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昭和のいる・こいるの現在は?2021年・2025年の訃報と名漫才の軌跡を徹底解説

早瀬 結衣 早瀬 結衣 • 更新: • 公開: • 読了約 16 分
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「ヘーヘーホーホー」「よかった、よかった」「そんなもんだ、しょうがねぇ」。独特の相づちと、肩の力が抜けた掛け合いで人気を集めた漫才コンビ、昭和のいる・こいる。1966年に結成された二人は、寄席を中心に活動しながら、テレビのお笑い番組でも幅広い世代に親しまれてきました。

2026年現在、昭和こいるさんは2021年12月30日に前立腺がんのため77歳で、昭和のいるさんは2025年5月24日に肺炎のため88歳で亡くなっています。二人がそろって舞台に立つことはもうありませんが、NHK漫才コンクールでの受賞や独自の芸風、最後の寄席出演に至る歩みは、東京の漫才史を振り返るうえで欠かせないものです。落語協会の公式プロフィールや訃報報道をもとに、経歴、代表ネタ、人気の理由、晩年の活動を整理します。

【この記事の重要ポイントまとめ】
  • 二人の訃報:昭和こいるさんは2021年12月30日、昭和のいるさんは2025年5月24日に死去。公表された死因は、それぞれ前立腺がんと肺炎です。
  • 主な受賞歴:1966年に結成し、1976年のNHK漫才コンクールで優勝。1977年の国立演芸場花形演芸賞銀賞、2000年の浅草芸能大賞奨励賞も受賞しました。
  • 代表的な芸風:のいるさんが話題を振り、こいるさんが「ヘーヘーホーホー」と受け流す独特の掛け合いが持ち味。コンビとして最後に寄席へ出演したのは2013年7月23日です。

【昭和のいる・こいるの現在】二人はいつ亡くなった?死因と訃報の詳細

昭和のいるこいる

昭和のいる・こいるの現在を調べる際、まず押さえておきたいのは、二人の訃報が別々の時期に公表されていることです。先に亡くなったのはボケ役の昭和こいるさんで、2021年12月30日、77歳で死去しました。その約3年半後、ツッコミ役の昭和のいるさんも2025年5月24日に88歳で亡くなっています。

昭和こいるさんの死因は前立腺がんです。2021年12月31日、漫才協会の発表を受けてオリコンニュースなどが訃報を報じました。デイリースポーツによると、こいるさんは約3年前から闘病し、入退院を繰り返していたと遺族が説明しています。亡くなる直前まで舞台の仕事を続けていたことも伝えられました。

一方、昭和のいるさんの死因は肺炎です。落語協会は2025年5月26日、のいるさんが同月24日午後7時45分に亡くなったことを公表しました。享年88。オリコンニュースや日刊スポーツも、落語協会への取材などを通じて訃報を報じています。

二人の名前を一緒に検索すると、亡くなった年や死因が混同されることがあります。しかし、こいるさんは2021年に前立腺がんで、のいるさんは2025年に肺炎で亡くなったというのが、それぞれの報道と公式発表に基づく正確な整理です。

【検証資料 1】当時のメディア報道・掲載写真(出典:sponichi.co.jp)

【経歴・受賞歴を年表で整理】結成1966年から漫才界の名コンビへ

落語協会の公式プロフィールによると、昭和のいる・こいるの結成日は1966年4月1日です。二人はそれぞれ歌声喫茶を経て漫才の世界に入り、獅子てんや・瀬戸わんやに入門。同年4月、浅草松竹演芸場で初舞台を踏みました。当初は「花園のいる・こいる」として活動し、後に「昭和のいる・こいる」と改めています。

長年の活動を支えたのは、テレビでの知名度だけではありません。寄席で磨いた掛け合いを武器に、漫才コンクールでの優勝や演芸賞の受賞を重ね、1984年には漫才協団九代目真打に昇進しました。主な経歴と実績を

時期 出来事・実績 補足
1966年4月 コンビ結成・初舞台 「花園のいる・こいる」として活動を開始。浅草松竹演芸場で初舞台。
1976年 NHK漫才コンクール優勝 コンビの代表的な受賞実績。最優秀賞としても紹介されています。
1977年 国立演芸場花形演芸賞銀賞 演芸界での評価を示す受賞歴の一つ。
1984年 漫才協団九代目真打に昇進 寄席で培った実力を背景に、真打としての地位を確立。
1985年 レコードを発売 キングレコードから「一気酒」「のろけ節」を発売。
2000年 浅草芸能大賞奨励賞 長年の活動を彩る主な受賞歴の一つ。
2013年7月23日 コンビとして最後の寄席出演 浅草演芸ホール。落語協会が訃報時に公表。
2021年12月30日 昭和こいるさん死去 前立腺がんのため77歳で死去。
2025年5月24日 昭和のいるさん死去 肺炎のため88歳で死去。

この年表から見えてくるのは、1960年代のデビューから長い時間をかけて芸を確立し、寄席の世界で確かな実績を積み重ねた歩みです。落語協会の公式プロフィールやオリコンニュースの訃報記事でも、NHK漫才コンクール優勝、国立演芸場花形演芸賞銀賞、浅草芸能大賞奨励賞が主な実績として紹介されています。

また、2001年には高田文夫さん作詞、玉置浩二さん作曲による「そんなもんだよしょうがない」などのCDも発売されました。漫才の舞台にとどまらず、音楽作品にも活動の幅を広げていたことが分かります。

【代表ネタを解説】「ヘーヘーホーホー」はなぜ笑いを生んだのか

昭和のいる・こいるを象徴するのが、「ヘーヘーホーホー」「よかったよかった」「そんなもんだ、しょうがねぇ」といった独特の相づちです。オリコンニュースやスポーツ紙の訃報記事でも、こいるさんがのいるさんの話題を受け流す漫才スタイルが、コンビの大きな特徴として取り上げられています。

一般的な漫才では、ボケ役が予想外の発言をし、ツッコミ役が間違いを指摘したり、強い言葉で反応したりして笑いを生みます。ところが、のいる・こいるの掛け合いは、その定石を少しずつ外していきます。のいるさんが話を振っても、こいるさんは必ずしも正面から答えません。話を理解したのか、聞いているのか、納得しているのか分からないような相づちを重ねていきます。

この芸風の面白さは、相づちそのものだけにあるわけではありません。話を進めたいのいるさんと、話の核心をつかまないこいるさん。その温度差が積み重なることで、観客は次の反応を予測しながら笑うことになります。

「ヘーヘーホーホー」は、言葉の意味よりも、声の調子、繰り返しのリズム、返答までの間が重要なフレーズです。「よかったよかった」も、何がどうよかったのかを必ずしも明確にしないことで、独特のとぼけた味わいを生み出します。

「そんなもんだ、しょうがねぇ」という言葉にも、物事を深刻に受け止めすぎず、最後は受け流してしまうような雰囲気があります。こうしたフレーズは、単独で文字にすると素朴に見えても、二人の声とテンポが組み合わさることで漫才としての魅力を発揮しました。

なお、これらはコンビの芸風を象徴する代表的なフレーズです。特定の一つのネタだけを指すというより、さまざまな話題のなかで繰り返される相づちと掛け合いが、二人の漫才を形作っていました。

【検証資料 2】活動歴および当時の関連ビジュアル記録(出典:i.ytimg.com)

【人気の理由】脱力系の漫才とテレビでの再ブレーク

昭和のいる・こいるの人気を考えるうえで重要なのは、寄席で磨いた芸風と、テレビという媒体との相性です。二人の漫才は、大声や激しい動き、複雑な設定に頼らなくても成立します。話を振る側と、話を受け流す側の関係が分かれば、観客はすぐに笑いの仕組みを理解できます。

また、こいるさんの返答は一見すると適当ですが、相手の言葉を完全に無視するわけでも、素直に受け入れるわけでもありません。会話が成立しているようで成立していない。その絶妙な距離感が、繰り返し見ても味わいが残る理由の一つです。

テレビでの再評価については、高田文夫さんが重要な役割を果たしました。2025年5月のオリコンニュースは、高田さんが過去にブログで紹介したエピソードを報道しています。それによると、高田さんはディレクターの佐藤義和さんと寄席を訪れた際、のいる・こいるの漫才が受けていることに着目。若手芸人が出演するコーナーに二人を起用したところ、たちまち人気につながったといいます。

このエピソードが示しているのは、芸人の年齢や流行のスタイルだけでは、テレビでの面白さは決まらないということです。当時すでにベテランだった二人の芸は、若手芸人が並ぶ番組のなかでも独自の存在感を放ちました。

派手な演出がなくても、声と間、そして二人の関係性だけで笑いを成立させる。そのシンプルさは、漫才の基本を熟知した芸人だからこそ実現できるものでした。のいる・こいるの人気は、単なる懐かしさだけでは説明できません。会話のずれを笑いに変える技術が、時代を越えて伝わる強さを持っていたのです。

【最後の寄席出演と死去の経緯】2013年から2025年まで

二人の晩年を振り返る際には、「コンビとして最後に寄席へ出演した日」と「こいるさん個人の最後の仕事」を分けて考える必要があります。

落語協会が公表した記録によると、昭和のいる・こいるとして最後に寄席へ出演したのは、2013年7月23日の浅草演芸ホールでした。2025年5月のオリコンニュースや日刊スポーツの訃報記事でも、この日付が確認されています。

のいるさんについては、スポニチなどが、約11年前に脳出血で倒れて以降、入退院を繰り返し、舞台に立つことがなくなったと報じています。長年にわたって寄席で活躍した芸人にとって、舞台から離れることは大きな転機だったはずです。ただし、コンビとしての最後の寄席出演は2013年であり、2025年の訃報時に初めて活動を終えたわけではありません。

こいるさんは、相方が舞台から離れた後も、漫談を中心に仕事を続けていました。デイリースポーツの2021年12月31日付報道によると、こいるさんの最後の仕事は、同年11月28日に東京・有楽町よみうりホールで行われた「来年三月真打決定 鈴々舎八ゑ馬の会ファイナル」でした。このときはコンビでの漫才ではなく、こいるさん個人による漫談として報じられています。

同紙は、こいるさんが闘病を続けながら舞台に立っていたことや、相方ののいるさんと最後に会ったのが2021年8月だったことも、遺族の説明として伝えています。その後、こいるさんは12月30日に前立腺がんのため亡くなりました。

そして2025年5月24日、のいるさんも肺炎のため死去。落語協会が26日に訃報を公表したことで、長年にわたって親しまれたコンビの二人は、ともにこの世を去ったことが広く伝えられました。

【検証資料 3】公の場での発言・インタビュー報道記録(出典:tbsradio.g.kuroco-img.app)

【2026年に残るもの】映像・音源で振り返る昭和のいる・こいるの魅力

2026年現在、昭和のいる・こいるは新たなコンビ活動を行うことのできない存在となりました。しかし、二人が残した芸を知る手段はあります。過去のテレビ出演、漫才映像、音源、演芸に関する記録などを通して、当時の掛け合いを振り返ることができます。

映像資料の一例が、ポニーキャニオンが紹介している2005年発売のDVDです。商品情報では、漫才6本に加え、高田文夫さん、松村邦洋さんとのインタビュー対談が収録内容として案内されています。こうした記録は、二人の芸風を知るだけでなく、演者や関係者がどのようにその魅力を捉えていたのかを知る手がかりにもなります。

過去の映像を探すときは、コンビ名だけでなく、「ヘーヘーホーホー」「浅草演芸ホール」「NHK漫才コンクール」といった言葉も手がかりになります。また、資料によっては「花園のいる・こいる」という初期のコンビ名で紹介されている場合もあるため、名称の違いを知っておくと記録を探しやすくなります。

評価する際の要点は、決めぜりふだけを切り取るのではなく、二人の会話の流れを通して見ることです。こいるさんの相づちだけでなく、それを引き出すのいるさんの話の振り方、返答を待つ間、次の言葉につなぐテンポまで注目すると、漫才の構造がよりはっきり見えてきます。

また、2026年の時点で新たな出演情報を探す場合は、過去の再放送やアーカイブの公開情報と、現在の舞台出演情報を区別することも大切です。過去の映像が紹介されていることと、本人が現在活動していることは同じではありません。二人の功績を正確にたどるには、落語協会のプロフィールや訃報、過去の作品情報を組み合わせて見るのが確実です。

【昭和のいる・こいる】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:昭和のいる・こいるは現在どうしていますか?
A1:昭和こいるさんは2021年12月30日に77歳で、昭和のいるさんは2025年5月24日に88歳で亡くなっています。2026年現在、コンビとしての活動はありません。

Q2:昭和こいるさんの死因は何ですか?
A2:前立腺がんです。漫才協会が2021年12月31日に訃報を発表し、オリコンニュースなどが報じました。

Q3:昭和のいるさんの死因は何ですか?
A3:肺炎です。2025年5月24日に亡くなり、所属する落語協会が同月26日に訃報を公表しました。

Q4:昭和のいる・こいるの代表ネタは何ですか?
A4:「ヘーヘーホーホー」「よかったよかった」「そんなもんだ、しょうがねぇ」などの独特な相づちが代表的です。のいるさんが話を振り、こいるさんがとぼけた返答を重ねる掛け合いで人気を集めました。

Q5:NHK漫才コンクールではいつ優勝しましたか?
A5:1976年です。その翌年の1977年には国立演芸場花形演芸賞銀賞を受賞し、2000年には浅草芸能大賞奨励賞を受賞しています。

Q6:昭和のいる・こいるの最後の寄席出演はいつですか?
A6:2013年7月23日の浅草演芸ホールです。なお、こいるさん個人の最後の仕事は、報道によると2021年11月28日のイベントで披露した漫談でした。コンビとしての最後の寄席出演とは別の出来事です。

まとめ:二人が残した漫才の価値と、記録を振り返るポイント

昭和のいる・こいるは、1966年の結成から長年にわたり、東京の寄席とテレビのお笑い番組で活躍してきた漫才コンビです。1976年のNHK漫才コンクール優勝をはじめとする受賞歴は、その実力を示す記録として残っています。

昭和こいるさんは2021年に前立腺がんで、昭和のいるさんは2025年に肺炎で亡くなりました。二人の最後の寄席出演は2013年7月23日。こうした節目を整理すると、コンビとしての歩みと、それぞれの晩年の活動を混同せずに理解できます。

【プロの結論】昭和のいる・こいるの魅力は、分かりやすい決めぜりふだけではありません。相手の言葉を受け止めているようで受け止めきらないこいるさんと、その反応を引き出すのいるさんの絶妙な間合いに、長年の舞台経験で磨かれた技術がありました。

漫才を振り返るときは、受賞歴や訃報の日付だけでなく、実際の掛け合い、舞台のテンポ、二人の役割分担にも目を向けたいところです。映像や音源、落語協会の公式記録、当時の報道を手がかりにすれば、昭和のいる・こいるがなぜ長く愛されたのか、その理由をより深く味わうことができます。

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コンテンツディレクター 早瀬 結衣
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