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【死因の真相】はしだのりひこさんはパーキンソン病で亡くなった

黒瀬 亮 黒瀬 亮 • 更新: • 公開: • 読了約 15 分
目次

はしだのりひこさんの死因について、2017年12月3日付の日刊スポーツやスポーツニッポンは、パーキンソン病のため京都市内の病院で亡くなったと報じています。

亡くなったのは2017年12月2日午前1時16分。享年72歳でした。

本名は端田宣彦(はしだ・のぶひこ)。フォークグループ「ザ・フォーク・クルセダーズ」の元メンバーとして知られ、音楽活動を通じて日本のフォークソング史に足跡を残した人物です。

注目したいのは、パーキンソン病だけでなく、亡くなる約7か月前に急性骨髄性白血病と診断されていたことです。

2017年12月5日付の日刊スポーツは、長女の説明をもとに、白血病の治療経過や晩年の病状を詳しく伝えています。

つまり、報道上の死因はパーキンソン病ですが、最晩年には白血病も重なり、身体への負担が大きくなっていたのです。

【約20年の闘病】パーキンソン病で車いす生活になった経緯

はしだのりひこ死因

はしださんがパーキンソン病を患ったのは、亡くなる約20年前とされています。

2017年12月5日付の日刊スポーツによると、長女は約20年前から病気を患っていたと説明しています。

パーキンソン病は、脳内の神経伝達物質であるドパミンに関わる神経細胞が減少することで、身体の動きにさまざまな影響が出る進行性の神経疾患です。

代表的な症状には、手足の震え、筋肉のこわばり、動作の遅れ、姿勢や歩行の障害などがあります。

はしださんの場合も、長い闘病生活のなかで身体機能が低下し、晩年には車いすで療養する生活を送っていました。

闘病開始時期には約10年と約20年の報道がある

実は、パーキンソン病の闘病期間については、報道によって表現に違いがあります。

2017年12月3日付のデイリースポーツや日刊スポーツの初期報道では、約10年前から患っていたとする記述が見られます。

一方、12月5日の通夜で長女が説明した内容を伝えた日刊スポーツは、約20年前からの闘病と報道しました。

加えて、12月13日付の日刊スポーツも約20年前から患っていたと伝えています。

家族による説明を踏まえると、約20年という期間が、はしださんの長い闘病を理解するうえで重要な情報です。

夫人を亡くした頃から体調が悪化

長女の説明によると、はしださんは9年前に夫人を亡くした頃から、パーキンソン病の症状が悪化したとされています。

長年にわたる療養生活のなかで、音楽活動の機会も減少しました。

それでも音楽への情熱は失われていませんでした。

日刊スポーツは、闘病中も体調の良いときには好きな歌を口ずさんでいたという長女の話を紹介しています。

病気によってステージから遠ざかっても、歌は生活の一部として残り続けていたのです。

【急性骨髄性白血病】2017年5月の発症と死因との関係

はしださんの最晩年を理解するうえで、もう一つ欠かせないのが急性骨髄性白血病です。

長女の説明を伝えた日刊スポーツによると、はしださんは2017年4月の最後のステージを終えた後、同年5月に急性骨髄性白血病と診断されました。

急性骨髄性白血病は、血液をつくる骨髄の細胞ががん化する病気です。正常な血液細胞が十分につくられなくなり、貧血や感染症、出血などにつながることがあります。

抗がん剤治療を選択した本人の意思

白血病と診断された際、はしださんは化学療法を受けるか、緩和ケアを選ぶかという判断を迫られたと報じられています。

長女は、本人が「わしは闘う」と話して抗がん剤治療を受けたと振り返りました。

治療によって、いったん白血病の症状は落ち着いたとされています。

しかし、治療後には抵抗力が弱まり、長年患っていたパーキンソン病の症状が悪化しました。

さらに2017年10月頃には白血病の症状が再び現れ、同月下旬から緩和ケア病棟へ移ったと日刊スポーツが報じています。

白血病が直接の死因だったのか?

ここは検索する人が特に混乱しやすい部分です。

整理すると、次のようになります。

- パーキンソン病:約20年にわたって闘病していた病気
- 急性骨髄性白血病:2017年5月に診断された病気
- 抗がん剤治療:本人が希望して受けた治療
- 2017年10月:白血病の症状が再び現れ、緩和ケアへ移行
- 2017年12月2日:パーキンソン病のため死去と報道

したがって、急性骨髄性白血病の発症は事実ですが、当時の死亡報道で死因として伝えられたのはパーキンソン病です。

白血病の治療が身体に与えた影響や、複数の病気が最期の状態にどの程度関係したかについては、報道された経過と医学的な直接死因を混同しないことが大切です。

【闘病の時系列】2017年の最期までに何があったのか

はしださんの晩年は、2017年4月のステージ出演から、5月の白血病診断、10月の緩和ケアへの移行、12月の死去へと進んでいきました。

主な出来事を時系列で整理します。

時期 出来事 詳細
約20年前 パーキンソン病を発症 長期間にわたる闘病生活が始まる
約9年前 夫人との死別 長女によると、この頃から体調が悪化
2017年4月23日 最後のステージ 京都市内のコンサートに車いすで出演
2017年5月 急性骨髄性白血病と診断 抗がん剤治療を開始
2017年夏頃 治療による変化 白血病の症状はいったん落ち着く
2017年10月頃 病状が再び悪化 白血病の症状が再出現
2017年10月下旬 緩和ケアへ移行 緩和ケア病棟に入る
2017年12月2日 死去 京都市内の病院で72歳で亡くなる

この経過は、2017年12月5日付の日刊スポーツによる長女の説明と、同月13日付の同紙の報道に基づいています。

特に重要なのは、2017年4月のステージ出演が、白血病と診断される直前の出来事だったことです。

【最後のステージ】2017年4月23日に京都で歌った名曲

はしださんが最後に公のステージに立ったのは、2017年4月23日でした。

会場は京都市内で開催された「京都フォーク・デイズ・ライブ」です。

このコンサートは、盟友きたやまおさむさんからの誘いを受けて出演したものでした。

長く表舞台から離れていたはしださんは、当日、車いすとサングラス姿で登場しました。

共演したのは、きたやまおさむさんや杉田二郎さんら、長年の音楽仲間です。

「風」と「あの素晴しい愛をもう一度」を披露

日刊スポーツの報道によると、はしださんはステージで「風」や「あの素晴しい愛をもう一度」などを歌いました。

スポーツニッポンは、この公演で約20分間にわたり4曲を披露したと伝えています。

また、日刊スポーツは、はしださんが観客に「今日が最後の歌唱です」と語りかけたことも報じました。

この言葉は、長年の闘病を続けてきた本人が、自分の状態と向き合いながらステージに立っていたことを感じさせます。

きたやまおさむとの45年ぶりの共演

このステージには、もう一つ特別な意味がありました。

はしださんときたやまおさむさんが、約45年ぶりに共演したのです。

二人はザ・フォーク・クルセダーズ時代から音楽をともにしてきた仲間でした。

長い時間を経て、再び京都のステージで「風」を歌ったことは、はしださんの音楽人生を振り返るうえでも印象深い出来事です。

この出演後、5月には急性骨髄性白血病と診断されました。

2017年4月23日のステージは、結果として、はしださんがファンの前で歌った最後の公演となりました。

【音楽人生と代表曲】ザ・フォーク・クルセダーズから「花嫁」まで

はしだのりひこさんは、1945年1月7日、京都市に生まれました。

本名は端田宣彦です。

同志社大学在学中に音楽活動を行い、1967年にザ・フォーク・クルセダーズへ参加しました。

ユニバーサル ミュージックの公式バイオグラフィーでも、1967年のプロデビュー時に、はしださんがメンバーとして加わった経緯が紹介されています。

グループは「帰って来たヨッパライ」や「悲しくてやりきれない」などのヒット曲で知られています。

その後、はしださんは複数のグループを結成し、音楽活動を続けました。

特に「はしだのりひことシューベルツ」として発表した「風」は代表曲の一つです。

さらに「はしだのりひことクライマックス」では「花嫁」がヒットし、1971年にはNHK紅白歌合戦にも出場しました。

代表的な活動と楽曲を整理すると、次のようになります。

時期 グループ・活動 代表的な楽曲・実績
1967年 ザ・フォーク・クルセダーズ 「帰って来たヨッパライ」
1968年以降 はしだのりひことシューベルツ 「風」
1970年以降 はしだのりひことクライマックス 「花嫁」
1971年 NHK紅白歌合戦 「花嫁」で初出場
その後 エンドレス、ソロ活動など 音楽活動を継続
2017年4月 最後のステージ 京都フォーク・デイズ・ライブ

「悲しくてやりきれない」はフォークル時代を代表する楽曲であり、「風」「花嫁」は、はしださんがその後の活動で残した代表曲です。

それぞれの楽曲が異なる時代の音楽活動と結びついている点も、彼のキャリアの特徴です。

【盟友たちの追悼】きたやまおさむ・杉田二郎が語った人柄

2017年12月2日の訃報を受け、音楽仲間からも追悼の言葉が寄せられました。

特に注目されたのが、最後のステージで共演したきたやまおさむさんと杉田二郎さんのコメントです。

きたやまおさむの追悼コメント

きたやまさんは、2017年12月3日付のデイリースポーツで、最後の共演について振り返っています。

二人でつくった楽曲「風」を春の京都のコンサートで歌ったことに触れ、長い闘病生活を送ったはしださんに対して、次のような言葉を寄せました。

長い闘病生活だったが、ノリちゃん、本当にお疲れさま。

加えて、はしださんを「素晴らしいメロディーメーカー」と称賛し、作品への感謝を伝えています。

長年の音楽仲間だからこそ語ることのできる、深い敬意が感じられるコメントです。

杉田二郎が明かした音楽家としての存在感

杉田二郎さんも、最後のステージで共演したことを振り返っています。

杉田さんは、はしださんについて、自分の音楽活動にとって欠かせない存在だったと説明しました。

また、シューベルツの代表曲「風」を今後も歌い続けていきたいという思いを示しています。

このコメントからは、はしださんが単にヒット曲を残した歌手ではなく、仲間の音楽人生にも大きな影響を与えた人物だったことが伝わります。

2017年12月5日の通夜では、愛用のギターや手書きの歌詞カードなどが飾られ、「風」「花嫁」「悲しくてやりきれない」などの楽曲が流されました。

最後の別れの場が音楽葬となったことも、音楽とともに生きたはしださんの人生を象徴しています。


【はしだのりひこの死因】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:はしだのりひこさんの死因は何ですか?

A1:2017年12月2日、パーキンソン病のため京都市内の病院で亡くなったと報じられています。享年72歳でした。

Q2:はしだのりひこさんは白血病も患っていたのですか?

A2:はい。2017年5月に急性骨髄性白血病と診断され、抗がん剤治療を受けていました。いったん症状は落ち着いたものの、10月頃に再び症状が現れ、緩和ケアに移行したと報じられています。

Q3:パーキンソン病の闘病期間は何年ですか?

A3:長女の説明を伝えた報道では約20年です。ただし、初期の訃報記事には約10年前からとする記述もあります。

Q4:はしだのりひこさんの本名は何ですか?

A4:端田宣彦(はしだ・のぶひこ)です。芸名の「はしだのりひこ」とは読み方が異なるわけではなく、漢字表記が本名です。

Q5:最後のステージはいつでしたか?

A5:2017年4月23日です。京都市内の「京都フォーク・デイズ・ライブ」に車いすで出演し、きたやまおさむさんや杉田二郎さんらと共演しました。

Q6:代表曲には何がありますか?

A6:「風」「花嫁」「悲しくてやりきれない」「帰って来たヨッパライ」などが知られています。ザ・フォーク・クルセダーズ時代と、その後のグループ活動の両方に代表的な作品があります。

まとめ:はしだのりひこさんの死因と音楽に残した足跡

はしだのりひこさんは、2017年12月2日、72歳で亡くなりました。報道された死因はパーキンソン病です。

約20年にわたって病気と闘い、晩年には車いすでの療養生活を送っていました。さらに2017年5月には急性骨髄性白血病と診断され、抗がん剤治療を受けることになります。

白血病の症状が一時落ち着いた後も、パーキンソン病の悪化や白血病の再発が重なり、10月下旬には緩和ケアへ移行しました。

それでも、亡くなる約8か月前の2017年4月23日には、京都で最後のステージに立っています。

きたやまおさむさんや杉田二郎さんらとの共演で歌った「風」や「あの素晴しい愛をもう一度」は、長年の音楽仲間と過ごした最後の公の舞台となりました。

「帰って来たヨッパライ」「風」「花嫁」「悲しくてやりきれない」など、時代を超えて歌い継がれる楽曲は、2026年現在もはしだのりひこさんの音楽的な足跡として残っています。

死因や闘病の経緯を正しく理解することは、最晩年の姿だけでなく、一人の音楽家が残した作品と人生を振り返ることにもつながります。

主な報道・資料
- 日刊スポーツ(2017年12月3日):死去と最後のステージについて。
- 日刊スポーツ(2017年12月5日):長女が語った闘病経過と白血病治療について。
- デイリースポーツ(2017年12月3日):きたやまおさむさん、杉田二郎さんの追悼コメント。
- ユニバーサル ミュージック:ザ・フォーク・クルセダーズの公式バイオグラフィー。

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