毛利衛(もうり・まもる)さんは、1948年1月29日生まれ、北海道余市町出身の元宇宙飛行士・科学者です。1992年、日本人科学者として初めてスペースシャトルに搭乗し、宇宙実験や子どもたちに向けた「宇宙授業」を通じて、日本の有人宇宙活動の発展に大きく貢献しました。
2026年現在、毛利衛さんは宇宙飛行士としての経験を生かし、科学技術の普及や次世代の人材育成にも携わっています。北海道大学CoSTEPの客員教授、日本科学未来館の名誉館長など、現在確認できる公的な肩書きもあります。一方、JAXAでの役職や大学での教授職については、過去の経歴と現在の活動を区別して理解することが大切です。この記事では、毛利衛さんの経歴、宇宙飛行士としての実績、真空表面科学や核融合炉壁材料の研究、家族に関する情報まで整理します。
【この記事の重要ポイントまとめ】
- 人物像:1948年生まれの科学者・元宇宙飛行士で、1992年と2000年の2回、スペースシャトルに搭乗。
- 専門分野:真空材料表面科学、核融合炉壁材料を研究し、1992年には計43テーマの宇宙実験に参加。
- 2026年の活動:北海道大学CoSTEPの客員教授、日本科学未来館の名誉館長など、科学コミュニケーションや人材育成に関わる。
【毛利衛はどんな人物?】1948年生まれの科学者・宇宙飛行士のプロフィール
毛利衛さんを理解するうえで重要なのは、単に宇宙へ行った人物というだけでなく、もともと大学で研究に取り組んでいた科学者であるという点です。北海道大学で化学や原子工学に関わる研究を行い、その後、宇宙開発事業団(NASDA、現JAXA)の宇宙飛行士に選ばれました。
JAXAの公式プロフィールによると、毛利さんは1948年に北海道余市町で生まれ、北海道大学理学部化学科を卒業。大学院で化学を学んだ後、オーストラリアのフリンダース大学大学院で研究を続け、1976年7月に理学博士号を取得しています。
研究者として培った専門知識を、宇宙という特殊な環境での実験に応用したことが、毛利さんの大きな特徴です。宇宙空間では、地上では得られない微小重力環境を利用して、材料の形成や生物の反応などを調べられます。こうした実験には、装置を操作する能力だけでなく、実験の目的や科学的な意味を理解する力が大切です。
毛利さんは、宇宙で得られた知見を社会に伝える活動にも力を注いできました。宇宙から地上の子どもたちに向けて授業を行ったことや、日本科学未来館の初代館長として科学を伝える場を築いたことは、その代表例です。
2026年に78歳を迎えた毛利さんの歩みは、研究者から宇宙飛行士へ、さらに科学技術を社会に伝える立場へと活動領域を広げてきた歴史でもあります。
【毛利衛の経歴・年表】大学研究者から宇宙飛行士、科学コミュニケーションの第一人者へ
毛利衛さんの経歴には、大きく分けて3つの転換点があります。大学で研究を積み重ねた時期、宇宙飛行士として実験や地球観測に参加した時期、そして科学技術を社会に伝える活動を本格化させた時期です。
以下は、JAXAの宇宙飛行士プロフィール、日本科学未来館の沿革、北海道大学CoSTEPの公開情報などをもとに整理した主な経歴です。
| 時期 | 主な経歴・出来事 | 意義・実績 |
|---|---|---|
| 1948年 | 北海道余市町に生まれる | 後に化学・材料科学を専門とする研究者へ |
| 1970年 | 北海道大学理学部化学科を卒業 | 化学分野の専門教育を修了 |
| 1972年 | 北海道大学大学院の修士課程を修了 | 大学院で化学研究を深める |
| 1976年 | フリンダース大学大学院で理学博士号を取得 | 真空材料表面科学などの研究基盤を確立 |
| 1982~1985年 | 北海道大学工学部助教授 | 研究者・大学教員として活動 |
| 1985年 | 宇宙開発事業団の宇宙飛行士に選定 | 向井千秋さん、土井隆雄さんとともに選ばれる |
| 1992年9月 | スペースシャトル「エンデバー号」に搭乗 | 日本人科学者として初のスペースシャトル搭乗。宇宙実験と宇宙授業を実施 |
| 1998年 | NASAのミッションスペシャリスト資格を取得 | 宇宙船の運用を担う飛行士として訓練を修了 |
| 2000年2月 | 2回目の宇宙飛行 | 地球の立体地形図作成を目指すSRTMミッションに参加 |
| 2000年10月 | 日本科学未来館の初代館長に就任 | 科学技術を社会に伝える拠点づくりを推進 |
| 2021年4月 | 同館の館長を退任し、名誉館長に | 約20年にわたる館長としての活動を終える |
| 2026年 | 北海道大学CoSTEPの客員教授などとして活動 | 科学技術コミュニケーションや人材育成に関わる |
特に大きな転換点となったのが、1985年の宇宙飛行士選定です。当時、毛利さんは北海道大学の助教授として研究に取り組んでいました。研究者として培った専門性を生かし、宇宙で実験を行う搭乗科学技術者(ペイロードスペシャリスト)に選ばれたのです。
宇宙飛行士への転身は、それまでの研究生活と無関係な方向転換ではありません。材料の性質や表面で起こる現象を理解する力を、微小重力という新たな環境での実験に生かす選択でした。
その後、宇宙飛行士としての活動に加えて、日本科学未来館の運営や科学技術の普及に携わるようになります。研究成果を生み出すだけでなく、その成果を一般の人々が理解し、社会の課題を考えるための材料に変えていくことが、毛利さんの経歴を貫くテーマです。
【宇宙飛行士としての実績】1992年・2000年のミッションで何を成し遂げたのか
毛利衛さんの宇宙飛行は1992年と2000年の2回です。JAXAの公式記録では、1回目は科学実験を中心としたミッション、2回目は地球観測を目的としたミッションとして位置づけられています。それぞれの飛行で、科学者としての知識と宇宙飛行士としての技能が発揮されました。
1992年:「ふわっと'92」で43テーマの実験を実施
1992年9月12日から20日まで、毛利さんはスペースシャトル「エンデバー号」に搭乗しました。ミッション名はSTS-47で、日本の第一次材料実験(FMPT)は「ふわっと'92」の愛称で知られています。
JAXAの公式記録によると、実施された実験は、日本側の34テーマ、米国側の7テーマ、日米共同の2テーマを合わせて計43テーマです。日本側の34テーマは、材料分野の22テーマとライフサイエンス分野の12テーマで構成されていました。
微小重力環境では、地上で当たり前に見られる対流や沈降などの影響が小さくなります。そのため、材料が固まる過程や、生物の細胞が示す反応などについて、地上とは異なる条件で調べることができます。毛利さんの任務は、研究者が考案した実験を宇宙で実施し、科学的なデータを得ることでした。
もう一つの象徴的な取り組みが「宇宙授業」です。毛利さんは宇宙から地上の小学校などに向けて、無重量状態での人体やリンゴ、紙飛行機などの動きを紹介しました。JAXAのアーカイブには、地上と宇宙を結んだ約30分の授業が記録されています。
宇宙授業の価値は、珍しい映像を見せたことだけではありません。普段の生活で当たり前だと思っている現象を、別の環境から観察することで、科学への疑問や興味を引き出した点にあります。
2000年:地球の立体地形図を作るSRTMミッション
2回目の飛行は2000年2月12日から23日まで。毛利さんは、NASAのスペースシャトル・ミッションスペシャリストとしてエンデバー号に搭乗しました。参加したのは、シャトル・レーダー地形測量(SRTM)と呼ばれる地球科学ミッションです。
このミッションでは、シャトルに搭載したレーダーと、シャトルから伸ばしたアンテナを使って地表のデータを取得しました。目的は、地球の陸地について高精細な立体地形図を作成することです。毛利さんは高精細度テレビカメラによる地球観測にも携わりました。
1992年の飛行が「宇宙で科学実験を行う」ことを中心としていたのに対し、2000年の飛行では「宇宙から地球を観測する」ことが大きなテーマでした。2回のミッションを通じ、毛利さんは宇宙環境の利用から地球規模の観測まで、異なる目的の科学活動を経験しています。
なお、1992年の実験数について、資料によって「34テーマ」と「43テーマ」という数字が見られます。これは矛盾ではありません。34テーマは日本側の実験、43テーマは米国側と日米共同の実験を含めた全体の数です。
【科学者としての専門分野】真空表面科学と核融合炉壁材料をわかりやすく解説
毛利衛さんの専門分野は、真空材料表面科学と核融合炉壁材料です。宇宙飛行士という肩書きから宇宙開発だけを専門とする人物だと思われがちですが、研究者としての出発点は化学や材料科学にあります。
真空表面科学とは何か
真空表面科学は、真空環境に置かれた材料の表面で、原子や分子がどのように振る舞うかを調べる研究分野です。材料の表面に気体の分子が付着する現象や、表面から粒子が放出される現象、イオンが衝突した際に起こる変化などが研究対象になります。
物質の性質は、内部の構造だけで決まるわけではありません。表面に何が付着しているか、粒子がどのように衝突するかによって、材料の性能や耐久性が変わる場合があります。こうした表面の現象を詳しく理解することは、真空装置や高エネルギー環境で使われる材料の開発に欠かせません。
核融合炉壁材料の研究が目指すもの
核融合炉壁材料とは、核融合装置の内部で高温のプラズマなどにさらされる壁や関連部材に使う材料のことです。核融合反応を制御する装置では、材料が熱や高エネルギー粒子の影響を受けます。そのため、表面が削られたり、粒子が内部に取り込まれたり、ガスが放出されたりする現象を把握しなければなりません。
毛利さんは北海道大学で研究していた時期に、核融合炉の第一壁材料などに関係する研究に取り組んでいました。日本真空学会が公開する研究論文の書誌情報にも、1970~1980年代の核融合炉壁材料や材料表面の特性評価に関する研究が残っています。
この研究分野と宇宙実験には、材料が置かれる環境の違いを理解し、実験条件を管理しながら現象を測定するという共通点があります。研究者としての専門性は、毛利さんが宇宙飛行士として科学実験に携わる際の重要な土台になりました。
宇宙実験と地上研究を結ぶ視点
宇宙実験は、地上では再現しにくい環境を利用して科学的な疑問を検証する取り組みです。実験を成功させるには、宇宙で何を測定するのか、どの条件をそろえる必要があるのか、得られたデータをどのように解釈するのかを理解していなければなりません。
毛利さんの経歴は、専門知識を持つ研究者が宇宙で実験を行い、その結果を地上の研究や教育につなげるという、科学者宇宙飛行士の役割を示しています。宇宙へ行ったという事実だけでなく、何を調べ、どのようなデータを持ち帰ったのかに目を向けると、実績の意味がより明確になります。
【毛利衛の現在・2026年最新】JAXAの役職や日本科学未来館館長を経て何をしている?
2026年の毛利衛さんについて、公的な情報から確認できる活動の中心は、科学技術を社会に伝えることと、次世代の人材育成です。北海道大学の教育イノベーション機構に設けられた科学技術コミュニケーションユニット「CoSTEP」の公式プロフィールでは、毛利さんは客員教授として紹介されています。
同プロフィールには、日本科学未来館の名誉館長、全国科学館連携協議会会長という肩書きも記載されています。また、2026年8月26日には、北海道大学CoSTEPが毛利さんのインタビューが北海道新聞に掲載されたことを紹介しました。母校とのつながりを持ちながら、科学技術や教育に関わる活動を続けていることがうかがえます。
日本科学未来館の館長は退任、現在は名誉館長
毛利さんは2000年10月、日本科学未来館の初代館長に就任しました。同館は2001年7月に開館し、宇宙を含む先端科学技術を社会に伝え、科学を担う人材を育てる場として活動してきました。
科学技術振興機構(JST)や日本科学未来館の沿革によると、毛利さんは約20年にわたって館長を務め、2021年3月末に退任。2021年4月からは浅川智恵子さんが館長に就任し、毛利さんは名誉館長となりました。
したがって、2026年時点で毛利さんを「日本科学未来館の現館長」と紹介するのは正確ではありません。現在の館長は浅川智恵子さんで、毛利さんの肩書きは名誉館長です。
なお、日本科学未来館は2026年10月1日から施設整備のため全館休館しており、2027年4月23日のリニューアルオープンを予定しています。この休館は施設の修繕と展示の刷新に伴うもので、毛利さんの退任とは別の出来事です。
JAXA有人宇宙活動推進室長は過去の役職
毛利さんの過去のプロフィールには、宇宙開発事業団、後のJAXAにおける宇宙環境利用関連の役職や、有人宇宙活動推進室長という肩書きが掲載されています。ただし、これらは当時の経歴として読む必要があります。
2026年に公開されているJAXAの宇宙飛行士紹介ページでは、毛利さんは「元・JAXA宇宙飛行士」として紹介されています。現在もJAXAの有人宇宙活動推進室長を務めていると判断できる公的な情報は確認できません。
京都大学・東京工業大学・アラバマ大学との関係
毛利さんの略歴には、京都大学大学院の特任教授、東京工業大学大学院の連携教授、アラバマ大学ハンツビル校の客員教授などの職歴も見られます。これらは研究者・教育者としての幅広い活動を示す経歴です。
ただし、過去の略歴に掲載された教授職と、2026年現在の在職状況は同じではありません。現在の所属を確認する場合は、各大学の現行の教員紹介や所属機関の公式プロフィールを基準にする必要があります。2026年の活動として公的に確認しやすいのは、北海道大学CoSTEPの客員教授、日本科学未来館の名誉館長などです。
毛利さんの現在を「宇宙飛行士を引退して何もしていない」と捉えるのは適切ではありません。宇宙飛行そのものを行っていた時期から、科学の面白さや意味を伝える活動へと重心が移っているのです。
【毛利衛の結婚・子供】家族構成とプライベートに関する公表情報
毛利衛さんの家族については、JAXAの過去の宇宙飛行士プロフィールに、妻と子供3人という記載があります。そのため、公開されているプロフィール情報に基づけば、結婚しており、3人の子供がいる人物です。
一方、子供の氏名や生年月日、職業など、家族それぞれの詳しいプロフィールについては、広く確認できる公的情報が限られています。家族に関する情報を調べる際は、公式プロフィールに記載された基本情報と、根拠のないネット上の推測を分けて考えることが大切です。
家族よりも研究・宇宙開発の実績が中心に報じられてきた
毛利さんについて公的機関が紹介している情報の多くは、学歴、研究分野、宇宙飛行の実績、科学技術教育への貢献です。家族の詳細なエピソードを中心とする人物紹介ではなく、科学者・宇宙飛行士としての活動が主な情報の軸になっています。
結婚や子供について検索する読者にとっては、家族構成の基本情報を把握することが目的になる場合もあるでしょう。ただし、家族の個人情報を本人の業績と無理に結びつけたり、公表されていない生活の詳細を推測したりする必要はありません。
毛利衛について混同しやすい3つのポイント
毛利さんの情報を調べる際には、次の点を区別すると、古いプロフィールや断片的な情報を誤解しにくくなります。
- 「宇宙飛行士」と「現役宇宙飛行士」:宇宙飛行士として歴史的な実績を持つことと、現在も宇宙飛行任務に従事していることは別です。JAXAは毛利さんを元・JAXA宇宙飛行士として紹介しています。
- 「日本科学未来館館長」と「名誉館長」:毛利さんは初代館長を約20年務めましたが、2021年に退任しています。現在の館長は浅川智恵子さんです。
- 「過去の教授職」と「現在の所属」:京都大学、東京工業大学、アラバマ大学ハンツビル校などに関する肩書きは、経歴の一部として扱い、現職と混同しないことが重要です。
【プロの結論】毛利衛の功績を正しく評価するための3つの視点
毛利衛さんの功績を理解するには、宇宙へ行った回数や肩書きだけで評価するのではなく、研究、宇宙での実践、社会への還元という3つの側面から見る必要があります。
1.科学者として、宇宙実験の目的を理解していた
毛利さんは、宇宙飛行士に選ばれる前から材料科学の研究者でした。真空表面科学や核融合炉壁材料に関する知識を持っていたからこそ、1992年の宇宙実験を、単なる装置操作ではなく科学的な目的を持った活動として遂行できました。43テーマの実験を実施した事実は、科学者宇宙飛行士としての役割を具体的に示しています。
2.宇宙を地球の理解につなげた
2000年のSRTMミッションでは、宇宙から地表データを取得し、地球の立体地形図作成に貢献しました。宇宙は遠い場所を探検するためだけの空間ではなく、地球を詳しく観測するための手段でもあります。毛利さんの2回目の飛行は、その役割を示す事例です。
3.科学を専門家だけのものにしなかった
宇宙授業や日本科学未来館の運営、大学での科学技術コミュニケーション活動には、専門的な知識を社会に開くという共通点があります。研究者が成果を発表するだけでは、科学の価値が十分に伝わらないことがあります。実験で何が分かったのか、生活や社会とどう関係するのかを伝えることも、科学を発展させるうえで欠かせません。
毛利さんの経歴は、研究成果を生み出すことと、その成果を社会に届けることが、切り離された仕事ではないと教えてくれます。宇宙飛行の実績に加え、科学教育や人材育成を長期的に続けてきた点に注目すると、その活動の全体像が見えてきます。
【毛利衛】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:毛利衛さんは2026年現在、何をしていますか? A1:北海道大学CoSTEPの客員教授、日本科学未来館の名誉館長などの肩書きが公的なプロフィールに記載されています。科学技術の普及や人材育成に関わる活動を続けています。
Q2:毛利衛さんは現在もJAXAの宇宙飛行士ですか? A2:JAXAの公式紹介ページでは「元・JAXA宇宙飛行士」とされています。1992年と2000年に宇宙飛行を経験した人物ですが、現在の肩書きと当時の宇宙飛行士としての活動は区別する必要があります。
Q3:毛利衛さんの専門分野は何ですか? A3:真空材料表面科学と核融合炉壁材料です。材料の表面で起こる現象や、核融合装置の内部で使われる材料の特性などを研究してきました。宇宙実験も、その専門性と深く関係しています。
Q4:毛利衛さんは結婚していて、子供は何人いますか? A4:JAXAの過去のプロフィールには、妻と子供3人と記載されています。家族の詳しい氏名や生年月日などについては、公表情報が限られています。
Q5:毛利衛さんは日本科学未来館の館長ですか? A5:現在は名誉館長です。2000年10月に初代館長に就任し、約20年務めた後、2021年3月末に退任しました。現在の館長は浅川智恵子さんです。
Q6:毛利衛さんは宇宙で何回、どのような実験をしましたか? A6:1992年と2000年の2回、スペースシャトルに搭乗しました。1992年の「ふわっと'92」では、日本側34テーマ、米国側7テーマ、日米共同2テーマの計43テーマを実施。2000年には地球の立体地形図作成を目的とするSRTMミッションに参加しました。
まとめ:毛利衛の現在を知るには、宇宙飛行の実績と科学を伝える活動の両方を見る
毛利衛さんは、1948年生まれの科学者・元宇宙飛行士です。北海道大学やフリンダース大学で学び、真空表面科学や核融合炉壁材料の研究に取り組んだ後、1985年に宇宙飛行士に選定されました。1992年の「ふわっと'92」と2000年のSRTMミッションを通じ、科学実験と地球観測の両面で実績を残しています。
2026年現在は、北海道大学CoSTEPの客員教授、日本科学未来館の名誉館長などとして、科学技術を社会に伝え、人材を育てる活動に関わっています。JAXAの有人宇宙活動推進室長や各大学の教授職など、過去の役職と現在の肩書きを区別することも、経歴を正しく理解するうえで欠かせません。
毛利さんの歩みを振り返ると、宇宙飛行はキャリアの到達点であると同時に、科学をより広い社会へ届ける出発点でもありました。宇宙で何をしたのかだけでなく、そこで得られた知見を教育や科学コミュニケーションにどう生かしてきたのか。その両方に目を向けることが、毛利衛という人物を理解するための最も確かな手がかりです。