「高島忠夫長男」と検索すると、必ずといってよいほど関連して表示されるのが、1964年(昭和39年)8月24日に発生した長男殺害事件です。俳優の高島忠夫さんと、元宝塚歌劇団トップスターの寿美花代さん夫妻の間に生まれた長男・道夫ちゃんは、生後わずか5か月で自宅の浴槽から発見され、命を落としました。犯人は外部から侵入した人物ではなく、夫妻が信頼していた17歳の住み込み家政婦Aでした。
事件当初は強盗や誘拐の可能性も疑われましたが、警視庁捜査一課と玉川警察署の調べによって、家政婦Aの証言に複数の矛盾が浮かび上がります。加えて、Aが語ったとされる犯行動機には、夫妻からの愛情を失ったという思い込みや、新たに雇われた看護師への嫉妬が関係していました。2026年には寿美花代さんの訃報を受け、家族の歴史とともに事件が改めて報じられています。
【この記事の重要ポイントまとめ】
- 事件の発生日: 1964年8月24日。高島忠夫さんと寿美花代さんの生後5か月の長男・道夫ちゃんが殺害された。
- 犯人と動機: 当時17歳の家政婦A。新たに雇われた看護師への嫉妬や、夫妻から疎外されたという感情が供述として報じられた。
- 事件後の家族: 寿美さんは2013年のテレビ番組で事件による心の傷を告白。2024年には次男・髙嶋政宏さんも家族への影響を語った。
【事件の全体像】高島忠夫と寿美花代の長男・道夫ちゃんに何が起きたのか
高島忠夫さんは、映画やテレビ、舞台、司会など幅広い分野で活躍した昭和を代表する俳優です。妻の寿美花代さんも宝塚歌劇団の男役トップスターとして人気を集め、結婚後は夫婦でテレビ番組の司会などを務めました。
2人が結婚したのは1963年。翌1964年に誕生したのが、長男の道夫ちゃんです。
夫妻にとって待望の第一子であり、家族にとって大切な存在でした。しかし、その幸せな時間は長く続きませんでした。
事件が発生したのは、1964年8月24日の未明。東京都世田谷区上野毛にあった高島家で、住み込みの家政婦Aが長男の姿が見当たらないと騒ぎ始めたことが発端でした。
当時、Aは17歳。新潟県佐渡島出身で、中学校を卒業後に上京し、1963年末ごろから高島家で働いていました。
Aはもともと寿美花代さんのファンだったとされ、憧れの芸能人夫妻の自宅で働けることを喜んでいたと報じられています。
夫婦からも可愛がられ、家事だけでなく、長男の世話にも関わるようになっていました。
ところが、長男の誕生後、高島家では家事や育児を担当する人員が増え、Aを取り巻く環境が変化します。
その変化が、後に明らかになる事件の背景と結び付いていきました。
【1964年8月24日の真相】長男の発見から小倉医院への搬送まで
事件当日の状況を理解するうえで重要なのは、長男がいなくなったと騒ぎになってから、浴槽で発見されるまでの経緯です。
午前2時ごろ、突然始まった捜索
当時の報道をもとにした後年の記録によると、8月24日午前2時ごろ、家政婦Aが道夫ちゃんの姿が見えないと夫妻に知らせました。
高島夫妻は就寝していましたが、異変を知ってすぐに起き、家の中を探し始めます。
当時の高島家には、家政婦Aのほかにも家政婦と看護師がいました。関係者が一緒になって家の中を捜索しましたが、道夫ちゃんは見つかりません。
加えて、室内には物色されたような形跡がありました。
Aは、不審な男が窓の外を歩いていたことや、道夫ちゃんの泣き声を聞いたことなどを説明したとされています。
こうした証言から、当初は外部の人間が家に侵入し、赤ちゃんを連れ去った可能性も考えられました。
浴槽の蓋を開けた寿美花代さん
家中を探しても道夫ちゃんが見つからず、夫妻は家の周辺まで捜索しました。
しかし、手掛かりはありません。
その後、寿美さんがまだ確認していない場所があることに気付き、風呂場へ向かいました。
そして、きちんと閉められていた浴槽の蓋を開けたところ、水の張られた浴槽の底に沈んでいる道夫ちゃんを発見します。
すぐに抱き上げ、近くの医療機関へ搬送しました。
大手前大学のリポジトリで公開されている堀川論文は、当時の報道をもとに、搬送先を小倉病院と記録しています。後年の事件資料では小倉医院と表記されることもあります。
同論考によれば、搬送されたのは午前3時5分ごろで、すでに窒息死の状態だったとされています。人工呼吸などの処置も行われましたが、救命には至りませんでした。
事件当日の時系列まとめ
| 時期・日時 | 出来事 | 内容 |
|---|---|---|
| 1963年末ごろ | 家政婦Aが高島家で勤務開始 | 住み込みで家事などを担当 |
| 1964年8月24日午前2時ごろ | 長男の不在が発覚 | Aが道夫ちゃんの姿が見えないと知らせる |
| 同日未明 | 家族らが捜索 | 不審者や室内の物色跡が疑われる |
| 同日未明 | 浴槽で長男を発見 | 寿美花代さんが蓋を開けて発見 |
| 午前3時5分ごろ | 小倉病院へ搬送 | すでに窒息死の状態だったとされる |
| 同日午後1時30分ごろ | Aが犯行を自供 | 捜査で証言の矛盾を追及された後に認める |
| 1965年6月 | 東京地裁で判決 | 懲役3年から5年の不定期刑 |
| 1968年 | Aが仮出所 | 後年の報道で紹介された経過 |
この時系列から分かるのは、事件発生から犯人の特定までが非常に短期間だったことです。
当初は外部からの侵入事件に見えましたが、警察の捜査によって状況は大きく変わりました。
【警視庁捜査一課の捜査】家政婦Aの証言にあった不自然な点
事件発生後、警視庁捜査一課と所管の玉川警察署は殺人事件として捜査を開始しました。
捜査で焦点となったのは、最初に異変を知らせた家政婦Aの証言でした。
不審な男を目撃したという証言
Aは、事件当夜に窓の外を歩く不審な男を見たと説明していました。
しかし、同じ家にいたほかの人物は、その男を目撃していませんでした。
また、Aは長男の泣き声を聞いたとも話していましたが、近くで寝ていた人物が同じ声を聞いたという証言は得られませんでした。
当時の捜査を再構成した堀川論文では、こうした証言の食い違いが捜査上の要点として挙げられています。
犬が吠えなかったことも疑問視された
高島家では犬を飼っていました。
不審者が敷地内に侵入したのであれば、犬が反応して吠えることも考えられます。
しかし、当夜は家人が犬の吠え声を聞いていなかったとされています。
外部から侵入した人物がいたというAの説明と、実際の状況が一致しなかったのです。
浴槽の状態にも矛盾があった
もう一つの要点が浴槽でした。
当時の報道をまとめた論考によれば、高島家では通常、入浴後に浴槽のお湯を流す習慣がありました。
ところが、事件当夜に限って水が残されていました。
加えて、赤ちゃんを連れ去った侵入者が、わざわざ浴槽に沈めたうえで蓋を閉めて立ち去るという説明にも不自然さがありました。
これらの点を総合すると、単純な強盗や誘拐では説明しにくい状況が浮かび上がります。
捜査当局はAを重要な対象として事情を聴き、証言の矛盾を追及しました。
そして同日午後1時30分ごろ、Aは自分が道夫ちゃんを殺害したことを認めたと伝えられています。
事件は発生した当日のうちに大きく進展しました。
【家政婦Aの犯行動機】女性Bとの関係と高島家での立場の変化
高島忠夫さんの長男殺害事件で、多くの人が疑問に感じるのが、なぜ家政婦Aが夫妻の大切な子どもに手をかけたのかという点です。
当時の報道や2026年3月の文春オンラインが紹介した書籍の記述では、主な背景として、Aが抱いていた嫉妬心や疎外感が挙げられています。
もともとは高島夫妻に強い憧れを持っていた
Aは新潟県佐渡島出身で、中学校を卒業した後に上京しました。
都内の会社で働いていた時期に高島夫妻との縁ができ、1963年末ごろから住み込みの家政婦として働くようになったとされています。
Aは寿美花代さんのファンであり、憧れの人物の近くで仕事ができることに喜びを感じていたと報じられています。
夫婦から可愛がられ、家事を任されるなど、家庭内でも一定の信頼を得ていました。
しかし、長男の誕生によって家庭内の役割分担が変わります。
女性Bとされる看護師はどのような人物だったのか
長男の誕生後、高島家では乳児の世話を専門的に担当できる女性が必要になりました。
そこで新たに迎えられたのが、看護師資格を持つ女性です。
資料によって匿名表記は女性B、K、Nなどと異なりますが、事件に関する後年の報道では、乳児の世話を担当した看護師として紹介されています。
この看護師は、長男の健康管理や育児を任される立場でした。
一方、家政婦Aは、それまで自分が担っていた子どもの世話を別の女性に任されるようになり、夫妻からの信頼も看護師に移ったと感じていたとされています。
2026年3月の文春オンライン掲載記事では、看護師の給与がAの約3倍だったという事情も紹介されています。
ただし、待遇の差だけで事件を説明することはできません。Aの供述として報じられた内容では、夫妻との心理的な距離が広がったと感じていたことが大きな問題になっていました。
アメリカ旅行とお土産をめぐる嫉妬
犯行動機を考えるうえで、もう一つ注目されるのが高島夫妻のアメリカ旅行です。
夫妻は事件後の8月28日からアメリカへ旅行する予定だったと、後年の文春オンラインの記事は伝えています。
Aは自分も同行できると期待していたとされます。
しかし、夫妻から旅行への誘いはなく、看護師に対しては、道夫ちゃんの世話を頼むことやお土産を買ってくることが伝えられたといいます。
Aは、自分だけが大切にされなくなったと感じ、看護師への嫉妬を強めていったと報じられています。
加えて、事件の数日前には風邪を引いていたAに対し、寿美さんが道夫ちゃんに近づかないよう注意したこともあったとされます。
母親としては乳児への感染を避けるための注意でしたが、Aは自分が遠ざけられていると受け止めたといいます。
犯行動機として報じられた内容
当時の供述や後年の記録を整理すると、主に次の要素が見えてきます。
- 長男の誕生後、自分への愛情が薄れたと感じていた。
- 看護師が夫妻から信頼されていることに嫉妬していた。
- アメリカ旅行に同行できず、自分だけが取り残されたと思っていた。
- お土産の約束を看護師だけにされたことを不満に感じていた。
- 長男がいなくなれば、夫妻が再び自分を頼ってくれると思い込んでいた。
特に最後の点は、事件の異常な心理的背景を示すものです。
ただし、これらはAの供述や当時の捜査、後年の書籍・報道によって伝えられた動機です。看護師や高島夫妻が実際にAを意図的に冷遇していたと確認されたわけではありません。
また、女性Bに当たる看護師は犯人ではなく、長男の世話を担当していた関係者です。両者の関係を恋愛問題や男女関係として理解するのは誤りです。
【裁判と事件後】家政婦Aの判決と高島夫妻が背負った深い傷
家政婦Aは事件当時17歳でしたが、殺人罪で逮捕・起訴され、東京地方裁判所で刑事裁判を受けました。
1965年6月、Aには懲役3年から5年の不定期刑が言い渡されています。
後年の文春オンラインの記事によると、Aは1968年に仮出所しました。その後、事件について知ったうえで結婚を申し込んだ男性と結婚し、家庭を持ったと紹介されています。
また、出所後の取材では、高島夫妻への謝罪の気持ちを持ち続け、道夫ちゃんの命日に写真の前に花やお菓子を供えていると語ったとされています。
一方、被害者である高島夫妻が受けた精神的な影響は、事件の解決や裁判の終了によって消えるものではありませんでした。
寿美花代さんが2013年に明かした事件の後遺症
事件から49年が経過した2013年6月、フジテレビの特別番組「独占密着!真実の高島ファミリー『忠夫さん、死ぬまで一緒やで』~寿美花代 献身愛で闘う夫の病~」が放送されました。
番組では、寿美さんが長男の殺害事件について語りました。
デイリースポーツの2013年6月18日の報道によれば、寿美さんは、道夫ちゃんを浴槽で発見した際の記憶や、病院を探し回った当時の状況を涙ながらに振り返っています。
特に印象的だったのが、事件後も続いていた入浴への恐怖です。
「いまだに、お風呂っていうとシャワーしか浴びれない……」
――寿美花代さん(2013年のテレビ番組での発言として報道)
加えて、事件後には赤ちゃんの泣き声を聞かせるいたずら電話や、子どもの苦しむ声をまねた電話があったことも明かされました。
長男を失った悲しみだけでなく、事件後も家族を苦しめる出来事が続いていたのです。
次男・髙嶋政宏と三男・髙嶋政伸にも影響した事件
事件後、高島夫妻には2人の息子が誕生しました。
1965年に次男の髙嶋政宏さん、1966年に三男の髙嶋政伸さんが生まれ、2人とも俳優として活躍するようになります。
しかし、両親は長男殺害事件について、子どもたちに積極的に話すことはなかったといいます。
2024年5月に放送されたNHKの「ファミリーヒストリー」では、政宏さんが兄の事件と両親の様子について語りました。
政宏さんによれば、両親は事件の悲しみを子どもたちに極力見せず、家庭内でもほとんど話題にしなかったそうです。
高校生のころになって初めて、両親から詳しい説明を受けたと振り返っています。
また、両親は仕事で地方へロケに出かける際にも、子どもたちを必ず同行させていたといいます。
政伸さんも番組内で、家族が一緒に過ごすことを父親が望んでいたと説明しました。
事件によって幼い長男を失った経験が、その後の子育てや家族の過ごし方にも影響を与えていたことがうかがえます。
【2026年最新】高島忠夫・寿美花代夫妻の現在と事件が再び注目される理由
2026年10月現在、高島忠夫さんと寿美花代さんはともに亡くなっています。
高島忠夫さんは2019年6月26日、88歳で死去しました。長年にわたり映画やテレビで活躍し、寿美さんとの夫婦共演でも親しまれた人物です。
そして、寿美花代さんも2026年8月3日、94歳で老衰のため亡くなりました。所属事務所が8月6日に訃報を発表し、家族のみで葬儀が執り行われたと報じられています。
現在、芸能界で活動を続けているのは、次男の髙嶋政宏さんと三男の髙嶋政伸さんです。
2026年は寿美さんの訃報をきっかけに、高島家の歴史や家族の歩みを振り返る報道も見られました。
その中で、長男・道夫ちゃんの事件も改めて取り上げられています。
なぜ事件は長い年月が経っても語り継がれるのか
この事件が現在も人々の関心を集める理由は、単に有名俳優の家族が被害に遭った事件だからではありません。
主に3つの側面があります。
1つ目は、信頼していた家政婦による犯行だったことです。
外部から侵入した犯人ではなく、日常的に家族と接していた人物が犯行に及んだことは、当時の社会にも大きな衝撃を与えました。
2つ目は、わずか生後5か月の子どもが被害者だったことです。
自分で身を守ることのできない乳児が、家庭内で命を奪われたという事実は、事件の痛ましさを際立たせています。
3つ目は、事件が家族の人生に長く影響を与えたことです。
寿美さんが49年後も入浴への恐怖を抱えていたことや、息子たちが両親の慎重な子育てを振り返ったことからも、事件の影響が一時的なものではなかったことが分かります。
事件そのものは1964年に発生しましたが、家族にとっては、その後も長く向き合い続ける出来事だったのです。
【よくある質問】高島忠夫の長男と殺害事件に関するFAQ
Q1:高島忠夫と寿美花代の長男の名前は何ですか?
A1:長男の名前は道夫ちゃんです。1964年に生まれ、生後5か月だった同年8月24日に殺害されました。夫妻にとって第一子でした。
Q2:高島忠夫の長男を殺害した犯人は誰ですか?
A2:高島家で住み込みの家政婦として働いていた17歳の女性Aです。当初は外部の侵入者による犯行を示唆する証言をしていましたが、警察の追及を受けて自分の犯行を認めたと報じられています。
Q3:家政婦Aの犯行動機は何だったのでしょうか?
A3:当時の供述や後年の報道では、高島夫妻からの愛情が薄れたという疎外感、新たに雇われた看護師への嫉妬、アメリカ旅行のお土産をめぐる不満などが挙げられています。
Q4:長男はどこで発見されたのですか?
A4:高島家の風呂場にあった浴槽の中です。蓋が閉められており、寿美花代さんが蓋を開けた際に発見しました。その後、小倉病院とされる医療機関へ搬送されましたが、救命できませんでした。
Q5:家政婦Aは裁判でどのような判決を受けましたか?
A5:1965年6月、東京地方裁判所で懲役3年から5年の不定期刑を言い渡されました。後年の報道では1968年に仮出所したとされています。
Q6:寿美花代さんは事件について後年も語っていたのですか?
A6:2013年6月のフジテレビの特別番組で事件を振り返っています。事件から49年が経過しても浴槽に入れず、シャワーだけで済ませていることなどを明かしました。
まとめ:【プロの結論】高島忠夫長男殺害事件から読み解く事実と家族の記憶
高島忠夫さんと寿美花代さんの長男・道夫ちゃんが殺害された事件は、1964年8月24日に発生しました。
当時17歳だった住み込み家政婦Aが犯行を認め、警視庁捜査一課と玉川警察署による捜査を経て、事件は同日中に大きく進展しました。犯行の背景には、夫妻から疎外されたと感じたAの心理や、看護師への嫉妬などがあったと報じられています。
この事件を理解するうえで押さえておきたいのは、次の3点です。
- 事件の事実: 生後5か月の長男が自宅の浴槽で殺害され、家政婦Aが犯行を認めたこと。
- 動機に関する情報: Aの供述として、疎外感や嫉妬心が報じられていること。
- 家族への影響: 寿美花代さんが事件後も深い心の傷を抱え、次男・三男の子育てにも影響が及んだこと。
特に大切なのは、事件の発生状況、犯人の供述、動機についての報道、そして家族が後年に語った記憶を区別して理解することです。
事件の全容を知ることは、単に過去の凶悪事件を振り返ることではありません。幼い命が奪われた悲劇と、その後も長く続いた家族の苦しみを知ることでもあります。
高島忠夫さんと寿美花代さんが亡くなった2026年現在も、長男・道夫ちゃんの事件は高島家の歴史に刻まれた忘れることのできない出来事として伝えられています。
主な参照資料・報道
- 文春オンライン(2026年3月掲載、事件の経緯・家政婦Aの供述・裁判後の経過)
- 大手前大学リポジトリ公開・堀川論文(当時の新聞報道をもとにした事件の検証)
- デイリースポーツ(2013年6月、寿美花代さんのテレビ番組での証言)
- デイリースポーツ(2024年5月、NHK「ファミリーヒストリー」での髙嶋政宏さんの証言)
- テレビ朝日・ORICON NEWS(2019年の高島忠夫さん、2026年の寿美花代さんの訃報)