松谷竜二郎さんは、読売ジャイアンツと近鉄バファローズでプレーした元プロ野球投手であり、2026年現在は建設会社スチールエンジホールディングス株式会社の代表取締役を務めています。1988年のドラフト2位で巨人に入団し、イースタン・リーグで2度のノーヒットノーランを達成した一方、右肩の故障に苦しみ、1997年に現役生活を終えました。
引退後は建設業界に転身し、現場で経験を積んだ後、2003年に社長へ就任。2026年7月のTHE ANSWERによるインタビュー報道では、会社経営に加え、大阪市の鶴浜緑地を拠点とするスポーツ振興プロジェクトや社会人野球チームの構想も明らかになりました。野球選手から経営者へ、松谷さんが歩んできた経歴と現在の活動を時系列で整理します。
【この記事の重要ポイントまとめ】
- 現在の肩書:建設会社スチールエンジグループの代表取締役。2026年にはスポーツ施設の整備・運営に向けた新たな計画が進展。
- 現役時代:1988年ドラフト2位で巨人に入団。近鉄でもプレーし、イースタン・リーグで史上初となる2度のノーヒットノーランを記録。
- 引退後の歩み:右肩の故障を経て建設業界へ転身。2003年の社長就任後、会社の成長と野球界への貢献に取り組んでいる。
【プロフィール】松谷竜二郎とはどんな人物?ドラフト2位で巨人に入団した投手

松谷竜二郎さんは、大阪府出身の元プロ野球選手です。大阪市立高校から社会人野球の大阪ガスへ進み、1988年のドラフト会議で読売ジャイアンツから2位指名を受けました。プロ入り前から社会人野球で経験を積んだ右投右打の投手です。
日本野球機構(NPB)の公式選手データによると、生年月日は1964年7月10日。2026年10月現在、62歳です。身長182センチ、体重81キロで、巨人と近鉄の2球団に在籍しました。
巨人への入団当時、チームには斎藤雅樹さん、槙原寛己さん、桑田真澄さんら実績豊富な投手がそろっていました。その競争の激しい投手陣の中で、松谷さんは新人ながら開幕1軍入りを果たしています。
ただし、ドラフト2位という高い評価が、そのまま1軍での長期的な活躍につながったわけではありません。プロ通算成績は59試合登板、4勝4敗1セーブ。華々しいスター選手として知られるタイプではなかったものの、ファームで残した記録は現在も注目すべき実績です。
【経歴・年表】巨人、近鉄から引退後の社長就任までを時系列で整理
松谷さんの経歴を理解するうえで重要なのは、プロ野球選手としての9年間と、引退後の建設業界でのキャリアを切り分けて見ることです。現役時代に積み重ねた実績と、引退後に身につけた実務能力が、現在の経営者としての立場につながっています。
| 時期 | 主な出来事 | ポイント |
|---|---|---|
| 1964年7月10日 | 大阪府で生まれる | 右投右打の投手 |
| 高校卒業後 | 大阪ガスに入社 | 社会人野球で経験を積む |
| 1988年 | 巨人からドラフト2位指名 | プロ野球選手としてのキャリアをスタート |
| 1989年 | 巨人で1軍公式戦に出場 | 新人ながら開幕1軍入り |
| 1991年 | 巨人で1軍21試合に登板 | 2勝1セーブを記録 |
| 1995年3月 | 近鉄バファローズへ移籍 | 新たな環境で再起を目指す |
| 1997年 | 戦力外通告を受ける | 右肩の故障が現役続行に影響 |
| 引退後 | 建設業界へ転身 | 現場や営業の仕事を通じて実務を学ぶ |
| 2003年 | スチールエンジの代表取締役に就任 | 経営者としてのキャリアが本格化 |
| 2024年 | スチールエンジホールディングスを設立 | グループ経営の体制を整える |
| 2026年5月28日 | 鶴浜緑地の事業予定者に選定 | スポーツ施設整備や社会人野球構想が進展 |
NPBの年度別成績では、松谷さんは1991年に21試合に登板し、2勝2敗1セーブを記録しています。1992年には6試合で1勝、防御率1.04を残しました。登板数は年度によって変動しており、安定して1軍の主力を務め続けたわけではありません。
一方、ファームでは特筆すべき実績を残しました。2026年版のNPBセカンドキャリア特集「NEW BALL」では、松谷さんがイースタン・リーグで史上初となる2度のノーヒットノーランを達成したことが紹介されています。1軍での通算成績だけでは見えにくい、投手としての能力を示す記録です。
1995年3月には近鉄バファローズへ移籍しました。しかし、1997年に戦力外通告を受け、肩の故障も重なって現役生活に終止符を打ちます。その後、建設会社での仕事を経て、2003年に代表取締役へ就任。野球界とは異なる環境で、長期的なキャリアを築いていきました。
【引退理由】右肩の故障と戦力外通告、台湾での入団テスト
松谷竜二郎さんの引退理由として大きかったのが、右肩の故障です。1995年に近鉄へ移籍した後、在籍3年目の春に肩を痛めました。NPBのセカンドキャリア特集によると、故障の影響で1軍のマウンドに再び上がることができないまま、1997年に戦力外通告を受けています。
ただ、戦力外通告を受けた時点で、すぐに野球を諦めたわけではありません。松谷さんは現役続行の可能性を探り、横浜ベイスターズの入団テストにも参加しました。しかし、右肩は回復しておらず、テストを最後まで受けられなかったといいます。
その後、巨人で打撃コーチや2軍監督などを務めた末次利光さんに相談し、台湾プロ野球の入団テストを受ける機会を得ます。ところが、台湾の球団が助っ人外国人選手に期待する球速を出せず、契約には至りませんでした。
車のハンドルを切る動作でも肩が痛むほどだったという当時の状況は、2026年のNPBセカンドキャリア特集で紹介されています。単に成績が伸び悩んだから引退したのではなく、故障によって投手として必要な能力を発揮できず、国内外での再挑戦も実を結ばなかったことが、現役生活を終える背景にありました。
また、松谷さんは引退後、野球界に残る道も検討しましたが、肩の状態などを踏まえて別の仕事を選ぶ方向へ進みました。幼い頃から野球一筋だった本人にとって、競技を離れることは大きな転換だったと、同特集で振り返っています。
【引退後の経緯】建設業界へ転身し、39歳で社長になった理由
松谷さんのセカンドキャリアは、最初から経営者になることを目指したものではありません。引退後、野球時代の監督やコーチの紹介を通じて建設会社に就職したことが、新たな人生の出発点になりました。
2026年7月のTHE ANSWERによるインタビュー報道では、当時34歳だった松谷さんが、建設業の知識も実務経験もほとんどない状態で仕事を始めた経緯が詳しく伝えられています。現場では自分より年下の職人から仕事を教わり、顧客とのやり取りでも、その場で判断できるだけの知識を身につける必要がありました。
プロ野球選手としての知名度が、必ずしも仕事上の信頼に直結するわけではありません。現場の職人や取引先にとって大切なのは、野球で何を成し遂げたかよりも、目の前の仕事を理解し、約束を守り、適切に対応できるかどうかです。
松谷さんも、失敗を重ねながら仕事を覚え、現場で信頼を得ていったと語っています。プロ野球の世界では実績や能力が評価の中心になりますが、建設業では専門知識、現場対応、顧客との関係構築など、異なる能力が大切です。
その後、最初に勤めた会社の業績不振をきっかけに別の会社へ移り、床版工事などを扱う専門部門の営業や現場業務を経験しました。そして2003年、39歳でスチールエンジの代表取締役に就任します。
本人のインタビューによると、社長就任は自ら強く希望していたというより、会社関係者や取引先から期待され、引き受けることになったものでした。就任後は営業や現場で培った経験を生かし、事業の拡大と組織づくりに取り組んでいます。
この転身で注目したいのは、元プロ野球選手という肩書を前面に出すことよりも、仕事を一から覚え、周囲の信頼を積み上げることを重視した点です。松谷さんのキャリアは、競技経験がそのまま経営能力になるわけではなく、別の分野で成果を出すには新たな学習と実績が必要であることを示しています。
【会社業績・年収】スチールエンジはどんな会社?売上規模と経営の実態
松谷さんが率いるスチールエンジ株式会社は、鉄骨工事、床板工事、金物工事などを手がける建設会社です。会社の公式情報では、1991年5月設立で、東京都中央区八丁堀に本社を置いています。建設工事の請負に加え、建築材料の販売なども事業に含まれます。
建設業界では、現場を動かす技術力だけでなく、工期や安全管理、資材の調達、取引先との調整など、複数の要素を組み合わせて事業を運営する必要があります。松谷さんが現場と営業の双方を経験してから社長に就任したことは、こうした事業の特性とも結びつきます。
2026年7月のTHE ANSWERの報道では、2024年12月時点のスチールエンジ単体の売上高は約150億円、グループ全体では約250億円とされています。また、グループ全体で正社員約200人を抱える規模に成長したと報じられています。
ここで区別したいのは、会社の売上高と社長個人の年収は別の数字だという点です。売上高は企業が事業活動で得た収入の総額であり、そこから材料費、人件費、外注費、その他の経費などが差し引かれます。売上規模だけで会社の利益や社長個人の報酬を判断することはできません。
松谷竜二郎さん個人の年収については、信頼できる公開資料で具体的な金額を確認できません。会社の売上高やグループの規模から、役員報酬を逆算することもできません。年収を知りたい場合は、本人や会社による公表、あるいは報酬額を裏づける信頼性の高い資料があるかどうかが判断基準になります。
なお、スチールエンジホールディングス株式会社は2024年に設立されています。事業会社としてのスチールエンジと、グループ全体の経営を担う持株会社を区別することで、松谷さんが率いる企業の構造を理解しやすくなります。
【2026年最新】松谷竜二郎の現在は?鶴浜緑地のスポーツ事業と野球界への貢献
2026年現在、松谷さんは会社経営に加え、スポーツを通じた地域活性化にも取り組んでいます。大きな動きとなったのが、大阪市大正区鶴町にある鶴浜緑地の魅力創造・管理運営事業です。
THE ANSWERの2026年7月17日付報道によると、大阪市は同年5月28日、同事業の運営事業者について、松谷さんが率いるスチールエンジグループを事業予定者に選定したと発表しました。計画には、野球場、人工芝コート、屋内人工芝パーク、アーバンスポーツコート、緑地公園などの整備が含まれています。
スポーツ施設だけでなく、多目的イベント広場やバーベキュー場も設け、子どもから高齢者まで幅広い世代が楽しめる場所を目指す構想です。野球やサッカー、スケートボードなどを楽しめる環境をつくり、スポーツをきっかけに人が集まる地域づくりを目指しています。
加えて、松谷さんは社会人野球チームの立ち上げも構想しています。プロ野球の球団を保有するのではなく、企業スポーツとして野球を続けられる場をつくり、競技経験者が仕事と野球を両立できる仕組みを目指す考えです。
ただし、2026年7月の報道で明らかになったのは、事業予定者への選定と今後の計画です。施設の完成や社会人野球チームの正式発足がすでに実現したという意味ではありません。チームを運営するには、球場の確保だけでなく、選手の雇用、練習環境、協力企業の確保なども必要です。
松谷さんは、社会人野球の魅力を知る立場から、プロとアマチュアの垣根を越えた支援を目指しています。大阪ガス時代には都市対抗野球に3回出場しており、社会人野球が競技と仕事を両立する仕組みであることを、自らの経験として理解しています。
このプロジェクトは、単なるスポーツ施設の整備にとどまりません。元プロ野球選手が経営者として培った事業運営の経験を生かし、野球を続ける人材や地域のスポーツ文化を支える仕組みをつくろうとする試みです。2026年の松谷さんを理解するうえで、会社経営と並ぶ重要なテーマになっています。
【プロの結論】松谷竜二郎のセカンドキャリアから見える3つのポイント
松谷さんの歩みから見えてくるのは、プロ野球での実績と、引退後の社会人としての成功は、同じ尺度では測れないということです。1軍での通算成績だけを見ると、4勝4敗1セーブという数字が残ります。しかし、その後のキャリアをたどると、競技を離れてからの学習と実務経験が、現在の経営者としての立場を支えていることが分かります。
第一に、競技で培った力は、別の分野で学び直すことで生きるという点です。松谷さんは建設業の知識がない状態から現場に入り、失敗を重ねながら仕事を覚えました。野球での経験は、新しい仕事を始めるための土台にはなっても、専門知識や顧客の信頼を自動的に与えてくれるものではありません。
第二に、肩書よりも実務での信頼がキャリアを形づくるという点です。松谷さんが仕事を始めた当初、現場の職人たちは彼を元プロ野球選手として特別扱いしたわけではありません。目の前の仕事を理解し、誠実に対応することを積み重ねた結果、周囲との関係が築かれていきました。
第三に、セカンドキャリアは個人の再就職にとどまらず、次の世代の選択肢をつくる活動にも発展し得るという点です。2026年の鶴浜緑地プロジェクトや社会人野球チームの構想は、松谷さんが自身の経験を、競技を続けたい人や地域のスポーツ環境へ還元しようとする取り組みです。
元プロ野球選手の引退後には、指導者、解説者、営業職、企業経営者などさまざまな道があります。どの道が正解かは、本人の希望や適性、健康状態、経済状況によって異なります。松谷さんの事例から学べるのは、現役時代の肩書に頼り切るのではなく、新しい分野で経験を積み、仕事上の信用を獲得していくことの重要性です。
【松谷竜二郎】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:松谷竜二郎は2026年現在、何をしていますか?
A1:建設会社スチールエンジホールディングス株式会社の代表取締役を務めています。2026年には、大阪市の鶴浜緑地の魅力創造・管理運営事業で事業予定者に選定されたほか、社会人野球チームの立ち上げも構想しています。
Q2:松谷竜二郎の引退理由は右肩の故障ですか?
A2:右肩の故障が大きな要因です。1997年に戦力外通告を受けた後も横浜ベイスターズや台湾プロ野球の入団テストに挑戦しましたが、肩の状態や投球面の問題から契約には至らず、現役生活を終えました。
Q3:松谷竜二郎はノーヒットノーランを達成したことがありますか?
A3:はい。NPBのセカンドキャリア特集では、イースタン・リーグで史上初となる2度のノーヒットノーランを達成したと紹介されています。これは1軍公式戦ではなく、ファームでの記録です。
Q4:松谷竜二郎はいつ社長に就任しましたか?
A4:2003年です。引退後に建設会社へ就職し、現場や営業で経験を積んだ後、39歳でスチールエンジの代表取締役に就任しました。
Q5:松谷竜二郎の年収はいくらですか?
A5:本人の年収や役員報酬について、具体的な金額を確認できる信頼性の高い公開資料は見当たりません。2026年の報道では、2024年12月時点の会社単体の売上高は約150億円、グループ全体は約250億円とされていますが、売上高から個人の年収を推定することはできません。
まとめ:松谷竜二郎の現在と今後の動向を見極めるポイント
松谷竜二郎さんは、1988年のドラフト2位で巨人に入団し、近鉄でもプレーした元プロ野球投手です。イースタン・リーグで2度のノーヒットノーランを達成した一方、右肩の故障と戦力外通告を経て、1997年に現役生活を終えました。
その後は建設業界へ転身し、現場や営業の仕事を経験して2003年に社長へ就任。2026年現在は、建設会社の経営に加えて、鶴浜緑地のスポーツ施設整備や社会人野球チームの構想を通じ、野球界や地域社会への貢献を目指しています。
今後の動向を追う際には、施設計画の進捗、社会人野球チームの正式発足、グループ事業の展開という3点が注目材料になります。年収などの個人的な数字については、企業の売上高と混同せず、公開資料で裏づけられた情報を基準に判断することが大切です。
松谷さんの歩みは、プロ野球選手としてのキャリアが終わっても、そこで人生の可能性が閉ざされるわけではないことを示しています。競技で得た経験を新しい仕事に生かし、現場で学び直し、組織を率いる立場へ進む。そして今度は、スポーツを続けたい人たちのために新たな場をつくろうとしている点に、現在の松谷竜二郎さんのキャリアの特徴があります。