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【いつから始めた?】小芝風花とフィギュアスケートの出会いは荒川静香の金メダル

早瀬 結衣 早瀬 結衣 • 更新: • 公開: • 読了約 20 分
目次

きっかけは2006年トリノ五輪の荒川静香

小芝風花がフィギュアスケートを始めたのは、小学3年生のころ。当時は器械体操を約2年間習っていた。

転機になったのが、2006年のトリノオリンピックだった。

が女子シングルで金メダルを獲得し、日本中でフィギュアスケートへの関心が高まった時期である。

小芝本人は2021年の集英社「Sportiva」のインタビューで、体操の練習を見学していた母親たちから、スケートに向いていそうだと言われたことが始まりだったと振り返っている。

家族でリンクに遊びに行ったところ、氷の上を滑る楽しさに夢中になり、体操からフィギュアスケートへの転向を希望した。

つまり、荒川静香本人から直接指導を受けたり、個人的な交流があったりしたわけではない。荒川の五輪金メダルが、競技を始めるきっかけを生んだのである。

練習拠点は大阪の臨海スポーツセンター

小芝が通っていたのは、大阪府の臨海スポーツセンターだった。

最初に教わったのは小関悦也コーチ。その後、平池大人コーチに師事した。

平池コーチのもとでは、後に日本代表として活躍する友野一希や山本草太とも一緒に練習していた。

小芝は当時の思い出として、練習の合間に鬼ごっこをしたり、整氷車が集めた雪で雪だるまを作ったりしたエピソードを紹介している。

競技に打ち込む一方で、リンクは仲間と過ごす大切な場所でもあった。

年間330日という本格的な練習生活

2016年のスポニチのインタビュー記事では、小芝が年間約330日も練習に取り組んでいたことが紹介された。

自宅からスケート場までは車で往復1時間以上。母親が送り迎えを支え、競技用の衣装も手作りしていたという。

2025年2月のNHK「あさイチ」出演時にも、母親が衣装を作ってくれたことや、熱心に応援してくれたことを語っている。

こうしたエピソードから分かるのは、単にスケートが好きだったというだけではないことだ。

日々の練習、試合への出場、ジャンプの改善を繰り返す、競技選手としての生活を送っていたのである。

【成績を公式記録で検証】西日本8位と全日本ノービス優勝の実力

小芝風花フィギュアスケート

小芝風花の競技実績で特に注目されるのが、2010年の西日本大会8位と、2011年の全日本ノービス選手権でのアイスダンス優勝だ。

この2つは、本人のインタビューだけでなく、日本スケート連盟の競技記録からも確認できる。

2010年・西日本大会で8位入賞

日本スケート連盟の公式競技結果には、2010年8月13日から15日に開催された「平成22年度 第37回西日本中小学生フィギュアスケート競技会」の記録が残っている。

小芝は臨海フィギュアSC所属として出場。

結果は次のとおりだ。

- 競技カテゴリー:6級ジュニア選手権女子
- 順位:8位
- 得点:61.67点
- 所属:臨海フィギュアSC

当時の記録に小芝風花の名前が明確に掲載されている。

この結果が、報道で紹介される「西日本8位」の根拠となる。なお、大会の正式名称は西日本中小学生フィギュアスケート競技会であり、一般的な報道上の呼び方と公式大会名は区別して理解したい。

2011年・全日本フィギュアスケートノービス選手権で優勝

さらに注目すべきなのが、2011年10月28日から30日に東京都西東京市のダイドードリンコアイスアリーナで開催された第15回全日本フィギュアスケートノービス選手権大会である。

小芝は渡邊純也とペアを組み、ノービスダンスに出場した。

公式記録で1位を確認

29.35点
ノービスダンス・最終結果

日本スケート連盟の公式競技結果では、小芝風花・渡邊純也組が1位、29.35点で優勝している。2位の組は26.25点だった。

小芝風花のフィギュアスケート成績・経歴年表

時期 出来事・実績 関係者・記録
2006年ごろ 小学3年生で競技開始 荒川静香のトリノ五輪金メダルがきっかけ
小学生時代 本格的な練習生活 小関悦也コーチ
中学生時代 競技力を伸ばす 平池大人コーチ
2010年8月 西日本大会8位 61.67点
2011年10月 全日本ノービス・アイスダンス優勝 渡邊純也とのペア、29.35点
2011年11月 ガールズオーディション2011でグランプリ 応募総数3万5390人
2012年7月 女優デビュー 『息もできない夏』
2013年12月 『スケート靴の約束』出演 テレビ東京
2014年3月 映画初主演 『魔女の宅急便』

シングルだけでなくアイスダンスにも挑戦した理由

小芝はもともとシングルの選手だったが、渡邊純也と組んでアイスダンスにも取り組んだ。

2021年のSportivaのインタビューでは、2人ともシングル出身だったため、最初は歩幅や回転の癖が違い、苦労したと説明している。

アイスダンスでは、1人で技術を磨くだけでなく、パートナーとの呼吸や動きの一致が求められる。

小芝自身も、2人で同じ目標に向かえることや、喜びを共有できることに魅力を感じていた。

この経験は、2011年の全日本ノービス選手権での優勝につながった。

なお、ここでの優勝は女子シングルではなく、渡邊純也とのノービスダンス部門での優勝である。競技種目を混同しないことが、経歴を正確に理解するポイントだ。

【両膝の手術と競技引退】怪我が原因でスケートを辞めたのか?

小芝風花のスケート歴を語るうえで欠かせないのが、成長期に経験した膝の怪我と手術だ。

診断されたのはオスグッド・シュラッター病

2021年のSportivaの本人インタビューによると、小芝は競技生活中にオスグッド・シュラッター病を経験していた。

オスグッド・シュラッター病は、成長期の子どもに発生しやすい膝の疾患で、膝のお皿の下にある脛骨粗面付近に痛みが生じる。

ジャンプや着氷を繰り返すフィギュアスケート選手にとって、膝の痛みは練習にも競技にも影響する問題だった。

本人によると、医師からは成長期が終われば改善する可能性があると説明されたものの、練習を続けたいという思いから両膝の手術を選択した。

本人が当時の気持ちを振り返った言葉が印象的だ。

「私はいま練習がしたいんです!」

手術後は脚が細くなり、周囲から競技への復帰を心配されたという。しかし、小芝は再び練習できることを喜んでいた。

加えて、ブランクを経てもジャンプを取り戻し、3回転ジャンプも安定して跳べるようになったと話している。

怪我が直接の引退理由だったわけではない

ここはネット上で誤解されやすい部分だ。

小芝は膝の手術を受けているが、手術によって競技復帰が不可能になったわけではない。

むしろ、本人の証言では手術後に練習へ復帰し、ジャンプも取り戻していた。

では、なぜフィギュアスケートを辞めたのか。

大きな転機になったのは、2011年の芸能界入りだった。

オーディションでグランプリを獲得した後、東京で演技やダンスなどのレッスンを受ける生活が始まった。

2016年のスポニチの取材では、上京後は週6日レッスンに取り組んでいたことが紹介されている。

フィギュアスケートは、本人も語っているように、1日や2日練習を休むだけでもジャンプの感覚が変わってしまうほど継続的な練習が必要な競技だ。

芸能活動との両立は難しく、最終的に俳優業に専念する決断をした。

つまり、怪我で滑れなくなったから引退したという説明は正確ではない。

膝の手術を乗り越えて復帰した後、芸能界への進路変更と時間的な制約が競技生活の終わりにつながったのである。

【浅田真央が芸能界入りのきっかけ】ガールズオーディション2011の真相

小芝風花がフィギュアスケート選手から俳優へ転身した背景には、浅田真央の存在があった。

浅田真央のCMを見て女優に興味を持つ

小芝は2025年2月28日放送のNHK「あさイチ」で、芸能界入りのきっかけを説明した。

当時、フィギュアスケート選手として活躍していた小芝は、浅田真央が出演するCMを見て、自分もCMに出てみたいと思ったという。

その話を聞いた姉がオーディション雑誌を買ってきたことから、応募を決めた。

当初から女優になるという強い目標があったわけではなく、CMへの憧れが最初の動機だった。

応募総数3万5390人からグランプリ

2011年11月13日

小芝が応募したのは、イオンとオスカープロモーションが開催した「ガールズオーディション2011」。

女優・武井咲の姉妹キャラクターを選ぶ企画で、全国大会は埼玉県越谷市で開催された。

スポニチの2011年11月14日付報道によると、応募総数は3万5390人。その中から当時14歳の小芝風花がグランプリに選ばれた。

受賞後には、武井咲のような女優になりたいという目標を語っていた。

オーディションで披露した特技はフィギュアスケート?

実は、このオーディションには小芝らしいエピソードがある。

特技披露の場面で、スケート以外に披露できるものがなかった小芝は、試合用のスケート衣装を着て、運動靴で音楽に合わせて演技をした。

もちろん、リンクではないため実際に滑ることはできない。

2025年の「あさイチ」では、このときの姿を本人が恥ずかしそうに振り返っていた。

長年取り組んできたスケートが、芸能界への入り口でもあったという点は興味深い。

俳優デビューから映画初主演まで

グランプリ獲得後、小芝は大阪を離れて東京で活動するようになった。

その後の主な経歴は次のとおり。

- 2012年7月: フジテレビ系ドラマ『息もできない夏』で女優デビュー。
- 2013年12月: テレビ東京系『スケート靴の約束~名古屋女子フィギュア物語~』に出演。
- 2014年3月: 映画『魔女の宅急便』で主演を務め、映画デビュー。
- 2015年: 『魔女の宅急便』で第57回ブルーリボン賞新人賞を受賞。

競技者から俳優への転身は大きな決断だったが、スケートで培った身体能力や集中力は、その後の仕事にも生かされている。

【スケート靴の約束】小芝風花の競技経験が生きた作品とは?

小芝風花のスケート経験を語る際、欠かせない作品が2013年12月25日にテレビ東京系で放送されたスペシャルドラマ『スケート靴の約束~名古屋女子フィギュア物語~』だ。

小芝風花が演じたのはフィギュアスケート選手

この作品で小芝が演じたのは、水元家の長女・葉子。

妹の紗綾を本田望結が演じ、安田成美や別所哲也らも出演した。

物語は、フィギュアスケートを通じた家族の絆や、それぞれの夢を描く内容だ。

テレビ東京の番組公式情報でも、小芝が演じた葉子はフィギュアスケートの有望選手として紹介されている。

実際の競技経験が役作りに生きた

小芝にとって、この作品は単なるスポーツドラマへの出演ではなかった。

実際に小学3年生から中学2年生まで競技に取り組み、ジャンプやスケーティングの技術を身につけていたからこそ、スケーター役に説得力を持たせることができた。

2021年のSportivaのインタビューでも、本人はスケートをテーマにしたドラマへの出演について、競技経験がなければできない役だったと振り返っている。

かつて本気でオリンピックを目指した競技経験が、俳優としての仕事につながった瞬間だった。

また、荒川静香はこの作品に特別協力、伊藤みどりと浅田舞は特別出演している。フィギュアスケートに縁のある人物が集まった作品でもあった。

【2026年最新】小芝風花の現在とTopCoatでの活動

2026年10月31日現在、小芝風花は俳優としてドラマ、映画、音声コンテンツなど幅広い活動を続けている。

所属事務所TopCoatの公式プロフィールと出演情報から、主な活動を整理する。

2026年の主な出演作品・活動

時期 作品・活動 内容
3月9日~12日 『事件は、その周りで起きている3』 主演・真野一花役
3月27日 『えんとつ町のプペル ~約束の時計台~』 ナギ役・声優
4月5日~5月24日 『あきない世傳 金と銀3』 主演・幸役
7月10日開始 オールナイトニッポンPODCAST 新パーソナリティ
10月21日 anan No.2516 雑誌掲載
12月26日予定 『あきない世傳 金と銀 完結編』 BSP4Kで主演
2027年1月1日予定 『あきない世傳 金と銀 完結編』 NHK BSで放送予定

注目は『あきない世傳 金と銀』シリーズ

2026年4月5日から5月24日まで放送されたNHK BSプレミアムのBS時代劇『あきない世傳 金と銀3』では、引き続き主演の幸役を務めた。

加えて、シリーズの完結編も制作され、TopCoat公式情報では以下の日程が案内されている。

- BSP4K:2026年12月26日19時30分~20時59分
- NHK BS:2027年1月1日19時30分~20時59分

いずれも主演は小芝風花。2026年末から2027年初頭にかけての注目作となる。

ラジオでも新しい活動を開始

2026年7月10日には、『オールナイトニッポンPODCAST 小芝風花のよりみち supported by 日清オイリオ』がスタートした。

配信は隔週金曜日の17時ごろ。

ドラマや映画だけでなく、音声メディアにも活動の幅を広げている。

また、2026年3月27日公開の映画『えんとつ町のプペル ~約束の時計台~』ではナギ役の声優を担当した。

TopCoatの公式出演情報からも、俳優として継続的に新しいジャンルへ挑戦していることが分かる。

現在もフィギュアスケートを続けている?

では、現在も競技を続けているのだろうか。

2021年のSportivaのインタビューで、小芝は当時、スケートリンクに行く機会はほとんどなく、バラエティ番組などでたまに滑る程度だと話していた。

現役時代のような競技生活を送っているわけではない。

ただし、フィギュアスケートへの関心がなくなったわけでもない。

同じインタビューでは、好きな選手として鈴木明子を挙げ、坂本花織のジャンプにも注目していると語った。

また、2023年にはテレビ朝日系の「世界フィギュアスケート国別対抗戦2023」でエキシビションのゲスト出演や選手インタビューを担当した。

競技者としての経験を持つからこそ、選手の技術や演技に対する理解を番組出演にも生かしている。

【プロの結論】小芝風花のフィギュアスケート歴から分かる3つのこと

小芝風花の競技歴を振り返ると、単に「昔スケートを習っていた女優」という説明では収まらない事実が見えてくる。

1. 趣味ではなく競技選手として実績を残していた

年間約330日の練習、西日本大会8位、全日本ノービス選手権のアイスダンス優勝。

これらは、本格的に競技へ取り組んでいたことを示す具体的な実績だ。

特に、全日本ノービス選手権の優勝は日本スケート連盟の公式記録で確認できる。

2. 怪我を克服した経験が競技引退につながったわけではない

両膝の手術は大きな試練だったが、本人は競技に復帰し、3回転ジャンプも取り戻していた。

引退の大きな理由は、芸能活動との両立が難しくなったことにある。

この違いを理解すると、小芝の競技人生をより正確に捉えられる。

3. フィギュアスケートの経験は現在の俳優活動にもつながっている

集中力、身体の軸を保つ力、目標に向けて努力する習慣。

本人もSportivaのインタビューで、スケート経験によって集中力や負けず嫌いな性格が養われたと話している。

アクション指導の場面で体幹を褒められたこともあったという。

競技で培った能力は、演技や身体表現にも生かされている。

【小芝風花のフィギュアスケート】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:小芝風花がフィギュアスケートを始めたのはいつから?

小学3年生から。2006年のトリノ五輪で荒川静香が金メダルを獲得したことがきっかけとなり、家族でリンクに行ったことから競技を始めた。

Q2:小芝風花のフィギュアスケートの成績は?

2010年の第37回西日本中小学生フィギュアスケート競技会で6級ジュニア選手権女子8位、2011年の第15回全日本フィギュアスケートノービス選手権大会では渡邊純也とのペアでノービスダンス1位を獲得している。

Q3:小芝風花はアイスダンスで優勝した?

はい。2011年の全日本ノービス選手権のノービスダンス部門で優勝した。渡邊純也と組み、29.35点を記録している。

Q4:小芝風花はなぜ両膝を手術した?

オスグッド・シュラッター病による膝の痛みがあったため。本人は練習を続けたいという思いから両膝の手術を選択した。

Q5:小芝風花は怪我が原因でフィギュアスケートを引退した?

怪我だけが引退理由ではない。手術後に競技へ復帰しており、その後、2011年のオーディションでグランプリを獲得し、芸能活動との両立が難しくなったことから俳優業に専念した。

Q6:小芝風花が芸能界入りしたきっかけは浅田真央?

浅田真央が出演していたCMを見て、自分もCMに出たいと思ったことがきっかけ。姉がオーディション雑誌を買ってきたことで応募につながった。

Q7:2026年現在、小芝風花は何をしている?

NHKドラマ『あきない世傳 金と銀3』や映画『えんとつ町のプペル ~約束の時計台~』などに出演。ラジオ番組『オールナイトニッポンPODCAST』のパーソナリティも務めている。


まとめ:小芝風花のフィギュアスケート歴は俳優人生の原点だった

小芝風花のフィギュアスケート歴は、小学3年生から中学2年生までの約5年間にわたる。

荒川静香のトリノ五輪金メダルをきっかけに競技を始め、西日本大会8位、2011年の全日本ノービス選手権アイスダンス優勝という実績を残した。

両膝の手術という困難も経験したが、競技に復帰。その後、浅田真央のCMへの憧れから応募した「ガールズオーディション2011」でグランプリを獲得し、俳優への道を選んだ。

現在はTopCoat所属の俳優として、ドラマ、映画、声優、ラジオなど多方面で活躍している。

特に注目したいのは、フィギュアスケートを辞めたことが、過去の努力を無駄にしたわけではないという点だ。

本人が語った集中力や負けず嫌いな性格、体幹の強さは、現在の演技にもつながっている。

小芝風花にとってフィギュアスケートは、終わった競技生活ではなく、現在の俳優人生を支える大切な原点なのである。

2026年末には『あきない世傳 金と銀 完結編』も控えている。競技者として培った表現力と努力を、今後どのような作品で見せてくれるのかにも注目したい。

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コンテンツディレクター 早瀬 結衣
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