1968年12月10日、東京都府中市で発生した三億円事件。白バイ警察官を装った人物が現金輸送車を奪い、2億9430万7500円を持ち去ったこの事件は、1975年に公訴時効を迎え、犯人が特定されないまま未解決事件となった。
事件の犯人をめぐって、現在も注目されているのが「警察官の息子だった19歳の少年S」の存在だ。父親は現職の白バイ隊員で、事件発生からわずか5日後に青酸カリを飲んで死亡したと伝えられている。加えて、捜査に加わった名刑事・平塚八兵衛は、少年Sを犯人ではないと判断した。一方、作家の松本清張は警察の単独犯説に異論を唱えていた。
【この記事の重要ポイントまとめ】
- 少年Sの正体:現職の白バイ隊員を父に持つ19歳の少年で、事件直後に容疑者として浮上したと報じられている。
- 自殺と捜査判断:事件から5日後の死亡が伝えられている一方、平塚八兵衛は単独犯説を前提にSをシロと判断した。
- 2026年現在の結論:S犯人説には複数の状況証拠が指摘されているが、犯行を証明する決定的な証拠はなく、真犯人は確定していない。
【事件の全体像】三億円事件はなぜ起きた?府中市での犯行と驚きの手口

三億円事件の舞台となったのは、東京都府中市の府中刑務所北側にある道路だ。犯行は白昼に行われ、警察官を装った人物が銀行員の警戒心を巧みに利用した。
1968年12月10日、わずか3分で現金輸送車を奪取
1968年12月10日午前9時20分ごろ、日本信託銀行国分寺支店から東芝府中工場へ向かっていた現金輸送車が、偽の白バイに停止を命じられた。
車両に乗っていたのは銀行関係者4人。白バイ警察官に扮した男は、現金輸送車に爆弾が仕掛けられている可能性があると説明した。
男が車体の下に発煙筒を仕掛け、煙が上がったことで、銀行員たちは爆発を恐れて車両から離れた。その隙に男は現金輸送車に乗り込み、そのまま走り去った。
奪われたのは、東芝府中工場の従業員4525人分の冬季ボーナスだった。現金は3個のジュラルミンケースに収められ、その総額は2億9430万7500円に上った。
TBS NEWS DIGの事件解説でも、犯行時間は約3分と紹介されている。警察官への信頼を逆手に取った手口は、当時の社会に大きな衝撃を与えた。
大量の遺留品が残されていたのに犯人を特定できなかった
現場には偽の白バイや発煙筒など、多数の遺留品が残されていた。逃走に使われた車両なども捜査対象となり、警察は事件の早期解決を目指して大規模な捜査を展開した。
ところが、遺留品の多くは市販品や盗難品であり、所有者を追跡しても犯人に直結する証拠が得られなかった。
警視庁が投入した捜査員は延べ17万1346人。捜査対象者は11万7950人に達したと、2025年の文春オンラインの記事は伝えている。
これほどの規模で捜査が行われても、犯人の逮捕には至らなかった。
【核心検証】三億円事件の犯人は警察官の息子Sだったのか?
三億円事件の犯人をめぐる数ある説の中でも、特に関心を集めているのが、白バイ隊員の息子だった少年Sの犯人説だ。
この説が注目される理由は、単に父親が警察官だったからではない。事件との時間的な近さ、過去の類似事件、少年の死亡、そして犯行に関係すると指摘された複数の状況証拠が重なっているためだ。
事件から5日後に浮上した19歳の少年
2026年3月24日付の文春オンラインが宝島社の書籍『日本の未解決事件100 犯罪から読み解く「昭和」「平成」「令和」史」』から紹介した内容によると、少年Sは事件発生から5日後に容疑者として浮上した。
Sは当時19歳。父親は現職の白バイ隊員だった。少年自身は地元の不良グループに所属し、鑑別所から逃走して指名手配されていたとされる。
加えて、同じグループは1968年3月に発煙筒を使った強盗事件を起こしていた。三億円事件との手口の類似性が、捜査関係者の関心を集めたと伝えられている。
ここで注目すべきなのは、少年が単に警察官の息子だったという属性だけで捜査線上に浮かんだわけではないことだ。過去の犯罪グループとの関係や、発煙筒という具体的な手口の共通点があった。
白バイ隊員の息子Sに伝わる青酸カリ自殺の経緯
少年Sをめぐる話で最も衝撃的なのが、事件直後の死亡だ。
文春オンラインの2026年の記事によると、立川署の刑事が国分寺市にあるSの自宅を訪問した際、母親は息子が不在だと説明した。刑事が引き揚げた後、Sはその夜、自宅に隠されていた青酸カリを飲み、自ら命を絶ったとされる。
死亡したのは1968年12月15日深夜。三億円事件が発生した12月10日から、わずか5日後だった。
また、2021年7月のテレビ東京プラスでは、長年事件を追ってきたジャーナリストの近藤昭二氏が、少年の死について取材内容を紹介している。
ただし、ここで区別したいのは、少年が事件直後に死亡したという話と、少年が三億円事件の犯人だったという話は別の問題だという点だ。
死亡した事実だけでは犯行への関与は証明できない。捜査の対象になった人物が事件後に自殺したという時間的な近さは、疑惑を強める材料にはなっても、犯罪事実を裏付ける直接証拠にはならない。
S犯人説を支えるとされた2つの状況証拠
テレビ東京プラスの記事では、近藤昭二氏が長年の取材で得た情報として、少年Sと事件を結びつける状況証拠を紹介している。
1つ目は、偽白バイに取り付けられていたトランジスタメガホンだ。白いペンキを剥がしたところ、下から新聞紙の切れ端が見つかり、事件の4日前に産経新聞に掲載された「食品情報」という見出しの一部だったという。
同記事によると、その新聞の配布地域には少年Sの居住地域が含まれていた。
2つ目は、現金が入っていたジュラルミンケースに付着していた土だ。近藤氏の取材では、その土と少年宅周辺の土に成分上の類似性があったとされる。
しかし、これらはいずれも少年Sが犯行に使用した物品を所有していたことや、現場にいたことを直接証明するものではない。
新聞の配布地域が重なることは、新聞を入手できる人物が広範囲に存在したことを意味する。また、土の成分が似ていても、特定の人物の犯行を証明するには、採取場所や比較方法、鑑定の精度などを含めた検証が必要になる。
近藤氏自身の取材に基づく説として注目される一方、これらを確定した犯罪証拠と同列に扱うことはできない。
【関係整理】平塚八兵衛はなぜ少年Sをシロと判断したのか?
少年Sの犯人説を考えるうえで避けて通れないのが、名刑事として知られた平塚八兵衛の判断だ。
事件発生から約4か月後、1969年4月に三億円事件の捜査へ加わった平塚は、事件を単独犯による犯行と考えた。捜査方針をめぐっては、当初の複数犯説との間に意見の違いがあったと伝えられている。
平塚八兵衛の単独犯説とSの関係
平塚は、事件の発生前から犯行当日の行動、逃走経路、残された遺留品などを洗い直す捜査を進めた。
その結果、少年Sについては犯人ではないと判断したと、2026年3月の文春オンラインの記事は紹介している。
重要なのは、この判断が「少年Sに一切の疑いがなかった」という意味ではないことだ。平塚が想定した単独犯という犯行構造の中では、Sの関与を認めることが難しかったという側面がある。
松本清張が1975年に発表した『小説 3億円事件』をめぐる後年の解説では、脅迫状の筆跡、切手に付着していた唾液の血液型、Sの別件での身柄拘束などが、少年の犯人性を否定する材料として取り上げられている。
一方、複数犯説を採用すれば、脅迫状の作成者と現金輸送車を奪った実行犯が別人だった可能性を考える余地が生まれる。
関係者・容疑者説・報道内容の比較
事件に関係する人物や説を整理すると、確認できる事実と推理の境界が見えてくる。
| 人物・対象 | 事件との関係 | 確認・報道されている内容 | 犯人特定への意味 |
|---|---|---|---|
| 少年S | 事件直後の容疑者候補 | 19歳、白バイ隊員の息子。事件5日後に死亡したと報じられる | 疑惑は存在するが犯行の確定証拠はない |
| Sの父親 | 警察関係者 | 現職の白バイ隊員だったと報じられている | 親子関係だけでは犯行への関与を証明できない |
| 平塚八兵衛 | 特別捜査本部に参加した刑事 | 単独犯説を主張し、Sをシロと判断したと伝えられる | 捜査方針を理解するうえで重要 |
| 松本清張 | 事件を題材にした作家 | 『小説 3億円事件』で複数犯説を展開 | 警察の単独犯説に対する別の推理 |
| 近藤昭二 | 長年事件を取材したジャーナリスト | 新聞片や土の成分など、Sに関する状況証拠を紹介 | S犯人説を支持する取材上の見解 |
| 警視庁特別捜査本部 | 事件の捜査機関 | 延べ17万1346人を動員した大規模捜査 | 犯人の特定には至らなかった |
この関係を理解するうえで大切なのは、平塚の捜査判断と、後年のジャーナリストによる推理を混同しないことだ。
平塚は警察の捜査に携わった刑事であり、松本清張は公開された情報や取材を基に独自の犯人像を構築した作家だ。近藤昭二氏は長期取材を通じてSに関する情報を紹介している。それぞれの立場と証拠の性質は異なる。
【真犯人説を比較】少年S説・松本清張説・警察関係者説の違い
三億円事件には、少年S以外にもさまざまな犯人説が存在する。事件の複雑さを考えると、単一の仮説だけで全てを説明するのは難しい。
松本清張が唱えた複数犯説
松本清張は、事件の公訴時効が成立する1975年に合わせて、短編『小説 3億円事件』を『週刊朝日』に発表した。
作品は架空の保険会社に提出された調査報告書という形式を採用している。公開された事件情報を材料にしながら、警察の単独犯説とは異なる犯人像を提示した作品だ。
清張が複数犯説を支持した理由は、大きく4つに整理できる。
- 犯行前の移動:単独犯説では、犯人が逃走用車両などを配置するため、雨の中を合計約21分歩いて移動したと推定されるが、その姿を目撃した証言が乏しい。
- 偽白バイの移動:現場近くの空き地で偽白バイが目撃された時刻と、別の目撃者による状況説明に食い違いがあり、複数人なら説明できる可能性がある。
- 盗品の多さ:犯行に使用された車両やバイク、70点以上の遺留品の多くが盗品だったことから、準備を一人で行うのは難しかったのではないかという疑問。
- 脅迫状との関係:脅迫状の筆跡や血液型とSの情報に不一致があり、脅迫状の作成者と実行犯が別人なら説明できる可能性がある。
これらは松本清張が複数犯説を構築した際の主な論拠だ。
ただし、複数人でなければ成立しないと証明されたわけではない。犯行の準備や移動に関する推定が正しいかどうかも含め、仮説として検討する必要がある。
警察関係者犯行説や過激派説も浮上
2026年に刊行された事件関連書籍を紹介した文春オンラインの記事では、Sの所属していた不良グループ以外にも、銀行員関与説、過激派説、米軍関与説、警察関係者犯行説などが取り上げられている。
警察関係者犯行説が生まれた背景には、偽の白バイや警察官の制服、現金輸送車を停止させる際の巧妙な話術がある。
警察の内部事情を知っている人物なら、交通警察官を装うことも、現金輸送車の運行に関する情報を利用することも可能だったのではないか、という推理だ。
しかし、警察関係者が犯人だったと裏付ける決定的証拠は示されていない。父親が白バイ隊員だったというSの家庭環境も、それだけで事件への関与を示すものではない。
【プロの結論】犯人説を評価する3つの判断基準
複数の犯人説を比較する際は、次の3点が重要になる。
1. 物証との一致
遺留品や現場の状況と、特定人物の行動や所有物がどの程度一致するのか。単なる地域的な共通点ではなく、個人を特定できる証拠が必要だ。
2. 時系列と行動の整合性
犯行前後の移動、アリバイ、関係者との接触、車両の配置などが矛盾なく説明できるかを検証する。
3. 別の仮説でも説明できるか
ある状況証拠がS犯人説を支持していても、別の人物や複数犯説でも説明できるなら、その証拠だけで犯人を断定することはできない。
三億円事件では、この3つの条件をすべて満たす犯人像が確立されていない。だからこそ、S説も複数犯説も現在まで議論の対象になっている。
【モンタージュ写真と大規模捜査】警視庁17万人の捜査でも解決できなかった理由
三億円事件を象徴するものとして、犯人のモンタージュ写真がある。ヘルメットをかぶった若い男性の顔写真は、当時の日本社会に強い印象を残した。
1968年12月21日に公開されたモンタージュ写真
事件発生から11日後の1968年12月21日、警察は犯人のモンタージュ写真を公開した。
しかし、この写真は後年になって信頼性に疑問が生じた。1974年12月には正式に破棄されたと、文春オンラインの記事は伝えている。
加えて、テレビ東京プラスの記事では、ジャーナリストの近藤昭二氏が、写真の元になったとされる人物は事件の約1年半前に死亡していた男性だったと説明している。
この写真の由来については、銀行員の証言と容疑者情報、写真の流用をめぐる経緯などが複雑に絡んでいる。少なくとも、公開されたモンタージュ写真をそのまま真犯人の顔と考えることはできない。
モンタージュ写真への過度な依存は、捜査対象者を絞り込むうえで問題になった可能性もある。実際、顔が似ているかどうかだけで容疑者を判断することには限界があった。
延べ17万人の捜査員と11万人以上の捜査対象者
警視庁の捜査規模は、当時としても極めて大きかった。
2025年の文春オンラインの記事が紹介した数字は、次のとおりだ。
- 捜査員:延べ17万1346人
- 捜査対象者:11万7950人
- 捜査費用:約9億7200万円
- 捜査員の移動距離:約76万8150キロ
それでも犯人を特定できなかった理由として考えられるのは、遺留品の多くが一般に流通する製品だったこと、初動捜査で得られた情報の扱い、単独犯か複数犯かをめぐる捜査方針の違いなどだ。
2026年NHK「未解決事件 File.10 三億円事件」で新たな証言
2026年1月10日には、NHKの番組「未解決事件 File.10 三億円事件」が放送された。
MANTANWEBの番組紹介記事によると、番組取材班は捜査資料を入手し、180人以上の関係者に取材。事件現場の一部始終を目撃していた当時の女子高校生も、初めて取材に応じた。
注目されたのは、事件現場から約20キロ離れた場所で、犯行に使われたとみられる偽白バイについての重要な目撃情報が複数存在していたという点だ。
この証言が十分に捜査へ生かされていなかったことや、初動捜査の問題が番組で取り上げられた。
これは少年S犯人説を直接証明する新証拠ではない。しかし、事件の全体像を再検証するうえで、初動捜査の精度や情報共有がいかに重要だったかを示す内容だ。
【時効と2026年の現状】三億円事件はなぜ今も未解決なのか
三億円事件は、犯人が逮捕されないまま1975年12月10日に公訴時効を迎えた。
警察庁の公式白書にも、事件発生から7年後の1975年12月に時効が成立したことが記録されている。
三億円事件の重要年表
- 1968年12月10日:東京都府中市で現金輸送車強奪事件が発生。
- 1968年12月15日:少年Sが青酸カリを飲んで死亡したと後年の報道で紹介される。
- 1968年12月21日:犯人のモンタージュ写真が公開される。
- 1969年4月:平塚八兵衛が特別捜査本部に加わる。
- 1974年12月:モンタージュ写真が正式に破棄されたと報じられる。
- 1975年12月10日:事件の公訴時効が成立。
- 2026年1月10日:NHKが「未解決事件 File.10 三億円事件」を放送。
- 2026年3月24日:文春オンラインが少年Sの容疑者説と事件の経緯を改めて紹介。
公訴時効成立によって何が変わったのか
公訴時効とは、一定期間が経過することで、検察が事件について起訴できなくなる制度だ。
三億円事件では、当時の法律に基づき7年間の期間が経過したため、1975年に公訴時効が成立した。
したがって、現在もさまざまな資料や証言が再検討されているものの、当時の事件について通常の刑事裁判で犯人を裁くことはできない。
また、時効成立は犯人が判明したことを意味しない。少年Sが犯人だったと警察が公式に認定したわけでも、別の人物が真犯人として確定したわけでもない。
2026年現在も残る3つの疑問
第一に、少年Sは事件にどこまで関与していたのかという問題だ。状況証拠として紹介された新聞片や土の成分、過去のグループの犯行との類似性は興味深いが、犯行を直接証明する証拠とは異なる。
第二に、犯人は単独犯だったのか、それとも複数犯だったのかという問題だ。平塚八兵衛の単独犯説と松本清張の複数犯説には、それぞれ異なる論拠がある。
第三に、現金2億9430万7500円はどこへ消えたのかという問題だ。事件後に現金入りのジュラルミンケースが発見されたものの、奪われた現金そのものの行方は明らかになっていない。
2026年の新たな調査報道によって事件の背景や捜査上の問題は掘り起こされている。しかし、これらの疑問に対する最終的な答えは出ていない。
【三億円事件の犯人と警察官の息子S】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:三億円事件の犯人は警察官の息子だったのですか?
A1:犯人が警察官の息子だったと確定した事実はありません。事件直後に容疑者として浮上した19歳の少年Sの父親が、現職の白バイ隊員だったと報じられています。ただし、Sが犯人だったことを証明する決定的証拠は確認されていません。
Q2:少年Sはなぜ青酸カリを飲んで自殺したのですか?
A2:後年の報道では、事件から5日後の1968年12月15日深夜、青酸カリを飲んで死亡したとされています。警察の訪問と死亡までの経緯も紹介されていますが、自殺の具体的な動機や事件との直接的な関係が確定しているわけではありません。
Q3:平塚八兵衛は少年Sを犯人ではないと判断したのですか?
A3:はい。後年の事件解説では、平塚八兵衛は単独犯説を前提に捜査し、少年Sをシロと判断したと伝えられています。脅迫状の筆跡や血液型などの不一致も、Sの犯人性を否定する論拠として紹介されています。
Q4:松本清張は三億円事件の真犯人を特定していたのですか?
A4:特定していません。1975年の『小説 3億円事件』では、単独犯説に疑問を呈し、複数犯による犯行という独自の推理を展開しました。これは文学作品としての調査・推理であり、警察が確定した犯人情報ではありません。
Q5:三億円事件の公訴時効はいつ成立しましたか?
A5:1975年12月10日です。事件発生から7年後に公訴時効が成立し、犯人が特定されないまま未解決事件となりました。
Q6:2026年に三億円事件の新事実は明らかになりましたか?
A6:2026年1月のNHK「未解決事件 File.10 三億円事件」では、新たな目撃証言や捜査資料、初動捜査の問題などが紹介されました。ただし、少年Sを真犯人と確定する新証拠や、事件の最終的な解決につながる発表は確認されていません。
まとめ:三億円事件の真犯人は誰なのか、2026年も残る謎
三億円事件の犯人は警察官の息子だったのか。この疑問の中心にいるのが、現職白バイ隊員の息子だった19歳の少年Sだ。
事件から5日後の青酸カリによる死亡、過去の不良グループとの関係、新聞片や土の成分に関する状況証拠など、S犯人説には複数の興味深い論点がある。
一方、平塚八兵衛は単独犯説を採用してSをシロと判断したとされ、松本清張は複数犯説によって警察の捜査方針に疑問を投げかけた。
そして2026年のNHKの調査報道によって、半世紀以上前の初動捜査に見落とされた情報があったことも改めて注目された。
現時点で、少年Sを三億円事件の真犯人と断定することはできない。同時に、Sに関する疑問や複数犯説を含め、事件には解明されていない論点が残っている。
三億円事件が今も語り継がれる理由は、単に巨額の現金が奪われたからではない。警察への信頼を巧みに利用した犯行と、膨大な捜査にもかかわらず真相に届かなかった捜査の歴史そのものにある。
2026年以降も新たな資料や証言が公開される可能性はある。少年S犯人説を含むさまざまな仮説を比較するときは、確定した事実、関係者の証言、取材者の推理を区別することが、事件の真相に近づくための重要な判断基準となる。
主な参考資料
- 警察庁『警察白書』三億円強奪事件の記録。
- TBS NEWS DIG「未解決・三億円事件」の事件解説。
- 文春オンライン、2025年12月・松本清張の複数犯説に関する記事。
- 文春オンライン、2026年3月・少年Sの容疑者説に関する記事。
- テレビ東京プラス、2021年7月・ジャーナリスト近藤昭二氏の取材内容。
- MANTANWEB、2026年1月・NHK「未解決事件 File.10 三億円事件」の番組紹介。