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飯塚幸三とは何者だったのか?経歴・池袋暴走事故・判決・死去まで徹底解説

早瀬 結衣 早瀬 結衣 • 更新: • 公開: • 読了約 17 分
目次

飯塚幸三(いいづか・こうぞう)氏は、計量学の研究者として国際的な活動を展開し、旧通商産業省工業技術院長やクボタ副社長などを歴任した人物です。一方、2019年4月19日に東京都豊島区東池袋で発生した自動車暴走事故の運転者としても知られ、母子2人が死亡、9人が負傷した事故をめぐり、2021年に禁錮5年の実刑判決が確定しました。2015年に受章した瑞宝重光章も、刑の確定に伴って褫奪(ちだつ)されています。

2024年10月26日、飯塚氏は収容先で老衰のため93歳で亡くなりました。死亡が報じられたのは同年11月25日ごろです。2026年現在、飯塚氏本人はすでに死去しています。計量学研究者としての功績、池袋暴走事故の経緯、裁判で認定された事故原因、勲章の褫奪、そして晩年までを時系列で整理します。

【この記事の重要ポイントまとめ】
  • 経歴:東京大学工学博士で、計量研究所所長、工業技術院長、クボタ副社長、国際計測分野の要職などを歴任。
  • 事故と判決:2019年の池袋暴走事故で母子2人が死亡。2021年9月に禁錮5年の実刑判決が確定。
  • 勲章と晩年:瑞宝重光章は刑の確定に伴い褫奪され、2024年10月26日に収容先で老衰のため死去。

【人物像を整理】飯塚幸三とはどのような人物だったのか

飯塚幸三

飯塚幸三氏は、1931年6月1日生まれの研究者・元官僚です。専門分野は計量学で、長さや硬さ、物体の形状などを正確に測定するための研究や、国際的な計量標準の整備に携わりました。

大学卒業後は通商産業省の前身にあたる行政組織の技術部門で研究を重ね、計量研究所の所長、工業技術院長などに就任。その後は民間企業のクボタでも取締役を務め、学術団体や国際組織の運営にも関わりました。

こうした経歴から、事故以前の飯塚氏は日本の計量・計測分野を代表する技術行政関係者の一人でした。2015年秋には、長年の行政上の功績などを理由に瑞宝重光章を受章しています。

しかし、2019年の池袋暴走事故によって社会的な評価は大きく変わります。事故後に逮捕されず在宅起訴となったことや、裁判で車両の異常を主張したことも広く報じられ、「上級国民」という言葉とともに世論の関心を集めました。

飯塚氏を理解するには、研究者としての経歴と、交通事故の刑事責任を別々に確認する必要があります。過去の学術的な功績は事故の責任を消すものではなく、反対に、事故を起こしたという事実だけで研究上の実績が存在しなかったことになるわけでもありません。

【検証資料 1】当時のメディア報道・掲載写真(出典:moment.nikkan-gendai.com)

【研究者としての経歴】東京大学工学博士から国際計測分野の要職へ

飯塚氏の専門である計量学は、物理量を正確に測定し、測定結果の信頼性や国際的な比較可能性を確保する学問分野です。工業製品の品質管理、製造現場での精密加工、科学実験、取引における計量など、幅広い領域を支える基盤技術でもあります。

計測自動制御学会誌に掲載されたオーラルヒストリー「計量標準の日本における確立と進展」では、飯塚氏の学生時代から研究所での仕事、国際標準化活動に至る経歴が紹介されています。同資料によると、飯塚氏は1953年に東京大学工学部応用物理学科の計測コースを卒業し、同年に工業技術院計量研究所へ入所しました。

研究では、硬さの標準、精密な形状測定、物性計測などを扱いました。東京大学で工学博士号を取得し、研究者としての専門性を深めています。

代表的な研究成果の一つが、測定器自体の誤差と測定対象の形状誤差を分離して評価するマルチステップ法です。真円度や円筒度といった形状の精密測定では、測定器に由来する誤差が結果に混入すると、対象物の本当の形状を正確に把握できません。こうした誤差を分離して評価する手法は、精密計測の信頼性を高めるうえで意義があります。

また、飯塚氏は国際度量衡委員会(CIPM)の委員を約15年間務め、2001年には副委員長に就任しました。日本人初の同委員会副委員長として国際計量標準の活動に参加し、世界計量記念日の提唱にも関わったとされています。国際計測連合(IMEKO)でも会長などの要職を歴任しました。

行政面では1983年に計量研究所長、1986年に工業技術院長に就任。その後、1991年からクボタの取締役を務め、常務、専務、副社長などを歴任しました。日本計量振興協会や計測自動制御学会の会長、日本工学アカデミーなどの要職も務めています。

この経歴から分かるのは、飯塚氏のキャリアが研究所内の技術研究だけにとどまらず、行政、企業経営、国際標準化、学術団体の運営へと広がっていたことです。その一方で、専門分野での功績と、後年に問われた交通事故の刑事責任は、異なる基準によって評価されるべき問題です。

【池袋暴走事故の経緯】2019年4月19日に何が起きたのか

事故が発生したのは、2019年4月19日午後、東京都豊島区東池袋4丁目の都道です。飯塚氏が運転する乗用車が交差点付近で暴走し、複数の車両や歩行者、自転車に衝突する事故となりました。

この事故で亡くなったのは、横断歩道を自転車で渡っていた松永真菜さん(当時31歳)と、幼児用座席に乗っていた長女の莉子ちゃん(当時3歳)です。ほかにも9人が負傷しました。母親と幼い娘の命が失われたことで、事故は全国的に大きく報道されました。

事故直後、飯塚氏は車両の不具合が原因だったと主張しました。刑事裁判でも、アクセルを踏み続けたことはなく、車に異常が生じた可能性があるとして、起訴内容を否認しています。

一方、捜査・公判では車両の記録や事故状況などが検討され、東京地方裁判所は2021年9月2日の判決で、飯塚氏がブレーキとアクセルを踏み間違え、アクセルを踏み続けたことによって事故が起きたと認定しました。車両側の異常を原因とする主張は認められませんでした。

事故後、飯塚氏がすぐに逮捕されず、在宅のまま起訴されたことも議論を呼びました。元官僚という経歴と結び付けて「上級国民」という表現が拡散し、特別扱いがあったのではないかという疑念が生まれたためです。

ただし、逮捕されずに捜査を受けることと、刑事裁判で有罪・無罪が判断されることは別の問題です。肩書きが逮捕見送りの理由だったと裁判所が認定した事実はありません。最終的には、裁判で検討された証拠に基づいて過失運転致死傷罪の有罪判決が言い渡され、確定しました。

「東池袋自動車暴走事故の真相」を確認する際は、事故直後の報道、被告側の主張、裁判所が認定した事実を混同しないことが重要です。裁判で認定された事故原因は、ブレーキとアクセルの踏み間違いであり、車両の故障が原因だったという主張は採用されませんでした。

【検証資料 2】活動歴および当時の関連ビジュアル記録(出典:newseveryday.jp)

【事故と判決の時系列】禁錮5年の確定から民事裁判まで

飯塚氏の刑事裁判は、事故発生から約2年5か月後に実刑判決が確定するまで続きました。日刊スポーツなどの事故経過報道、判決に関する報道、2023年の民事裁判に関する報道を整理すると、主な節目は次のとおりです。

時期 出来事 内容・意味
2019年4月19日 池袋暴走事故 母子2人が死亡し、9人が負傷。
2020年2月6日 在宅起訴 東京地検が過失運転致死傷罪で飯塚氏を起訴。
2020年10月8日 刑事裁判の初公判 飯塚氏は車両の異常を主張し、起訴内容を否認。
2021年7月15日 検察側の求刑 検察側が禁錮7年を求刑。
2021年9月2日 東京地裁の判決 禁錮5年の実刑判決。アクセルとブレーキの踏み間違いを認定。
2021年9月17日 刑の確定・勲章の褫奪 控訴がなく実刑判決が確定。同日付で瑞宝重光章が褫奪された。
2021年10月12日 収容 刑の執行のため収容されたことが報じられた。
2023年10月27日 民事裁判の判決 遺族らの損害賠償請求について、東京地裁が計約1億4,000万円の支払いを命じた。
2024年2月 遺族への手紙 飯塚氏がブレーキとアクセルの踏み間違いを認め、謝罪する趣旨の手紙を送ったと報じられた。
2024年5月 遺族との面会 松永拓也さんとの面会が実現。高齢運転者の免許返納について伝えたと報じられた。
2024年10月26日 死去 収容先で老衰のため93歳で死亡。
2024年11月25日ごろ 死亡の報道 関係者への取材に基づき、死亡が報じられた。

2021年9月2日の判決は、検察側の求刑である禁錮7年に対して、禁錮5年の実刑を言い渡すものでした。飯塚氏は控訴せず、同月17日に判決が確定しています。刑の確定により、事故の刑事責任をめぐる裁判は一区切りを迎えました。

その後、遺族らが求めた損害賠償をめぐる民事裁判でも、2023年10月に東京地裁が計約1億4,000万円の支払いを命じました。刑事裁判が犯罪に対する刑罰を判断するのに対し、民事裁判は被害者側に生じた損害を金銭で賠償する責任を扱います。両者は目的の異なる手続きです。

2024年には、飯塚氏から松永拓也さんへの手紙や面会についても報道されました。TBS NEWS DIGの報道によると、手紙には事故が自身の勘違いによる結果だったことを認め、謝罪する趣旨の内容がありました。5月の面会では、高齢ドライバーに早く免許を返納するよう伝えてほしいという趣旨の言葉を残したとされています。

こうした晩年の経緯は、裁判で認定された事故原因を覆すものではありません。一方で、遺族が事故後の責任や謝罪をどのように受け止め、再発防止につなげようとしていたのかを考えるうえでは、重要な出来事です。

【瑞宝重光章の褫奪理由】なぜ勲章は取り上げられたのか

飯塚氏は2015年秋の叙勲で瑞宝重光章を受章していました。瑞宝章は、公務などに長年従事し、功績を挙げた人物に授与される勲章です。飯塚氏の場合は、通商産業行政や計量分野での活動が受章の背景にありました。

しかし、池袋暴走事故の刑事裁判で禁錮5年の実刑判決が確定したことに伴い、瑞宝重光章は褫奪されました。2021年9月29日には、内閣府賞勲局の説明を弁護士ドットコムニュースが報道。翌10月27日付の官報にも、褫奪に関する情報が掲載されました。

ここで重要なのは、勲章が本人の意思で返上されたのではなく、制度に基づいて取り上げられたという点です。「褫奪」は、授与された勲章などを取り上げることを意味します。

当時の勲章褫奪令では、勲章を持つ者が死刑、懲役刑、無期または3年以上の禁錮刑に処せられた場合などに、勲章を褫奪する仕組みが定められていました。飯塚氏の禁錮5年の実刑判決は、この要件に該当しました。

したがって、瑞宝重光章が取り上げられた理由は、事故をめぐる世論の批判だけではありません。実刑判決が確定したことにより、法令上の手続きが適用されたというのが制度面から見た経緯です。

この出来事は、過去の行政上・学術上の功績と、刑事責任を負った後の公的な扱いが、必ずしも同じ評価のまま維持されるわけではないことを示しています。

【検証資料 3】公の場での発言・インタビュー報道記録(出典:i.ytimg.com)

【飯塚幸三の現在】2024年の死去と、事故後に残された課題

飯塚氏は2024年10月26日、収容先で老衰のため亡くなりました。93歳でした。死亡については、同年11月25日、関係者への取材をもとに複数の報道機関が伝えています。

そのため、2026年現在の飯塚氏本人の活動や生活状況を扱う情報はありません。事故に関する現在の関心は、本人の近況ではなく、刑事・民事の手続きの経過、遺族の活動、高齢運転者による事故をどう防ぐかという社会的な課題に移っています。

飯塚氏の死去を受けて、松永拓也さんは、妻の真菜さんと娘の莉子ちゃんを失ったことへの無念を語る一方、加害者の経験から学び、同じような悲劇を繰り返さないための道を考えるという趣旨のコメントを発表しました。TBS NEWS DIGなどの報道では、飯塚氏との最後の面会や手紙が、松永さんの心境にも関わる出来事として紹介されています。

遺族の思いを、加害者への許しや和解と単純に解釈することはできません。家族を失った悲しみと、事故を再発させないための活動は、別々に存在し得るものです。遺族が事故の経験を社会に伝え続ける姿勢は、被害者支援や交通安全を考えるうえで重要な意味を持ちます。

また、この事故をきっかけに、高齢ドライバーの運転能力や免許返納、車両の安全技術、事故後の被害者支援などが広く議論されました。ただし、高齢であることだけを理由にすべての運転者を危険とみなすのではなく、個々の身体機能や運転状況、事故防止策を具体的に考えることが大切です。

【プロの結論】飯塚幸三の経歴と池袋暴走事故から何を読み取るべきか

飯塚幸三氏の生涯には、計量学研究者としての国際的な功績、技術行政の要職、民間企業での経営経験、そして池袋暴走事故をめぐる刑事責任という、性質の異なる事実が存在します。人物像を正確に捉えるには、どれか一つだけを取り上げるのではなく、それぞれを区別して理解する必要があります。

研究者としての功績については、計測自動制御学会誌のオーラルヒストリーなど、学術的な資料を手掛かりにできます。事故については、東京地裁の判決内容や、判決日・確定日を伝えた報道、官報に掲載された勲章褫奪の記録が重要です。死亡については、2024年11月の報道で公表された事実を基に、死亡日と報道日を区別して整理する必要があります。

特に、ネット上で広まった「上級国民」という表現だけを手掛かりに事故の経緯を判断するのは適切ではありません。逮捕されなかったことに対する疑念が広がったのは事実ですが、最終的な刑事責任は、肩書きや世論の印象ではなく、裁判所が証拠を検討して判断したものです。

同時に、判決が確定したという事実だけで、事故によって失われた命や遺族の長期にわたる苦痛が解消されるわけでもありません。刑事裁判による責任追及、民事裁判による損害賠償、遺族への支援、事故の再発防止は、それぞれ継続して考えるべき課題です。

飯塚氏の経歴を調べる読者にとって大切なのは、功績を過大評価することでも、事故後の批判だけで過去を塗り替えることでもありません。記録に基づいて事実を整理し、どのような責任が認定され、社会にどのような教訓が残されたのかを見極めることです。

【飯塚幸三】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:飯塚幸三は現在どうしている?
A1:飯塚氏は2024年10月26日に、収容先で老衰のため93歳で亡くなりました。死亡は同年11月25日ごろに報じられています。2026年現在、本人はすでに死去しています。

Q2:飯塚幸三の池袋暴走事故の判決は何年だった?
A2:東京地方裁判所は2021年9月2日、過失運転致死傷罪で禁錮5年の実刑判決を言い渡しました。飯塚氏は控訴せず、同月17日に判決が確定しています。

Q3:飯塚幸三の瑞宝重光章はなぜ剥奪された?
A3:2015年に受章した瑞宝重光章は、禁錮5年の実刑判決が確定したことに伴い、勲章褫奪令に基づいて褫奪されました。本人が自主的に返上したのではなく、法令上の要件に基づく措置です。

まとめ:飯塚幸三の生涯と事故の記録を正しく理解するために

飯塚幸三氏は、東京大学工学博士として計量学を研究し、計量研究所長、工業技術院長、クボタ副社長、国際度量衡委員会や国際計測連合の要職などを歴任した人物でした。一方、2019年の池袋暴走事故では母子2人が死亡し、9人が負傷。2021年には禁錮5年の実刑判決が確定し、瑞宝重光章も褫奪されました。

2024年10月26日の死去によって飯塚氏本人の人生は終わりましたが、事故の記録や遺族の思い、高齢運転者の安全対策という課題まで消えたわけではありません。研究上の功績、裁判で認定された事実、制度上の措置、遺族の活動を区別して振り返ることが、事故を風化させず、再発防止につなげるための出発点となります。

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コンテンツディレクター 早瀬 結衣
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