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摩虎羅の意味・読み方を解説!摩多羅神との違い、仏教での役割と研究史を徹底解剖

黒瀬 亮 黒瀬 亮 • 更新: • 公開: • 読了約 20 分
目次

「摩虎羅」は何と読むのか。仏教ではどのような存在なのか。そして、よく似た名前の「摩多羅神」とは同じ神なのか。2026年現在、この言葉を調べるうえで押さえておきたいのは、漢字の似た二つの名称が、仏教の異なる文脈で使われているという事実だ。

摩虎羅(まこら)は、薬師如来に仕える十二神将の一尊として知られる。一方、摩多羅神(またらじん)は、天台宗の常行堂や玄旨帰命壇と深く関係し、阿弥陀仏や念仏の守護神、さらには後戸の神、翁、宿神などとの関連でも研究されてきた。両者を区別したうえで、摩多羅神の由来や信仰の変遷をたどると、中世日本の仏教と芸能、神仏習合の複雑なつながりが見えてくる。

【この記事の重要ポイントまとめ】
  • 要点1:摩虎羅は「まこら」と読み、薬師如来の眷属である十二神将の一尊を指す。
  • 要点2:摩多羅神は「またらじん」と読み、天台宗の常行堂や玄旨帰命壇、念仏信仰と結びついた別の神格である。
  • 要点3:後戸の神・翁・宿神・秦河勝との関係は、史料や図像、芸能史の研究を通じて再検討されており、すべてを同一の存在とみなすことはできない。

【まず押さえたい】摩虎羅の意味と読み方は?仏教における正体

摩虎羅

摩虎羅の読み方は「まこら」。仏教美術や仏教辞典では、一般に「摩虎羅大将(まこらたいしょう)」という名称で扱われる。薬師如来を守護する十二神将の一尊であり、仏教の護法神を理解するうえで重要な存在だ。

十二神将は、薬師如来の眷属として信仰されてきた十二の神将である。薬師如来の教えや信仰を守護する存在として、仏像や仏画に表現される。平安時代から中世にかけて発展した日本の仏教美術でも、十二神将は重要な主題となった。

摩虎羅大将は、その十二神将の一尊にあたる。奈良国立博物館の収蔵品にも「摩虎羅大将」の像があり、十二神将像の一員として伝わっている。十二神将は十二支と結びつけて表されることもあり、摩虎羅大将は卯神、すなわちウサギに対応する尊として紹介される例がある。ただし、十二支との対応や各尊の名称には伝承や図像による違いがある。

ここで注意したいのは、「摩虎羅」という漢字を、そのまま言葉の意味として解釈しないことだ。仏教の尊名には、インド由来の名称を漢字で音写したものが数多くある。摩虎羅も、漢字の「虎」が示す意味だけで神格や性質を説明できる名称ではない。

また、摩虎羅に関連する仏教用語として「摩睺羅伽(まごらか)」がある。これは仏教における天竜八部衆の一類として知られる名称で、音写上の関連が指摘される。ただし、十二神将の摩虎羅大将と、天竜八部に属する摩睺羅伽とでは、登場する文脈や役割を区別して理解する必要がある。

なお、漫画・アニメ『呪術廻戦』に登場する「魔虚羅」も、検索時に混同されやすい名称だ。作品内の魔虚羅はフィクション上の存在であり、仏教美術でいう摩虎羅大将と漢字表記も異なる。名前が似ていることだけを根拠に、作品の設定と仏教の尊格を同一視することはできない。

【検証資料 1】当時のメディア報道・掲載写真(出典:imagedb.narahaku.go.jp)

【混同を整理】摩虎羅と摩多羅神の違いを比較

摩虎羅と摩多羅神は、漢字の並びが似ているため混同されやすい。しかし、読み方も、信仰の場も、宗教史上の役割も異なる。

摩虎羅は薬師如来の十二神将の一尊であるのに対し、摩多羅神は中世の天台宗を中心とする信仰に登場する神格だ。後者は、常行堂の守護神、阿弥陀仏や念仏の守護神、玄旨帰命壇の本尊など、複数の宗教的な役割を担ってきた。

比較項目 摩虎羅 摩多羅神
読み方 まこら またらじん
主な位置づけ 薬師如来の眷属である十二神将の一尊 天台宗の常行堂などで信仰された神格
代表的な役割 薬師如来や仏法の守護 常行三昧や念仏の守護、玄旨帰命壇の本尊
関係する宗教的文脈 薬師如来信仰、十二神将、仏教美術 天台宗、中古天台教学、神仏習合、芸能史
関連する研究テーマ 十二神将の名称、図像、十二支との対応 後戸の神、翁、宿神、秦河勝、玄旨帰命壇

この比較で重要なのは、両者を同じ神の異称とする根拠はないという点だ。少なくとも、一般的な仏教辞典や文化財資料が示す分類では、摩虎羅は十二神将、摩多羅神は天台宗の常行堂や秘儀と結びつく神格として区別される。

検索結果に「摩虎羅」「摩多羅神」「摩睺羅伽」などが並んでいた場合は、まず漢字の違いと読み方を確認したい。そのうえで、薬師如来の十二神将について調べているのか、天台宗の秘神や念仏信仰について調べているのかを判断すると、情報を取り違えにくくなる。

【天台宗での位置づけ】摩多羅神はなぜ念仏の守護神とされたのか

摩多羅神の信仰を理解するうえで、最初に押さえたいのが「常行堂(じょうぎょうどう)」である。常行堂は、天台宗の修行、とりわけ常行三昧と関係する堂宇だ。常行三昧は、阿弥陀仏を念じながら歩き続ける修行として知られ、阿弥陀仏への信仰や念仏の実践と深く結びついている。

摩多羅神は、こうした常行堂の守護神として信仰されてきた。阿弥陀仏を中心とする修行空間の背後に祀られたことから、後世には「後戸の神」とも呼ばれる。阿弥陀仏や念仏の守護神という位置づけも、この宗教的な環境のなかで理解する必要がある。

摩多羅神の由来を説明する伝承として知られるのが、慈覚大師円仁(えんにん)にまつわる説話だ。天台宗の僧である円仁が唐から帰国する途中、船中に摩多羅神が現れ、引声念仏を守護すると誓ったとされる。帰国後、常行堂に勧請されたという筋立てである。

この伝承は、中世の仏教説話や天台宗関係の文献に伝わる。平凡社の『改訂新版 世界大百科事典』も、摩多羅神と引声念仏の関係を説明する際に『渓嵐拾葉集(けいらんしゅうようしゅう)』を挙げている。

ただし、この説話は摩多羅神の信仰上の由来を伝えるものであり、円仁が実際に船上で神に出会ったことを歴史的事実として直接証明するものではない。宗教的な伝承と、現存史料から確認できる歴史的事実は分けて読む必要がある。

また、「阿弥陀経の守護神」という表現にも注意が必要だ。摩多羅神は阿弥陀仏や念仏の守護神として位置づけられてきたが、それは摩多羅神が『阿弥陀経』そのものに登場する仏教尊格だという意味ではない。日本の天台宗における儀礼や信仰の展開を通じて形成された役割として理解するのが適切だ。

この違いは、摩多羅神の研究でとりわけ重要になる。インド以来の仏典に由来する神格と、日本の寺院制度や修行、儀礼のなかで独自の性格を獲得した神格とでは、歴史的な成立過程が異なるからだ。

【検証資料 2】活動歴および当時の関連ビジュアル記録(出典:lookaside.instagram.com)

【玄旨帰命壇とは】摩多羅神が本尊を務めた秘儀の実態

摩多羅神をめぐる議論で、常行堂と並んで重要なのが「玄旨帰命壇(げんしきみょうだん)」である。これは中世の天台宗で行われた秘法の一つで、摩多羅神を本尊として、師から弟子へ教えの奥義を伝える儀礼として説明される。

「玄旨」は仏法の奥深い趣旨、「帰命」は仏や教えに身を委ね、帰依することを意味する。玄旨帰命壇では、壇の前で公案などを用いながら教えの核心を伝え、修行者に理解させることが重視されたとされる。

小学館の『デジタル大辞泉』や『精選版 日本国語大辞典』は、玄旨帰命壇について、摩多羅神を本尊とする中世天台宗の秘法であり、後世には真言宗の一派である立川流の影響を受け、元禄年間に禁圧されたという説明を掲載している。元禄年間は西暦1688年から1704年にあたる。

こうした辞書類の説明では、玄旨帰命壇が後世に性的な要素を伴う儀礼として批判され、禁圧に至った経緯も紹介される。ただし、後世の宗教批判に由来する評価と、儀礼の本来の教義的な目的、実際に行われた作法は、同じものとして扱うべきではない。

玄旨帰命壇が注目される理由は、摩多羅神が単なる堂宇の守護神にとどまらず、天台宗の教義伝承や秘儀の中心に置かれていた点にある。公開された一般的な礼拝とは異なる、師弟間の口伝や秘密の伝授という場面で本尊を務めたことが、この神の特異な位置づけを示している。

また、玄旨帰命壇を考える際には、中古天台教学と「本覚思想」の関係も重要な論点となる。本覚思想は、仏となる可能性が修行の結果として初めて生じるのではなく、存在の根本においてすでに悟りと関わっていると考える思想的な潮流だ。摩多羅神を手がかりに、この思想と秘儀の関係を検討した研究として、曽根原理の論文「玄旨帰命壇と本覚思想――摩多羅神を手がかりに」がある。同論文は1990年刊行の『日本思想史研究』第22号に掲載された。

ここから見えてくるのは、摩多羅神の歴史が、神秘的な伝承だけで成り立っているわけではないということだ。教義の伝達方法、寺院内部の儀礼、宗教制度による規制など、複数の要素が重なり合って神格の意味を形成してきたのである。

【後戸の神・翁・宿神・秦河勝】摩多羅神との関係はどこまで確かなのか

摩多羅神の研究が複雑なのは、天台宗の守護神という枠を超えて、芸能や民間信仰に関係するさまざまな神格と結びつけられてきたためだ。代表的なものが「後戸の神」「翁」「宿神」、そして秦河勝との関係である。

最初に、「後戸の神」とは何か。後戸とは、堂宇の背後に設けられた戸や空間を指す言葉で、常行堂では阿弥陀仏の背後に摩多羅神が祀られたことから、この呼称が生まれた。一般の参拝者の目に触れにくい場所に安置される神という性格も、摩多羅神が「秘神」として語られてきた背景の一つだ。

ただし、「後戸の神」という言葉は、特定の神名と常に一対一で対応するものではない。寺院の構造や儀礼のあり方によって、背後の空間が持つ意味は変わり得る。後戸に祀られたことは摩多羅神の重要な特徴だが、後戸に関係する神をすべて摩多羅神と同一視することはできない。

次に注目されるのが「翁」との関係である。摩多羅神の図像には、烏帽子や狩衣を身につけ、鼓を持つ人物の姿が知られている。図像によっては、舞や歌に関係する童子を伴う姿でも表現される。こうした姿や、常行堂で行われた祭儀と芸能の関係が、翁信仰や猿楽とのつながりを考える手がかりとなってきた。

平泉の毛越寺や日光の輪王寺など、常行堂の儀礼や延年芸能を伝える寺院は、摩多羅神と芸能の関係を検討するうえで重要な存在だ。摩多羅神とおぼしき翁が登場する儀礼や、翁面を用いる祭祀の記録も、研究の対象となっている。

しかし、翁という名称が付く存在をすべて摩多羅神とみなすことはできない。翁は能や猿楽、祭礼などの歴史のなかで多様な意味を持ってきた。図像、祭祀の内容、文献上の記述を照合しながら、個々の関係を判断する必要がある。

「宿神(しゅくじん)」も、摩多羅神との関係が論じられてきた重要な用語だ。宿神は芸能者や芸能の場と関係する神として研究されてきたが、その性格や語源、信仰の実態には複数の解釈がある。摩多羅神と宿神を結びつける議論では、芸能史や民間信仰、神仏習合の歴史を視野に入れることが欠かせない。

秦河勝(はたのかわかつ)との関係も同様だ。秦河勝は聖徳太子に仕えた人物として伝承され、京都の広隆寺の創建伝承とも結びついている。同寺の牛祭では摩多羅神が祭神として語られ、広隆寺に関係する大避明神などの信仰も、摩多羅神の由来を考える際に取り上げられてきた。

加えて、金春禅竹の能楽論『明宿集』などは、宿神と芸能の関係を考えるうえで重要な史料とされる。こうした文献や祭礼の伝承が、摩多羅神・宿神・翁・秦河勝をめぐる議論の土台になっている。

ただし、これらの関係は、必ずしも「摩多羅神は秦河勝そのものである」「翁はすべて摩多羅神である」といった単純な同一性を証明するものではない。異なる地域や時代の信仰が、芸能や寺院儀礼を通じて重なり合い、後世の文献や研究のなかで関連づけられてきた可能性を考えることが重要だ。

【研究史から読み解く】摩多羅神の由来と正体はどう見直されてきたのか

摩多羅神は、長く秘仏や秘神として扱われてきたため、研究に利用できる像や史料が限られていた。ところが、寺院に伝わる像の調査、文献の再検討、芸能史との比較が進むにつれて、その起源や性格について複数の仮説が提示されるようになった。

研究史を理解するうえで重要なのは、伝承をそのまま歴史的事実とみなすのではなく、いつ、どのような文献に、どのような姿で登場するのかを確認することだ。現在の研究では、摩多羅神の正体を一つの説だけで説明するより、寺院儀礼、仏教美術、思想史、芸能史という異なる観点から検討する方法が重視されている。

具体的な手がかりの一つが、島根県安来市の清水寺に伝わる木造摩多羅神坐像である。文化庁の国指定文化財等データベースによると、この像は嘉暦4年(1329年)の銘を持ち、仏師の覚清が清水寺常行堂の摩多羅大明神として制作したことが確認されている。重要文化財に指定された像であり、制作年代が銘文から判明する摩多羅神像の最古の作例として位置づけられている。

この像は、摩多羅神が文献のなかだけに登場する存在ではなく、中世の寺院で実際に造像され、祀られていたことを示す重要な資料だ。島根県立古代出雲歴史博物館の解説によれば、像の所在が確認されたのは2008年で、2009年2月に仏教美術史の専門家による調査が行われ、鎌倉時代の摩多羅神像と判明した。

像の姿も研究上の意味を持つ。文化庁の解説では、笑みを浮かべた表情や冠帽、袍を着ける服装などが注目されている。従来知られていた烏帽子と狩衣姿の図像とは異なる特徴があり、大黒天像や禅宗寺院の伽藍神との類似性も指摘されている。こうした造形上の特徴は、摩多羅神の成立や図像の変化を考えるための手がかりとなる。

1990年には、曽根原理が玄旨帰命壇と本覚思想の関係を摩多羅神から検討する論文を発表した。ここでは、摩多羅神を単に奇異な神として扱うのではなく、中世天台宗の思想や秘儀の文脈で理解する研究の方向性が確認できる。

また、川村湊の著書『闇の摩多羅神――変幻する異神の謎を追う』は、摩多羅神をめぐる文献研究とフィールド調査をまとめた研究書として知られる。常行堂、広隆寺、玄旨帰命壇、秦氏、宿神や翁信仰など、複数の論点を横断して扱っている点が特徴だ。ただし、同書で紹介される仮説や関連づけのすべてが、学界で確定した見解というわけではない。

加えて、2024年には辻本真也による論文「Matarajin 摩多羅神 in the Jogyōdō 常行堂 Hall」が『印度學佛教學研究』第72巻第2号に掲載された。この論文は、常行堂に安置された像の構成や堂内の配置を手がかりに、摩多羅神の起源を再検討している。

同論文では、常行堂の北側に位置する摩多羅神の門と、金剛界八十一尊曼荼羅における毘那夜迦天などの配置との関係が論じられ、障礙神としての性格の類似も検討されている。そのうえで、摩多羅神の起源に毘那夜迦が関わる可能性が提示された。これは、摩多羅神の起源をめぐる研究上の仮説の一つであり、確定した結論として扱うべきものではない。

このように、摩多羅神の研究は、円仁にまつわる伝承だけで起源を説明する段階から、現存する仏像、堂宇の配置、教義、祭祀、芸能に関する史料を組み合わせて検討する方向へ広がっている。翁や宿神、秦河勝との関係も、単純な同一視ではなく、異なる信仰が交差した歴史的な過程として読み直されている。

研究史から得られる最大の示唆は、摩多羅神の「正体」を一つの名前に還元することの難しさだ。摩多羅神は、常行堂の守護神、念仏の守護神、秘儀の本尊、芸能と結びつく神という複数の側面を持つ。そのどれか一つだけを取り出して全体を説明しようとすると、史料が示す多様性を見落とすことになる。

【摩虎羅】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:摩虎羅の正しい読み方と意味は何ですか?
A1:摩虎羅は「まこら」と読み、仏教では薬師如来に仕える十二神将の一尊を指す。一般には「摩虎羅大将」とも呼ばれる。漢字をそのまま直訳するのではなく、仏教に伝わる尊名として理解するのが適切だ。

Q2:摩虎羅と摩多羅神は同じ存在ですか?
A2:一般的な仏教辞典や文化財資料では、別の存在として区別される。摩虎羅は薬師如来の十二神将の一尊、摩多羅神は天台宗の常行堂や玄旨帰命壇などに関係する神格だ。読み方も「まこら」と「またらじん」で異なる。

Q3:摩多羅神は阿弥陀経や念仏の守護神なのですか?
A3:中世の天台宗の信仰や儀礼では、摩多羅神は阿弥陀仏や念仏の守護神として位置づけられてきた。円仁が引声念仏を請来する途中で神に出会ったという伝承も知られる。ただし、『阿弥陀経』そのものに摩多羅神が登場するという意味ではない。

まとめ:摩虎羅と摩多羅神を正しく見分けるための判断基準

摩虎羅と摩多羅神を区別する最初の手がかりは、読み方と信仰上の役割だ。摩虎羅は「まこら」と読み、薬師如来の十二神将の一尊として知られる。一方、摩多羅神は「またらじん」と読み、天台宗の常行堂や玄旨帰命壇、念仏信仰などに関係する神格である。

摩多羅神については、後戸の神、翁、宿神、秦河勝との関係がたびたび論じられてきた。しかし、こうした関係は一律に同一の存在を意味するものではない。寺院に伝わる像、古い文献、儀礼の記録、芸能史の資料を照らし合わせることで、どの時代にどのような関連づけが生まれたのかを検討する必要がある。

文化財調査によって確認された1329年の摩多羅神像や、玄旨帰命壇と本覚思想を扱う研究、2024年に発表された常行堂の配置と起源に関する論文は、この神の歴史を読み解くための重要な手がかりとなっている。

摩虎羅を調べているなら、まず十二神将の一尊として理解すること。摩多羅神を調べているなら、天台宗の念仏信仰と秘儀を出発点に、後戸や芸能、宿神との関係へと視野を広げること。この二段階を踏むだけで、名前の混同を避けながら、中世日本の仏教と神仏習合の奥深い歴史をより正確に理解できる。

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