ラッパーのCHICO CARLITO(チコカリート)の大学はどこなのか。早稲田大学を目指した受験生活や浪人時代、沖縄尚学高校での学生生活、そしてラッパー・唾奇との出会いが気になっている人も多いはずだ。
本人のインタビューでは、早稲田大学の入試であと3点届かず、一浪して別の大学に進学した経緯が語られている。一方、進学先については獨協大学と紹介するプロフィール記事もあるものの、本人の発言と大学名の公表状況は分けて考える必要がある。2026年にはアルバム『紅碧』のリリースや大型MCバトルでの優勝もあり、現在の活動から学生時代までを振り返ると、そのキャリアの転換点が見えてくる。
【この記事の重要ポイントまとめ】
- 大学名の公表状況:本人はインタビューで早稲田大学への不合格と別の大学への進学を明かしている。獨協大学とするプロフィール情報もあるが、本人による大学名の明言とは区別したい。
- 浪人時代の転機:早稲田大学を目指して浪人していた2012年、唾奇との出会いやMCバトルの観戦を通じてラップの道へ進んだ。
- 2026年の現在:8月にアルバム『紅碧』をリリースし、OZworldとのタッグで『BATTLE SUMMIT III』も制覇。音源制作とバトルの両面で活動を続けている。
【結論】チコカリートの大学はどこ?進学先と公表状況を整理
チコカリートの大学について、最初に押さえたいのは「早稲田大学を志望したこと」と「実際に進学した大学」は別の話だという点だ。
2020年に掲載されたABEMA TIMESの本人インタビューで、CHICO CARLITOは早稲田大学を目指して勉強したものの、合格点にあと3点届かず、一浪して別の大学に進学したと語っている。もう一年浪人して早稲田を目指す選択肢もあったが、受験勉強については一浪でやり切ったという趣旨の説明もしている。
一方、2026年10月27日更新の音楽系プロフィール記事では、進学先を獨協大学と紹介している。ただし、これは本人のインタビューで大学名を明言したことと同義ではない。今回参照できる本人取材では、早稲田大学への受験と別の大学への進学は確認できるものの、大学名や学部、卒業の有無を本人の発言だけで確定することはできない。
したがって、学歴については、次のように整理するのが妥当だ。早稲田大学を受験したことと一浪後に別の大学へ進学したことは本人の発言に基づく情報であり、獨協大学という名称はプロフィール記事に掲載されている情報である。大学名が本人によって明確に公表されたと断定する場合には、一次情報による裏付けが必要になる。
【学歴】沖縄尚学高校から早稲田大学を目指した学生時代
CHICO CARLITOは1993年生まれ、沖縄県那覇市出身のラッパーだ。プロフィール記事では沖縄尚学高校の出身者として紹介されている。KAI-YOU Premiumの2022年の本人インタビューでは、学生時代の勉強やサッカー、音楽との関係が詳しく語られている。
本人によると、子どもの頃から勉強とサッカーが好きだった。中学時代には私立中学から公立中学へ転校した経験があり、高校でも停学処分を受けたことがあるという。高校を辞めることも考えたものの、サッカー部の顧問で英語の教師でもあった恩師に引き止められた。その後は部活動と勉強に取り組み、受験を控えた高校3年生の時期には成績を伸ばしていった。
高校3年生の時、校長から早稲田大学を目指すよう勧められたことも、本人がインタビューで振り返っている。学年で3番目の成績だったことが、その理由として伝えられたという。本人も早稲田大学を志望し、受験勉強に力を入れたが、現役合格には届かなかった。
このエピソードから見えてくるのは、最初から音楽一本で進路を決めていたわけではないということだ。学業やサッカーに取り組んでいた高校生活と、後にラッパーとして頭角を現すキャリアは、受験の失敗と浪人という時期を境に交差していく。
なお、沖縄尚学高校という出身校の情報と、大学名や卒業の有無は、それぞれ別の学歴情報として扱う必要がある。高校時代のエピソードが本人の取材で語られていることは、特定の大学を卒業した証拠にはならない。
【浪人時代】早稲田大学に落ちた理由と唾奇との出会い
チコカリートの浪人時代は、受験勉強だけの一年ではなかった。大学受験に挑む一方で、後の音楽人生につながる日本語ラップとの出会いが生まれている。
ABEMA TIMESのインタビューで本人は、早稲田大学にあと3点届かなかったことを振り返っている。一浪して別の大学に進学した理由についても、勉強に関しては一年間で力を出し切ったという趣旨で説明している。少なくとも本人の発言からは、受験勉強を続けるよりも別の進路を選んだ背景がうかがえる。
その浪人時代、2012年の那覇で出会ったのが、沖縄を代表するラッパーの一人である唾奇だった。KAI-YOU Premiumのインタビューによると、CHICO CARLITOは友人がアルバイトをしていた店によく出入りしており、そこで働いていた唾奇を通じて日本語ラップを聴くようになったという。
当時のCHICO CARLITOにとって、ヒップホップはもともと身近な音楽ではなかった。高校時代にはロックバンドを組み、ELLEGARDENやRADWIMPSなどに親しんでいた。一方、唾奇から日本語ラップを聴かせてもらったことで、それまで距離を感じていたヒップホップへの関心が変わっていった。
加えて、唾奇に連れられて訪れたMCバトルの大会も転機となった。本人は、優勝賞金10万円が懸かった大会を見て、自分にも挑戦できるのではないかと思い、その帰り道からフリースタイルを始めたと語っている。高校卒業後の進路を模索していた時期に、音楽と実践の場が結びついたのだ。
つまり、浪人の理由そのものは早稲田大学の受験結果にあり、ラップを始めたきっかけは唾奇との出会いやMCバトルの観戦にあった。この二つを混同せずに整理すると、受験から音楽へ進むまでの経緯が理解しやすい。
【経歴・年表】大学進学から上京、UMB2015優勝まで
大学進学後、CHICO CARLITOは沖縄を離れ、埼玉県草加市を拠点にラッパーとしての活動を本格化させた。2012年にラップを始め、2013年に上京。翌2014年にはMCバトル大会で優勝し、2015年には全国規模の大会で頂点に立った。
| 時期 | 主な出来事 | 経歴上の意味 |
|---|---|---|
| 高校時代 | 沖縄尚学高校出身として紹介される。サッカーや勉強に取り組む | 早稲田大学を志望するまでの学生生活 |
| 2012年 | 浪人中に唾奇と出会い、日本語ラップやMCバトルに触れる | ラップを始める転機 |
| 2013年 | 大学進学を機に埼玉県へ移り、音楽活動を本格化 | 沖縄から活動拠点を移す |
| 2014年 | 「戦極MC感謝祭 ミュージックビデオ杯」で優勝し、「C.H.I.C.O.」を発表 | バトルの実績を音源発表につなげる |
| 2015年 | 「ULTIMATE MC BATTLE GRAND CHAMPIONSHIP 2015」で優勝 | 全国的なバトルMCとして評価を確立 |
| 2016年 | 『フリースタイルダンジョン』の初代モンスターとして出演。1stアルバム『Carlito's Way』を発表 | テレビ出演と音源制作で知名度を拡大 |
| 2022年以降 | 『Sandra’s Son』などの作品を発表し、バトル以外の音楽表現も展開 | アーティストとしての表現領域を広げる |
| 2026年 | アルバム『紅碧』を発表。OZworldとのタッグで『BATTLE SUMMIT III』優勝 | 音源とMCバトルの両面で活動を継続 |
この年表で注目したいのは、大学進学と音楽活動の開始が同じ時期に重なっていることだ。音楽ナタリーのプロフィールやShure Japan Blogのインタビューでも、2013年の活動本格化と2015年のUMB優勝が主要な経歴として紹介されている。
2015年の「ULTIMATE MC BATTLE GRAND CHAMPIONSHIP」は、CHICO CARLITOのキャリアを語るうえで欠かせない大会だ。Shure Japan Blogのインタビューでは、本人が当時のバトルへの取り組みを振り返っており、全国大会での優勝に至るまでの経験が語られている。
また、2016年にはテレビ朝日系の『フリースタイルダンジョン』で初代モンスターとしてレギュラー出演した。MCバトルを通じて名前を知った視聴者が音源作品にも触れるようになり、バトルMCとしての知名度を楽曲制作へつなげる流れが生まれた。
このように、チコカリートの学歴を調べる際は、大学名だけでなく、進学後の活動にも目を向ける必要がある。大学進学のために沖縄を離れたことが、結果として音楽活動の拠点を広げる契機にもなったからだ。
【2026年最新】チコカリートの現在は?大学時代から続く音楽活動
2026年のCHICO CARLITOは、過去のMCバトル実績だけで語れるアーティストではない。アルバム制作やライブ、他のアーティストとのコラボレーションを続けながら、音源とバトルの両方で存在感を示している。
最初に、2026年8月10日には通算4枚目のアルバム『紅碧』をリリースした。Billboard JAPANのリリース情報によると、作品は全11曲で構成され、AIや田我流、OZworld、柊人、CHOUJIらが参加している。2026年8月29日にはZepp Hanedaでワンマンライブ「Red and Blue」も開催され、キャリアを重ねたアーティストとして大規模なステージに臨んだ。
MCバトルでも大きな実績を残した。2026年8月11日にKアリーナ横浜で開催された『BATTLE SUMMIT III』では、OZworldと組んで出場。ABEMAの公式発表によると、決勝でZeebraとT-Pablowのタッグを破り、優勝賞金5000万円を懸けた大会の頂点に立った。
加えて、Awich、CHICO CARLITO、ONE OK ROCK、PaleduskによるプロジェクトYAOでも活動を展開している。CDJournalの2026年9月の報道では、YAOの新曲「ありふれた世界の果てに」が9月4日に配信リリースされたと伝えられている。ラップを軸にしながらロックなど異なる音楽性とも交わる現在の活動は、バトルだけにとどまらないキャリアの広がりを示している。
大学時代の本人の発言にも、教育への関心が表れている。TV Bros. WEBのインタビューでは、大学で教育課程を履修していたことや、学校の先生になりたいと思っていた時期があったことを明かしている。一方、ライブやバトル、アルバイトなどを両立する生活では教育実習との兼ね合いが難しく、教職課程を続けることを断念したという。
このエピソードは、大学進学が単なる経歴上の一項目ではなかったことを示している。学業と音楽活動の両立を模索しながら、自分がどの道に力を注ぐのかを選び取っていった過程も、CHICO CARLITOのキャリアを理解するうえで重要だ。
【チコカリート大学】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:チコカリートの大学はどこですか?
A1:本人のインタビューでは、早稲田大学に不合格となった後、一浪して別の大学に進学したことが語られています。獨協大学と紹介するプロフィール記事もありますが、本人による大学名の明言や卒業の確認とは区別して考える必要があります。
Q2:チコカリートは早稲田大学に合格しましたか?
A2:本人のインタビューによると、早稲田大学を志望して受験したものの、あと3点届かず不合格となりました。その後、一浪して別の大学へ進学しています。
Q3:チコカリートが浪人した理由は何ですか?
A3:早稲田大学への現役合格を目指していたものの、受験で不合格となったためです。浪人時代には唾奇との出会いやMCバトルの観戦を通じてヒップホップに関心を持ち、ラップを始めました。
Q4:チコカリートの出身高校はどこですか?
A4:プロフィール記事では沖縄尚学高校出身として紹介されています。本人のインタビューでは、学生時代にサッカーと勉強に取り組んだことや、早稲田大学を目指した経緯が語られています。
Q5:チコカリートは大学を卒業していますか?
A5:大学に進学し、教育課程を履修していたことは本人のインタビューで語られています。ただし、卒業の有無や卒業時期については、今回参照した公開情報だけでは確定できません。
Q6:チコカリートは2026年現在、何をしていますか?
A6:2026年8月にアルバム『紅碧』をリリースし、OZworldとのタッグで『BATTLE SUMMIT III』にも優勝しています。加えて、YAOとしてのコラボレーション活動も展開しています。
まとめ:チコカリートの学歴と現在を正しく理解するために
チコカリートの大学をめぐる情報で、最も確かな軸になるのは本人が語った受験と進学の経緯だ。早稲田大学を目指し、あと3点届かず不合格となった後、一浪して別の大学へ進学した。その浪人時代に唾奇と出会い、MCバトルをきっかけにラップを始めたことが、現在につながる大きな転機となった。
進学先については獨協大学とするプロフィール情報がある一方、本人のインタビューで大学名が明言されているわけではない。大学名や学部、卒業の有無を調べる際は、本人の発言と二次的なプロフィール情報を分けて判断することが大切だ。
そして、学歴だけを追うと見落としがちなのが、大学進学後のキャリアの広がりである。2015年のUMB優勝、2016年の『フリースタイルダンジョン』出演、音源制作への注力を経て、2026年には『紅碧』のリリースと『BATTLE SUMMIT III』優勝を実現した。
受験の失敗を経て音楽と出会い、沖縄から活動拠点を移し、ラッパーとして独自の表現を築いてきたCHICO CARLITO。大学名という一つの情報だけでなく、学生時代の経験と、その後の選択がどのように音楽へ結びついたのかをたどることで、彼のキャリアをより立体的に理解できる。