横浜家系ラーメンの名店として知られた「六角家」は、なぜ閉店したのでしょうか。東急東横線の白楽駅周辺で親しまれた本店は2017年10月末に閉店し、運営会社の有限会社六角家も2020年に横浜地方裁判所から破産手続き開始決定を受けました。しかし、六角家の味や屋号がすべて失われたわけではありません。
2026年10月現在、横浜市戸塚区の「六角家 戸塚店」は戸塚駅西口のトツカーナモールへ移転して営業を続けており、新横浜ラーメン博物館では「六角家1994+」がレギュラー出店しています。創業者・神藤隆氏の歩み、本店閉店の理由、2020年の破産と2024年の復活プロジェクトを整理し、現在どこで六角家のラーメンを食べられるのか解説します。
【この記事の重要ポイントまとめ】
- 本店の閉店:2017年10月末。店主の体調不良と来店客数の減少、経営上の問題が重なった。
- 2020年の破産:9月4日に有限会社六角家が破産手続き開始決定を受けたが、別経営の戸塚店まで閉店したわけではない。
- 2026年の営業状況:戸塚駅直結の六角家と、新横浜ラーメン博物館の「六角家1994+」で、現在もその系譜のラーメンを味わえる。
【結論】六角家本店はいつ閉店した?現在もラーメンを食べられるのか

六角家の本店が閉店したのは、2017年10月末です。横浜市神奈川区の六角橋で1988年に創業した本店は、横浜家系ラーメンを代表する老舗の一つでした。新横浜ラーメン博物館への出店や全国各地への店舗展開を通じ、店名を広く知られる存在になりました。
ただし、「六角家が閉店した」という情報には、三つの異なる出来事が含まれています。本店の営業終了、運営法人の破産、そして現在まで続く別経営店舗の営業です。この三つを区別することが、閉店の経緯を理解するうえで欠かせません。
- 六角家本店:2017年10月末に閉店。
- 有限会社六角家:2020年9月4日に破産手続き開始決定。
- 六角家 戸塚店:別経営で営業を継続。2025年7月に戸塚駅近くへ移転。
- 六角家1994+:2024年4月8日、新横浜ラーメン博物館にレギュラー出店として復活。
2026年の営業状況を確認するうえで重要なのは、閉店した本店と、現在営業している店舗を混同しないことです。本店そのものが復活したわけではありませんが、戸塚店と六角家1994+という二つの選択肢があります。
【閉店理由】六角家はなぜ経営難に陥ったのか
六角家本店の閉店について、2020年9月の帝国データバンクの企業情報を伝えた報道や、地域経済を取材するタウンニュースは、ラーメン業界の競争激化による来店客数の減少と、代表者の体調不良を主な背景として伝えています。
一方、経営上の問題は本店の閉店直前に突然発生したものではありません。フードリンクニュースが2020年9月に伝えた企業情報によると、2015年1月には消費税などの滞納を背景に、代表者の自宅不動産に財務省による抵当権設定が行われていました。
こうした報道からは、六角家の閉店が単一の原因で起きたものではなく、集客面と財務面の問題に、経営の中心人物の健康問題が重なった経緯が読み取れます。
来店客数の減少とラーメン業界の競争激化
六角家は、1980年代から1990年代にかけて家系ラーメンの知名度を押し上げた老舗です。しかし、長年の知名度があっても、店舗経営を継続できるとは限りません。
帝国データバンクの情報を基にした報道では、近年のラーメン業界で競争が激しくなり、本店の来店客数が減少していたと説明されています。新しい店舗や新たな味の潮流が次々に登場するなか、老舗も継続的に顧客を確保する必要があります。
六角家は全国展開やカップ麺の商品化でも知られましたが、ブランドの知名度と、個々の実店舗の採算は別の問題です。店名が広く知られていることだけでは、店舗の維持に必要な売り上げを保証できません。
創業者・神藤隆氏の体調不良
神藤隆氏は六角家の味を支えた中心人物です。報道によると、2017年春ごろに体調を崩し、本店は休業状態となった後、同年10月末に閉店しました。
長年にわたって店を切り盛りしてきた人物が十分に営業を続けられなくなれば、店舗運営や味づくりにも影響が及びます。ただし、公開された情報から、体調不良だけが閉店を決定づけたと断定することはできません。集客や財務の問題とあわせて見る必要があります。
2020年の破産はコロナ禍による本店閉店だったのか
ここは誤解されやすい点です。六角家本店が閉店したのは2017年であり、新型コロナウイルスの流行が始まる前です。2020年の破産手続き開始決定は、本店閉店から約3年後に起きた別の出来事です。
したがって、コロナ禍によって2017年に本店が閉店した、という理解は時系列に合いません。2020年9月4日、有限会社六角家は横浜地方裁判所から破産手続き開始決定を受けました。報道当時、負債額は調査中とされており、確定した負債額を断定することもできません。
【閉店の経緯】1988年の創業から2026年までを年表で整理
六角家の歴史を追うと、創業から全国展開、経営の悪化、本店閉店、法人破産、そして味を受け継ぐプロジェクトへと、大きな転換点が続いています。新横浜ラーメン博物館の公式発表と、2020年の企業情報に関する報道を基に整理しました。
| 時期 | 出来事 | 意味・背景 |
|---|---|---|
| 1988年 | 六角橋に六角家本店を創業 | 神藤隆氏が吉村家、本牧家での修業を経て独立 |
| 1994年3月 | 新横浜ラーメン博物館に出店 | 同館のオープンメンバーとして全国的な知名度を獲得 |
| 2003年5月31日 | ラーメン博物館を卒業 | その後も店舗展開を進め、最盛期には全国に約10店舗を展開 |
| 2015年1月 | 税金などの滞納に関する問題が報じられる | 財務面で厳しい状況に置かれていたことを示す出来事 |
| 2017年春ごろ | 神藤隆氏の体調不良、本店の休業 | 本店の営業継続が難しくなる |
| 2017年10月末 | 六角家本店が閉店 | 白楽・六角橋の本店での営業が終了 |
| 2020年9月4日 | 有限会社六角家に破産手続き開始決定 | 本店閉店とは別に、運営法人の法的手続きが進む |
| 2022年10月5日 | 神藤隆氏が逝去 | 創業者本人による店舗再建はかなわなくなる |
| 2024年4月8日 | 六角家1994+がレギュラー出店 | 弟子の袴田祐司氏らが創業者の目指した味を受け継ぐ |
| 2025年7月14日 | 戸塚店がトツカーナモールへ移転 | 戸塚駅西口直結の立地で営業を継続 |
| 2026年10月 | 戸塚店と六角家1994+の営業情報を確認 | 本店閉店後も六角家の系譜をたどれる状態が続く |
年表で押さえておきたいのは、2017年の本店閉店と2020年の法人破産が同じ出来事ではないことです。また、2024年の復活は、旧本店を再開したものではなく、創業者の意思を尊重しながら別の店舗と職人が味を受け継ぐ取り組みでした。
【創業者・神藤隆氏】吉村家と本牧家での修業から六角家の誕生へ
六角家を理解するには、創業者の神藤隆氏がどのように家系ラーメンの世界に入ったのかを知る必要があります。新横浜ラーメン博物館の公式紹介によると、神藤氏は高校卒業後に会社員として約5年間働き、その後、洋食のコックとして約10年間経験を積みました。
自分の店を持つことを考えた際、神藤氏が選んだのは洋食店ではなく、以前から好きだったラーメン店でした。家系ラーメンのルーツとされる吉村家に弟子入りし、吉村家の2号店である本牧家で店長を務めています。吉村家と本牧家で合計7年間修業した後、1988年に六角橋で独立しました。
店名の「六角家」は、出店した六角橋の地名に由来します。当時、六角橋商店街が横浜のにぎやかな商業地域だったことも、出店場所を決める背景にありました。
新横浜ラーメン博物館への出店が転機に
1994年、六角家は新横浜ラーメン博物館のオープンメンバーとして出店しました。同館は全国のラーメン文化を紹介する施設であり、横浜の家系ラーメンを広く知ってもらう機会にもなりました。
2003年5月31日に同館を卒業した後、六角家は店舗数を増やし、最盛期には全国で約10店舗を展開したと公式資料は説明しています。羽田、海老名、船橋、御徒町などの店舗も報じられており、六角家の名は横浜の一店舗にとどまらないものになりました。
また、六角家の名を冠したカップ麺がコンビニエンスストアで販売されたことも、ブランドの知名度を支えました。実店舗、ラーメン博物館、商品化という複数の経路で、六角家は家系ラーメンを代表する名前の一つになったのです。
2022年、創業者が逝去
神藤隆氏は2022年10月5日に逝去しました。新横浜ラーメン博物館は公式発表の中で、神藤氏が生前に復活プロジェクトについて相談を受けていたことや、弟子が引き継ぐ形ならばという意向を示していたことを紹介しています。
創業者自身が再び本店の厨房に立つ形での復活は実現しませんでした。しかし、神藤氏の指導を受けた職人や、別経営で営業を続ける戸塚店の関係者が協力したことで、六角家の味を次の世代につなぐ道が開かれました。
【六角家は復活した?】戸塚店と新横浜ラーメン博物館の現在
2026年10月現在、六角家の味を求める人が確認したい店舗は、主に横浜市戸塚区の「六角家 戸塚店」と、新横浜ラーメン博物館の「六角家1994+」です。両店にはつながりがありますが、営業形態や味を受け継ぐ方法は同一ではありません。
1.六角家 戸塚店:2025年に戸塚駅近くへ移転
六角家戸塚店は、本店を運営していた有限会社六角家とは別経営の店舗です。そのため、本店を経営していた法人が破産手続きに入っても、戸塚店まで一律に閉店するわけではありませんでした。
2025年7月14日には、戸塚区下倉田町で営業していた店舗が、戸塚駅西口直結のトツカーナモールGARDEN1階へ移転して再オープンしました。2026年8月の訪問を基にした地域情報記事でも営業が確認され、10月更新の記事で店舗情報が紹介されています。
- 店舗名:ラーメン 六角家 戸塚店
- 所在地:神奈川県横浜市戸塚区戸塚町16-1 トツカーナモールGARDEN1階
- アクセス:JR・横浜市営地下鉄の戸塚駅西口直結
- 営業時間の掲載例:11:00~21:00
- ラーメンの掲載価格:900円(2026年8月訪問記事の情報)
営業時間や価格、休業日は変更される可能性があります。訪問する際は、店舗の公式SNSや商業施設の最新案内を確認してください。かつての下倉田町の住所を頼りに向かうと、移転後の店舗にたどり着けない点にも注意が必要です。
2.六角家1994+:2024年に新横浜ラーメン博物館で復活
もう一つの選択肢が、新横浜ラーメン博物館の「六角家1994+」です。2024年4月8日からレギュラー出店しており、2026年8月にも同館から新メニューに関する告知が出ています。期間限定の復刻イベントだけで終わった店舗ではありません。
この復活プロジェクトは、ラーメン博物館が2021年に始動させた「あの銘店をもう一度」の企画から発展しました。館長の岩岡洋志氏が神藤隆氏に再出店を相談したところ、神藤氏は自身が店を再開するのではなく、弟子が担う形であればという意向を示したと、同館の公式発表は説明しています。
そこで中心的な役割を担ったのが、浜松の「蔵前家」を営む袴田祐司氏です。袴田氏は1996年3月20日に六角家へ弟子入りし、本店とラーメン博物館の店舗で経験を積みました。神藤氏が信頼を寄せた弟子の一人であり、独立後も浜松で店を続けてきた人物です。
プロジェクトには、別経営の戸塚店を営む神藤誠氏(神藤隆氏の弟)と、神藤氏の姪にあたる露木あゆみ氏も協力しました。創業者の技術を知る弟子、屋号を受け継いできた親族、ラーメン博物館が連携したことが、復活を実現させた大きな要素です。
六角家1994+のラーメンはどんな味?
新横浜ラーメン博物館の公式店舗紹介によると、六角家1994+では、当時と大きく変わらない食材を使いつつ、特注の大釜を採用し、骨のバランスや炊き方を進化させています。目指しているのは、神藤氏が理想とした甘みのある豚骨醤油スープです。
袴田氏は、スープづくりでは骨のバランス、炊き方、タイミングが重要だと説明しています。直径1.3メートル以上の大釜を使うことで対流を改善し、焦げ付きや豚骨特有の強い臭いを抑えながら、理想の味に近づける狙いがあるといいます。
麺は家系らしい中太ストレート麺で、公式案内ではレギュラーが160グラム。チャーシュー、海苔、ほうれん草、ネギといった定番の具材に加え、六角家名物の「キャベチャー」も用意されています。
2026年時点で公式店舗ページに掲載されている価格の例は、ラーメン950円、ミニラーメン750円です。メニューや価格は変更されることがあるため、来店時には最新の案内を確認するのが確実です。
なお、六角家1994+は、閉店した本店を同じ運営法人で再開した店舗ではありません。創業者の意向を踏まえ、弟子と関係者が協力しながら味を受け継ぐプロジェクトです。「復活」という言葉の意味を正しく理解することが、現在の六角家を知るうえで大切です。
【六角家の評判】吉村家・本牧家との比較で見える魅力
六角家は、吉村家、本牧家とともに「家系ラーメン御三家」と呼ばれてきました。この呼称は、家系ラーメンの歴史を語る際に用いられる代表的な三店という意味合いを持ちます。公的な順位づけではなく、どの店が最も優れているかを決める称号ではありません。
吉村家・本牧家・六角家の違い
三店の関係を理解するうえでは、まず修業と独立の系譜を見ることが重要です。吉村家は家系ラーメンの源流として知られ、本牧家は吉村家の2号店として開業しました。六角家は本牧家の店長を務めた神藤隆氏が独立して開いた店です。
- 吉村家:家系ラーメンの源流に位置する店。吉村家での修業を通じて、多くの職人が独立していった。
- 本牧家:吉村家の2号店として開業。神藤隆氏が店長を務め、六角家創業前の修業と実務経験を積んだ場所。
- 六角家:神藤隆氏が1988年に独立して創業。新横浜ラーメン博物館への出店や全国展開で、家系ラーメンの知名度向上に貢献した。
味については、店ごとの仕込みや時代による変化を無視して単純に比較することはできません。一般的な家系の解説では、六角家や本牧家は、1970~1990年代の味の流れを引き継ぐ「クラシック家系」として紹介されることがあります。一方、同じ系譜の店でも、スープの炊き方や醤油だれ、鶏油の使い方によって印象は変わります。
六角家のラーメンの評判は?
六角家1994+の口コミでは、豚骨醤油のバランスや、マイルドで懐かしい味わいを評価する声が見られます。その一方、かつての本店で食べたラーメンを知る人の中には、往年の味と比べてパンチや香りが異なると感じる人もいます。
こうした評価の違いは、単純に「味が変わったから評価が低い」「昔の味が完全に再現されたから高評価」と整理できるものではありません。食べ手の記憶、好み、比較対象となる現在の家系ラーメンによって、印象は変わるためです。
また、戸塚店と六角家1994+は、同じ六角家の系譜を持ちながら、営業環境や調理を担う人が異なります。両店を訪れる場合も、完全に同一の一杯を期待するより、共通する歴史とそれぞれの現在の味を楽しむ視点が向いています。
【プロの結論】六角家閉店のニュースから読み解くべき3つのポイント
六角家の歴史から分かるのは、老舗ラーメン店の閉店を、単に「人気がなくなったから」と説明することの難しさです。実際の経緯には、来店客数の減少、競争環境の変化、財務面の問題、経営者の健康という複数の要因がありました。
加えて、2020年の破産手続き開始決定は、本店閉店から時間がたってからの出来事です。法人の経営が終わっても、別法人・別経営の店舗まで同時に消えるわけではありません。戸塚店が営業を続け、ラーメン博物館で復活プロジェクトが実現したことは、屋号や技術が企業の枠組みを越えて受け継がれる場合があることを示しています。
現在の六角家を食べに行くなら、目的によって店を選ぶとよいでしょう。
- 横浜で営業を続ける六角家を訪れたい人:戸塚駅西口の六角家 戸塚店が候補。駅直結の立地でアクセスしやすい。
- 創業当時の歴史や復活の背景も知りたい人:新横浜ラーメン博物館の六角家1994+が候補。公式紹介で創業者や弟子の歩みもたどれる。
- かつての本店と完全に同じ味を期待する人:本店そのものは営業しておらず、現在の店舗が提供するラーメンは当時の本店と完全に同一とは限らない点に留意したい。
「六角家は閉店した」という情報だけで現在の状況を判断するのではなく、どの店舗が、どの運営主体によって、どのような形で営業を続けているのかを見ること。それが、閉店の経緯と復活の意味を正確に理解するための判断基準です。
【六角家閉店】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:六角家本店はいつ閉店しましたか?
A1:六角家本店は2017年10月末に閉店しました。代表者の体調不良に加え、ラーメン業界の競争激化による来店客数の減少などが背景として報じられています。
Q2:六角家は2020年に破産して完全になくなったのですか?
A2:2020年9月4日に破産手続き開始決定を受けたのは、本店を経営していた有限会社六角家です。別経営の戸塚店は営業を続け、2024年には新横浜ラーメン博物館に六角家1994+がレギュラー出店しました。
Q3:2026年現在、六角家のラーメンはどこで食べられますか?
A3:横浜市戸塚区のトツカーナモールGARDEN1階にある六角家 戸塚店と、新横浜ラーメン博物館の六角家1994+が主な選択肢です。営業時間や価格は変わる場合があるため、訪問前に最新の店舗案内を確認してください。
まとめ:六角家の本店は閉店しても、その系譜は2026年まで続いている
六角家本店は2017年10月末に閉店し、運営法人の有限会社六角家も2020年に破産手続き開始決定を受けました。背景には、競争激化による客足の減少、財務面の問題、創業者・神藤隆氏の体調不良がありました。
一方、別経営の戸塚店は2025年7月にトツカーナモールへ移転し、新横浜ラーメン博物館では2024年4月から六角家1994+が営業しています。創業者の技術と意向を受け継ぐ袴田祐司氏や戸塚店の関係者によって、六角家の歴史は新たな形でつながれています。
本店の復活と、味や技術の継承は同じではありません。六角家の閉店を調べる際は、2017年の本店閉店、2020年の法人破産、2024年以降の復活プロジェクトを区別することが大切です。2026年現在も、横浜家系ラーメンの歴史を語るうえで欠かせない六角家の系譜を、戸塚と新横浜でたどることができます。