「セコム、してますか?」という印象的なフレーズとともに、多くの人の記憶に残る長嶋茂雄さんのセコムCM。実は、長嶋さんとセコムの関係は1990年に始まったわけではありません。セコムの公式メモリアルサイトによると、最初のCM出演は1971年。そこから半世紀以上にわたる関係が築かれました。
2025年6月3日に長嶋さんが逝去された後も、セコムはご家族と所属事務所の了承を得て広告を継続使用する方針を発表しています。さらに2025年には、大谷翔平選手と現役時代の長嶋さんがCG映像で対決するCMも公開されました。2026年10月現在、初出演の真相から名フレーズの誕生、歴代CM、東京ドームの広告、逝去後の取り扱いまで、公式資料と報道をもとに整理します。
【この記事の重要ポイントまとめ】
- 初出演:1971年のCM「鉄壁の守り」編。1990年はブランドアンバサダー就任の年。
- 名フレーズ:「セコム、してますか?」は1991年のCM「笑顔編/連鎖反応」編で誕生。
- 逝去後の対応:セコムは広告の継続使用を公式発表。2025年には大谷翔平選手との「夢の対決」編や東京ドームでの追悼広告も展開した。
【関係の真相】長嶋茂雄のセコムCM初出演は1971年、1990年は再起用の節目
長嶋茂雄さんとセコムの関係を正しく理解するには、1971年と1990年を区別する必要があります。前者は初めてCMに出演した年、後者は長期的なブランドアンバサダーとしての活動が始まった年です。
セコムの公式メモリアルサイト「長嶋茂雄さんとセコムの歩み」によると、1971年に放送されたCMは「鉄壁の守り」編。当時の長嶋さんは読売ジャイアンツの現役選手で、卓越した三塁守備を披露していました。
セコムが着目したのは、長嶋さんの守備力と、警備会社が目指す「守り」との共通点です。次々と飛んでくる打球を確実に捕球する姿を、社会や暮らしを守るセキュリティのイメージに重ねたことが、起用のきっかけになりました。当時の会社名は日本警備保障株式会社で、CMは企業の認知度向上にも貢献したと公式サイトは説明しています。
その後、1990年に長嶋さんはセコムのブランドアンバサダーに就任。ホームセキュリティを広く一般家庭に認知してもらうための広告活動で、長期にわたる協力関係が始まりました。
ここで注意したいのが、過去の広報資料には「初めてCMに出演したのは1990年」と説明するものもある点です。2013年のセコムのCM関連資料などでは、ホームセキュリティの広告活動を軸に紹介されていました。一方、現行の公式メモリアルサイトは1971年の「鉄壁の守り」編を初出演として明確に掲載しています。つまり、1971年の初出演と、1990年のブランドアンバサダー就任は別の出来事として整理するのが正確です。
【年表・歴代CM一覧】「セコム、してますか?」はどのように生まれたのか
セコムのCMは、単に著名人を起用してサービスを宣伝するだけの広告ではありませんでした。初期は警備の信頼性を野球の守備になぞらえ、その後はホームセキュリティの普及に合わせて、家庭の安心や日常生活をテーマにした作品へと広がっていきます。
セコム公式メモリアルサイトとCMライブラリーに掲載された主な作品を、年代順にまとめました。以下は代表的な作品の一覧であり、すべての派生バージョンを網羅したものではありません。
| 年 | 主なCM・出来事 | 特徴・確認できる内容 |
|---|---|---|
| 1971年 | 「鉄壁の守り」編 | 長嶋さんの三塁守備と警備の役割を重ねた初出演作品。 |
| 1990年 | 「守り」編 | ブランドアンバサダーに就任し、ホームセキュリティの広告活動を本格化。 |
| 1991年 | 「笑顔」編/「連鎖反応」編 | 「セコム、してますか?」のフレーズが誕生。 |
| 1992年 | 「社会の荒波」編、「大きな安心 帰宅」編・「散歩」編 | 家庭の安心や、困難に立ち向かう姿を映像で表現。 |
| 1993年 | 「絶壁の住まい」編/「城壁の住まい」編 | 住まいを守るというホームセキュリティの価値を訴求。 |
| 1994年 | 「日の用心」シリーズ | 泥棒・火事・ケガの3パターンを制作。同年、東京ドームのビッグボード広告も開始。 |
| 1995年 | 「さらば万一たち」シリーズ | 「にげろ」「痛い」「火事」などのバリエーションを展開。 |
| 1996年 | 「評判ですよ!」シリーズ | ランニング・ホスピタル・ティールーム編など、日常の場面でサービスの評判を描写。 |
| 1997年 | 「タップ」編/「リャマ」編 | 長嶋さんの身体表現や動物との共演を取り入れた作品。 |
| 1998年 | 「ステッカー」編/「瞳」編/「テープレコーダー」編 | 赤いセコムステッカーなど、サービスを象徴する要素を活用。 |
| 2000~2003年 | 「長嶋邸 侵入者」編・「火事」編、「変わらない情熱」編、「クオリティ」編、「長嶋さん人形」編 | 実写だけでなく、人形を使ったストップモーションアニメーションなど表現手法も多様化。 |
| 2013年 | 「長嶋さんとセコム」編 | 約10年ぶりに長嶋さんを新たに撮影。過去の代表的なCM映像も使用。 |
| 2025年 | 「夢の対決」編 | 大谷翔平選手と現役時代の長嶋さんがCG映像で共演。 |
この一覧から分かるのは、セコムの広告が時代に合わせて表現を変えながら、長嶋さんの存在を中心に据え続けてきたことです。1990年代には「社会の荒波」編や「日の用心」シリーズなど、安心・安全を具体的な場面で伝える作品が登場。1997年の「リャマ」編や2003年の「長嶋さん人形」編では、ユーモアや映像技術も取り入れられました。
セコムの公式発表では、長嶋さんは35年間で30本のCMに出演したとされています。一方、公式メモリアルサイトでは、派生作品も含めて30本以上と紹介されています。数え方に違いがあるため、単純に作品数だけを比較するより、長期間にわたってシリーズが展開された事実に注目するのが適切です。
【誕生の背景】なぜ「セコム、してますか?」は長嶋茂雄の代名詞になったのか
「セコム、してますか?」というフレーズは、1991年に放送された「笑顔」編と「連鎖反応」編で誕生しました。セコムの公式メモリアルサイトが、その年を明確に記録しています。
この短い言葉の特徴は、企業名を伝えるだけでなく、視聴者自身に問いかける形式になっていることです。「セコムを知っていますか」と説明するのではなく、自宅や家族の安全を自分の問題として考えるきっかけをつくっています。
当時、家庭用セキュリティは誰もが当然のように導入するサービスではありませんでした。セコムは1981年に家庭用安全システム「マイアラーム」を発売し、現在のホームセキュリティにつながる事業を展開していましたが、当初は普及に時間がかかったと2014年の公式資料で説明しています。
そこで長嶋さんの知名度と親しみやすさが、サービスを身近に感じてもらうための接点になりました。守備の名手として知られる長嶋さんは、セキュリティの役割を説明するうえでも自然な説得力を持っていたのです。
また、CMのメッセージと、契約先の玄関などに貼られる赤いセコムステッカーが連動したことも見逃せません。テレビで耳にしたフレーズが、街中や住宅の玄関で目にするステッカーと結びつくことで、企業名とサービスのイメージが日常生活の中に定着していきました。
2014年のセコムの発表では、ホームセキュリティの契約件数は同年3月末時点で約97万9000軒に達し、同年上半期に100万軒を突破する見込みとされていました。これは長嶋さんの広告活動が続いた時期の実績ですが、契約増加のすべてをCMだけの効果と断定することはできません。サービス内容の進化や社会の防犯意識など、複数の要因を合わせて見る必要があります。
セコムが長嶋さんを起用した理由は、知名度の高さだけではありません。1971年の「鉄壁の守り」という原点から、1990年代の家庭向け広告、そして「セコム、してますか?」という言葉まで、一貫して「守る」という価値を伝えられる人物だったことが、長い関係を支えたと考えられます。
【大谷翔平と夢の共演】2025年のセコムCMは何が特別だったのか
2025年に公開されたセコムのCM「夢の対決」編は、長嶋さんと大谷翔平選手が時代を超えて共演する作品です。長嶋さんの逝去前に制作されたこのCMは、長年のアンバサダーから新たな時代の顔へとつながる、セコムの広告史における象徴的な企画になりました。
セコムの公式特設サイトによると、映像では大谷選手がピッチャーマウンドに立ち、現役時代の長嶋さんがバッターボックスで対峙します。長嶋さんの姿は、過去の資料をもとに、ご本人の意見も取り入れてCGで再現されました。
ここで重要なのは、実際に現役時代の長嶋さんと大谷選手が同じ場所で撮影したわけではないという点です。映像技術を使って、異なる時代を代表する野球選手の対決を実現しています。CMの締めくくりでは、二人が「セコム、してますか?」のフレーズで声の共演も果たしました。
この企画には、野球の歴史をつなぐ意味もあります。長嶋さんは現役時代にアメリカから移籍の打診を受けたことがあり、現在アメリカで活躍する大谷選手との対決は、実現しなかった過去と現在の野球界を重ねる演出になっています。セコムの公式サイトも、こうした時代を超えた共演を「夢の対決」として紹介しています。
大谷選手はセコムのアンバサダーにも就任し、「挑戦を支える、安心をつくる。」というメッセージを掲げました。公式特設サイトに掲載された大谷選手のメッセージでは、長嶋さんをはじめとする先輩たちがセコムの顔を務めてきたことに触れ、自身もその存在になれるよう挑戦を続けたいという趣旨が語られています。
長嶋さんの長年の実績を単に懐かしむだけでなく、次世代のアンバサダーへとバトンをつなぐ。2025年のCMは、セコムが積み重ねてきたブランドの歴史と、新たな広告展開を一つの映像で結びつけた作品です。
【2025年の逝去後】セコム広告は継続使用へ、東京ドームでは15種類を特別掲出
2025年6月3日、長嶋茂雄さんが逝去しました。セコムは同日付の公式報道資料で訃報に接したことを公表し、1990年から35年間にわたりブランドアンバサダーを務めた長嶋さんへの感謝と哀悼の意を示しました。
同じ発表でセコムは、長嶋さんのご家族と所属事務所の承諾を得て、広告を引き続き使用する方針を明らかにしています。長年の広告出演への感謝を示すとともに、長嶋さんとセコムの関係を大切に引き継ぐ判断でした。
ただし、広告の継続使用とは、すべての過去CMが2026年もテレビで常時放送されているという意味ではありません。公式に示されたのは広告を継続使用する方針であり、実際の放送や掲出は媒体や時期によって異なります。2026年10月時点では、セコムの公式メモリアルサイトやCMライブラリーで、長嶋さんの歩みや歴代作品を確認できます。
逝去後の追悼を象徴する出来事の一つが、東京ドームでの特別広告です。セコムは2025年6月17日から29日まで、読売巨人軍の公式戦に合わせ、メインビジョンの広告面に長嶋さんの歴代広告デザイン15種類を特別掲出しました。セコムの公式発表では、哀悼の意と感謝の気持ちを表す企画として説明されています。
東京ドームと長嶋さんの広告には、さらに長い歴史があります。セコムの公式メモリアルサイトによると、ビッグボードへの掲出は1994年に始まりました。長嶋さんの広告は球場の風景の一部として親しまれ、同社の歴史を象徴する存在になっていました。
また、この看板には本塁打を当てた選手にセコムから賞金100万円が贈られる仕組みもありました。公式メモリアルサイトは、これまでに11人の選手が計14本の本塁打を当てたと記録しています。広告が単なる看板にとどまらず、野球ファンが球場で注目する対象になっていたことが分かります。
なお、2025年6月17日から29日までの15種類の特別掲出は、期間を区切った追悼企画です。これを2026年現在も同じデザインが同じ形で掲出されているという意味に読み替えることはできません。歴代広告の記録と、特定期間の追悼広告は分けて理解する必要があります。
【評判と評価】長嶋茂雄のセコムCMが長く記憶される理由
長嶋さんのセコムCMが広く知られる理由は、広告の中身と出演者のイメージが強く結びついていたことにあります。長嶋さんは野球界を代表する存在として知られ、その明るい表情や独特の語り口が、セキュリティという堅いテーマに親しみやすさを加えました。
セコムの公式資料では、1971年の「鉄壁の守り」編が好評を博し、当時の日本警備保障の認知度向上に貢献したとされています。その後も、波の上を走る「社会の荒波」編、リャマと共演する作品、ストップモーションアニメーションを用いた「長嶋さん人形」編など、映像表現を変えながら長嶋さんの存在感を生かしてきました。
報道でも、2025年の訃報を受けて「セコム、してますか?」のフレーズが改めて取り上げられ、長年親しまれたCMへの懐かしさや、東京ドームの看板を残してほしいという趣旨の反応が紹介されました。こうした反応は、長嶋さんの広告が商品や企業名の認知を超え、野球観戦の記憶や日常生活の風景とも結びついていたことを示しています。
一方、CMの評判を厳密に評価する場合には、知名度や好感度、購買行動への影響を区別する必要があります。公開資料から確認できるのは、長期にわたる起用実績、公式が説明する広告の評価、そして報道で紹介された追悼の反応です。CM単独の効果を示す統一的な評価スコアや、長嶋さんの出演だけを原因とする契約増加率が公表されているわけではありません。
それでも、1971年の初出演から1990年の再起用、1991年のキャッチフレーズ誕生、1994年以降の東京ドーム広告、そして2025年の大谷選手との共演まで、長嶋さんの存在が広告の中心にあり続けた事実には大きな意味があります。企業が伝えたい価値と、出演者が持つ社会的なイメージが一致していたことが、長期的なブランド形成につながったと考えられます。
長嶋さんとセコムの関係をさらに知りたい場合は、セコム公式の「長嶋茂雄メモリアルサイト」と「セコムCMライブラリー」が参考になります。作品の年代だけでなく、制作の舞台裏や東京ドームの広告の変遷まで確認できるため、断片的な動画やSNS上の情報だけでは見えにくい全体像を把握できます。
【セコム長嶋茂雄】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:長嶋茂雄がセコムのCMに初出演したのは何年ですか?
A1:セコムの公式メモリアルサイトによると、初出演は1971年の「鉄壁の守り」編です。1990年はブランドアンバサダーに就任した年であり、初出演とは区別されます。
Q2:「セコム、してますか?」はいつ誕生したのですか?
A2:1991年に放送された「笑顔」編と「連鎖反応」編で誕生しました。セコムの公式資料では、このフレーズが「セコムする」という言葉の浸透につながったと説明されています。
Q3:長嶋茂雄はセコムのCMに何本出演しましたか?
A3:2025年6月3日のセコムの訃報発表では30本とされています。公式メモリアルサイトでは、派生作品を含めて30本以上と紹介されているため、集計の範囲によって表現が異なります。
Q4:大谷翔平と長嶋茂雄は本当にCMで共演したのですか?
A4:はい。2025年の「夢の対決」編で共演しました。ただし、現役時代の長嶋さんは過去の資料とご本人の意見をもとにCGで再現されており、二人が同じ場所で撮影したものではありません。CMの最後には「セコム、してますか?」の声の共演もあります。
Q5:長嶋茂雄の逝去後もセコムの広告は使用されていますか?
A5:セコムは2025年6月3日、ご家族と所属事務所の承諾を得て広告を引き続き使用する方針を公式発表しました。2026年10月時点でも公式メモリアルサイトやCMライブラリーで関連資料を確認できますが、すべての過去CMがテレビで常時放送されているという意味ではありません。
Q6:東京ドームの長嶋茂雄のセコム広告は、いつから掲出されていますか?
A6:セコムの公式メモリアルサイトによると、掲出開始は1994年です。2025年6月17日から29日には、長嶋さんへの追悼と感謝を込めて、歴代広告デザイン15種類が東京ドームのメインビジョンに特別掲出されました。
【プロの結論】セコムと長嶋茂雄の関係から見える、ブランド広告の本質
セコムと長嶋茂雄さんの関係は、単なる長期CM契約ではありません。1971年の「鉄壁の守り」編で始まった縁は、1990年のブランドアンバサダー就任、1991年の「セコム、してますか?」の誕生、東京ドームの広告、そして大谷翔平選手との「夢の対決」へと続きました。
2025年6月3日の逝去後、セコムが広告の継続使用を決めたことも、この関係の長さを物語っています。広告の価値は、放送された本数や出演期間だけで測れるものではありません。企業が伝えたい「守る」という価値を、長嶋さんという人物の信頼感と結びつけ、世代を超えて思い出せる言葉や映像にした点に特徴があります。
2026年にこのテーマを調べる際の判断基準は、1971年の初出演と1990年のアンバサダー就任を混同しないこと、2025年の追悼広告と現在の広告展開を区別すること、そしてCMの評判と実際の販売・契約実績を同一視しないことです。セコム公式メモリアルサイト、公式報道資料、CMライブラリーを照合すれば、長嶋さんとセコムの歩みをより正確に理解できます。
「セコム、してますか?」という言葉が今も記憶に残るのは、短いコピーの力だけではありません。半世紀以上にわたる企業と人物の関係、野球ファンの記憶、そして暮らしの安全を守るというメッセージが、一つの広告に重なっていたからです。