争を知るファンにとって象徴的な出来事となった。
なお、資料によっては引退日が1988年2月28日と記されることもあるが、引退試合の日付として『週刊プロレス』編集部が記録しているのは2月25日だ。引退表明と実際の最終試合を区別すると、経緯を理解しやすい。
引退は人気低迷が理由だったのか
ダンプ松本の引退について、人気がなくなったためにリングを去ったと考えるのは、本人の証言と一致しない。本人が語っているのは、プロレスへの未練を残しながらも、会社運営側への不満や職場環境に耐えられなくなったという事情だ。
1980年代の女子プロレス界は、選手の個性が大きな人気を生み出す一方、厳しい上下関係や過密な興行日程など、現在とは異なる環境にあった。ダンプ松本の引退は、スター選手であっても団体の運営方針や人間関係から自由ではなかったことを示している。
2003年5月にはプロレスラーとして復帰し、再びリングに立つようになった。引退はプロレス人生の完全な終幕ではなく、活動の形を変える節目だった。現役復帰後もリングに立ち続けていることは、彼女とプロレスとの関係が長く続いていることを物語っている。
【ヒール時代の真相】怖い悪役と知られざる素顔の違い
ダンプ松本は、竹刀や一斗缶、フォークなどを用いる過激なファイトスタイルで知られている。リング上での言動は徹底して強気で、観客からブーイングを浴びることも、悪役としての役割の一部だった。
しかし、リング上のキャラクターと、普段の人柄を同じものとして捉えることはできない。悪役レスラーに求められるのは、観客の感情を揺さぶり、対戦相手への声援を引き出すことだ。ダンプ松本は、その役割を引き受けることで、対戦相手のスター性を際立たせ、試合に緊張感を生み出していた。
アジャコングが明かした、ダンプ松本の気遣い
ダンプ松本の人柄を考えるうえで注目したいのが、後輩レスラーのアジャコングによる証言だ。アジャは2016年のインタビューで、若い頃はダンプ松本や極悪同盟を悪役として嫌い、グループ内でも露骨に反発する態度を取っていたと振り返っている。
それでもダンプは、アジャに対して歩み寄ろうとし、気遣いを見せていたという。アジャは、1988年にダンプが引退した後になって、当時の配慮に気づき、その偉大さを理解したと語っている。
この証言が興味深いのは、ダンプ松本を単に「実は優しい人だった」と美化する話にとどまらない点だ。アジャは、現役時代には反発していた自分自身の態度も認めたうえで、ダンプの行動を振り返っている。リング上の悪役像とは別に、後輩と向き合い、距離を縮めようとする一面があったことを示す証言である。
極悪同盟は単なる悪役集団ではなかった
極悪同盟の元メンバーや関係者の証言からは、リング上の過激なイメージとは異なるチーム内の関係も見えてくる。テレビ朝日系「テレ朝POST」のインタビューでは、ダンプが自分より立場の弱い時期に食事に苦労した経験を踏まえ、中心人物になってからは仲間を食事に連れて行くことを大切にしていたと語っている。
同じインタビューでは、理不尽ないじめやしごきを認めない姿勢についても紹介されている。もちろん、こうした証言だけで極悪同盟の内部事情をすべて説明できるわけではない。しかし、少なくともチームをまとめる立場として、後輩や仲間を気にかけていた一面がうかがえる。
ダンプ松本の悪役としての成功は、私生活でも常に人を威圧していたことを意味しない。むしろ、リング上で徹底して憎まれる役割を演じる一方、仲間との関係を維持し、後輩の成長を支えるという異なる側面を持っていた。その両面を知ることで、彼女のキャリアはより立体的に見えてくる。
【タレント・女優としての現在】『極悪女王』で再び注目
ダンプ松本の活動はプロレスだけにとどまらない。タレントや女優としてテレビ番組、イベントなどに出演し、リング上とは異なる一面を見せてきた。えりオフィスが公開するプロフィール資料には、2025年のテレビ出演やイベント情報も掲載されており、芸能活動を続けてきたことが確認できる。
Netflix『極悪女王』が描いたダンプ松本の半生
大きな転機となったのが、2024年9月19日に世界独占配信されたNetflixシリーズ『極悪女王』だ。Netflixの公式発表によると、主人公のダンプ松本役を演じたのはゆりやんレトリィバァ。長与千種役を唐田えりか、ライオネス飛鳥役を剛力彩芽が務めた。
同作は、松本香がプロレスラーを目指し、やがて日本中から恐れられるヒールへと変貌していく過程を描いた半自伝的なドラマだ。長与千種本人もプロレススーパーバイザーとして参加している。実在する人物と出来事を題材にしながら、ドラマとして人物の葛藤や人間関係を描いた作品となっている。
ダンプ松本本人もNetflix公式の作品紹介で、ゆりやんの迫力ある演技を評価し、作品を通じて夢を諦めないことの大切さを感じてほしいという趣旨のコメントを寄せている。実在の人物が自らの半生を題材にした作品に関わったことも、注目を集めた理由の一つだ。
2026年現在、プロレスラーとしての活動は続いている
ビクターエンタテインメントのプロフィールは、ダンプ松本が2003年の復帰後もリングに立ち続けていることを紹介している。また、えりオフィスの公開資料では、テレビ出演やイベントなどの芸能活動も確認できる。
2026年現在のダンプ松本を理解するうえで重要なのは、過去の映像やドラマの中だけに存在する人物ではないという点だ。1980年代の全盛期、1988年の引退、2003年の復帰を経て、プロレスラーとしてのキャリアと芸能活動を並行させてきた。年齢を重ねた現在も、その経歴自体が女子プロレス史を振り返る際の重要な手がかりとなっている。
一方、テレビ出演やイベントの予定は時期によって変わるため、個々の番組や試合については最新の告知を確認する必要がある。2026年の具体的な出演日程と、これまでに公表された活動実績は区別して把握したい。
【女子プロレス史から読み解く】ダンプ松本が今も語られる理由
ダンプ松本のキャリアは、女子プロレスにおけるヒールの役割を考えるうえで重要な事例だ。観客の支持を集めるスターだけでは、試合の対立構造は成立しにくい。観客の反感を一身に引き受ける選手がいることで、対戦相手への声援や試合の緊張感が高まる。ダンプ松本は、その仕組みを象徴する存在だった。
1985年と1986年の敗者髪切りデスマッチは、この役割が鮮明に表れた試合だ。長与千種が敗れて髪を切られた試合では、クラッシュ・ギャルズのスター性とダンプ松本の悪役像が正面からぶつかった。翌年の再戦では、今度はダンプ自身が髪を切られる側になった。両者の対立は、どちらか一方の人気だけで成立するものではなく、相手の存在があってこそ熱量を生み出す構造だった。
悪役の評判と、実際の人柄は分けて考える
ダンプ松本のように、観客の感情を強く動かす役割を担った人物は、リング上のイメージが私生活にも及びやすい。実際、当時の試合に関してテレビ中継への抗議が相次いだことは、観客が演出を非常に強く受け止めていたことを示している。
ただし、悪役として嫌われたことと、人間として周囲から嫌われていたことは同じではない。アジャコングの証言や極悪同盟に関する関係者の回想は、リング上の姿だけでは理解できない人間関係があったことを示している。
また、Netflix『極悪女王』は実在の人物と歴史的な出来事を題材にしたドラマであり、試合記録や本人の回想そのものではない。作品を楽しみながら歴史を理解するには、ドラマの描写と、当時の試合記録、本人・関係者の証言を照らし合わせる視点が役立つ。
【プロの結論】ダンプ松本の本当の功績は「嫌われる役」を成立させたこと
ダンプ松本の最大の功績は、過激なファイトで観客を驚かせたことだけではない。観客から嫌われる役割を徹底し、対戦相手の魅力を引き出し、女子プロレスの興行全体を盛り上げたことにある。長与千種との抗争は、その役割が最も強く表れた例だ。
加えて、引退理由に関する本人の証言や、アジャコングが振り返った気遣い、極悪同盟の仲間に対する姿勢を合わせて見ると、リング上の悪役像と人間関係の実像は必ずしも一致しないことが分かる。
ダンプ松本を深く知るための判断基準は、刺激的な映像やキャッチコピーだけで人物像を決めつけないことだ。試合記録で何が起きたかを確かめ、本人の発言で引退や復帰の背景を知り、関係者の証言でリング外の人柄を読み解く。その三つを組み合わせることで、単なる「怖い悪役」というイメージを超えた人物像が浮かび上がる。
【ダンプ松本】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:ダンプ松本の本名と年齢は?
A1:本名は松本香(まつもと・かおる)。1960年11月11日生まれで、2026年10月28日時点では65歳。2026年11月11日に66歳になる。
Q2:ダンプ松本はなぜ1988年に引退したの?
A2:本人は、プロレスへの未練がありながらも、当時の会社関係者への不満が積み重なり、我慢の限界に達したことを引退の背景として語っている。引退表明は1988年1月4日、引退試合は同年2月25日だった。
Q3:ダンプ松本は現在もプロレスをしている?
A3:2003年5月に復帰し、その後もリングに立ってきた。2026年現在もプロレスラーとしてのキャリアを持ち、タレント・女優としての活動も続けている。個別の試合日程は最新の公式告知で確認したい。
Q4:長与千種との敗者髪切りデスマッチは何年に行われた?
A4:1985年8月28日と1986年11月7日の2度。最初の試合では長与千種が敗れて髪を切られ、再戦ではダンプ松本が敗れて丸刈りになった。
Q5:ダンプ松本は本当に怖い人なの?
A5:リング上では観客の反感を引き受けるヒールを徹底していた。一方、アジャコングは、若い頃に自分が反発していた時期もダンプが気遣ってくれたと振り返っている。リング上のキャラクターだけで、実際の人柄を判断することはできない。
まとめ:ダンプ松本の現在と、女子プロレス史に残したもの
ダンプ松本は、本名・松本香として1980年にデビューし、1984年にリングネームを変更。極悪同盟の中心人物として長与千種らとの抗争を繰り広げ、1985年と1986年の敗者髪切りデスマッチで女子プロレス史に残る名場面を生み出した。1988年に引退したものの、2003年に復帰し、リングと芸能の両面で活動を続けてきた。
2024年のNetflix『極悪女王』は、彼女の半生を新しい世代に伝える契機となった。2026年現在、ダンプ松本を知るうえでは、作品が描くドラマだけでなく、当時の試合記録、引退をめぐる本人の証言、アジャコングら関係者の回想を併せて見ることが大切だ。
日本中から嫌われる役割を担いながら、後輩への気遣いも伝えられているダンプ松本。そのキャリアは、悪役が単なる敵役ではなく、対戦相手の魅力と興行の熱狂を生み出す重要な存在であることを教えてくれる。リング上の恐ろしさとリング外の人間性、その両面を知ることが、彼女の本当の功績を理解する近道になる。