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漆原大晟の現在は?燕市出身の元阪神投手の経歴・成績・引退後とプロフィールを徹底解説

早瀬 結衣 早瀬 結衣 • 更新: • 公開: • 読了約 20 分
目次

1996年9月10日生まれ、新潟県燕市出身の漆原大晟(うるしはら・たいせい)さんは、オリックス・バファローズと阪神タイガースでプレーした元プロ野球選手です。右投左打の投手として、育成選手から支配下登録を勝ち取り、プロ野球の一軍で通算121試合に登板しました。2025年シーズンをもって現役生活に区切りをつけ、2026年からはタイガースアカデミーのコーチとして新たなキャリアを歩んでいます。

漆原大晟とはどんな人物なのか。出身地や生年月日、学生時代の実績、オリックス入団から阪神移籍までの経歴、現役時代の成績、そして2026年現在の活動を整理します。プロ野球選手としての歩みを振り返るとともに、育成ドラフトから一軍で活躍するまでの道のりにも注目します。

【この記事の重要ポイントまとめ】 - プロフィール: 1996年9月10日生まれ、新潟県燕市出身。右投左打の元プロ野球投手。 - プロ経歴: 2018年育成ドラフト1位でオリックスに入団し、2020年に支配下登録。2024年から阪神でプレー。 - 現在: 2025年シーズンをもって現役を引退し、2026年からタイガースアカデミーのコーチとして活動。

【漆原大晟とはどんな人物?】プロフィール・生年月日・出身地を紹介

漆原大晟

漆原大晟さんは、新潟県燕市で生まれ育った元プロ野球選手です。現役時代のポジションは投手で、右腕から投げ込む力強い直球とフォークを持ち味としていました。

育成選手としてプロの世界に入り、ファームで結果を残して支配下登録を勝ち取った経歴が特徴です。その後、オリックスと阪神の2球団で一軍のマウンドを経験しました。

漆原大晟の基本プロフィール

日本野球機構(NPB)の選手情報や阪神タイガースの公式プロフィール、燕市の紹介資料を整理すると、基本情報は次のとおりです。

項目 詳細
名前 漆原大晟
読み方 うるしはら・たいせい
生年月日 1996年9月10日
年齢 30歳(2026年10月現在)
出身地 新潟県燕市
身長 182cm
体重 84kg(NPB掲載値)
守備位置 投手
投打 右投左打
出身高校 新潟明訓高校
出身大学 新潟医療福祉大学
ドラフト 2018年育成選手ドラフト1位
主な所属球団 オリックス・バファローズ、阪神タイガース
現在 タイガースアカデミーコーチ

2026年10月31日時点で30歳。プロ野球選手としての現役生活を終えた後も、野球に携わる仕事を続けています。

出身地は新潟県燕市

漆原さんの出身地は、新潟県燕市です。

燕市の公式紹介によると、1996年9月10日に同市で生まれ、小学2年生のときに吉田ジュニアクラブで軟式野球を始めました。その後、吉田中学校では三条リトルシニアに所属し、硬式野球に取り組んでいます。

地元で野球を始め、高校、大学を経てプロ入りを実現した選手です。

燕市は漆原さんをスポーツ分野で活躍した出身者として紹介しており、地元とのつながりもプロフィールを理解するうえで要点です。

【学生時代の経歴】新潟明訓高校から新潟医療福祉大学へ

漆原大晟さんの野球人生は、新潟県内での競技経験を積み重ねるところから始まりました。

小学生時代から投手としての能力を伸ばし、高校では甲子園を経験。大学では奪三振能力を発揮し、プロ球団から注目される存在へと成長しました。

新潟明訓高校で甲子園を経験

高校は新潟明訓高校に進学しました。

高校時代の大きな経験が、2012年夏の全国高校野球選手権大会への出場です。1年生ながら甲子園のベンチ入りを経験しています。

この時点では全国的に知られたプロ選手ではありませんでしたが、早い段階から高いレベルの野球を経験していたことが分かります。

高校卒業後は、新潟医療福祉大学へ進学しました。

新潟医療福祉大学で奪三振能力を発揮

大学時代は、投手としての評価を高めた重要な期間です。

日刊スポーツの2018年の報道によると、大学1年秋の関東学園大学戦で11打者連続奪三振を記録しました。これは当時のリーグ最多連続奪三振記録として紹介されています。

加えて、大学最後の秋季リーグでは同じ関東学園大学を相手に16奪三振の完封勝利を記録しました。

直球の威力を生かした投球が評価され、プロ球団のスカウトからも注目を集めるようになります。

当時の最速球速は151キロと報じられており、大学生投手として十分な魅力を備えていました。

2018年、育成ドラフト1位でオリックスへ

大学で実績を積み上げた漆原さんは、2018年のプロ野球ドラフト会議でオリックス・バファローズから育成1位指名を受けました。

幼い頃から目標にしていたプロ野球選手への道が開かれた瞬間です。

ただし、育成選手としての契約だったため、入団時点で一軍の公式戦に出場できる支配下選手とは立場が異なりました。

ここからファームで結果を残し、支配下登録を勝ち取るという次の目標に向かうことになります。

【現役時代の経歴と年表】オリックスから阪神への移籍まで

漆原大晟さんのプロ野球人生を理解するうえで欠かせないのが、育成選手から支配下登録への昇格、オリックスでの一軍経験、そして現役ドラフトによる阪神移籍です。

各球団の公式情報とNPBの年度別成績を整理すると、主な転換点は次のようになります。

漆原大晟のプロ野球キャリア年表

年・時期 出来事 詳細
2018年 オリックス入団 育成ドラフト1位で指名
2019年 ファームで活躍 ウエスタン・リーグ23セーブで最多セーブを獲得
2020年2月 支配下登録 育成選手から支配下選手へ昇格
2020年8月23日 一軍デビュー 西武戦でプロ初登板・初セーブ
2021年 一軍で登板機会を確保 オリックスで自己最多34試合に登板
2022年 一軍登板なし ファームでの調整期間
2023年 オリックスでプレー 一軍16試合に登板
2023年12月 阪神への移籍が決定 現役ドラフトで阪神が指名
2024年 阪神でプレー 一軍38試合に登板
2025年 阪神でプレー 一軍11試合に登板
2025年10月 来季の契約終了 阪神が来季の選手契約を結ばないと発表
2026年 指導者へ転身 タイガースアカデミーコーチに就任

2019年にファームの最多セーブを獲得

プロ入り後、漆原さんが最初に大きな成果を残したのは2019年です。

二軍にあたるウエスタン・リーグで23セーブを記録し、最多セーブのタイトルを獲得しました。

育成選手として入団した選手が、ファームで具体的な数字を残したことは大きな意味を持ちます。

その実績が評価され、2020年2月には支配下登録を勝ち取りました。

育成から支配下への昇格は、プロ野球選手として一つの大きな関門を突破したことを意味します。

2020年8月23日にプロ初登板・初セーブ

一軍公式戦でのデビューは、2020年8月23日の埼玉西武ライオンズ戦でした。

京セラドーム大阪で行われた試合で、漆原さんは9回に登板。連打で2点を失ったものの、最後の打者を打ち取り、チームの勝利を守りました。

この試合はプロ初登板と初セーブを同時に記録した試合です。

日刊スポーツの試合報道でも、育成から支配下登録を勝ち取った右腕の一軍デビューとして取り上げられています。

2021年は自己最多34試合に登板

2021年は、オリックスで一軍登板の機会を大きく増やしたシーズンです。

NPBの年度別投手成績によると、34試合に登板し、2勝2敗、防御率3.03を記録しました。

リリーフ投手としてチームのブルペンを支え、オリックスがリーグ優勝を果たしたシーズンに一軍で経験を積みました。

一方、2022年は一軍登板がなく、2023年は16試合の登板にとどまりました。

プロの世界では、一度一軍で結果を残しても、毎年同じ役割を確保できるとは限りません。登板機会を得るために競争を続ける必要があることも、漆原さんの経歴から見えてきます。

【阪神タイガースでの活躍】現役ドラフト移籍後の成績と引退

漆原大晟さんのキャリアにおける大きな転換点が、2023年12月に行われた現役ドラフトです。

オリックスでの経験を経て阪神タイガースへ移籍し、2024年から新しい環境でプレーすることになりました。

2023年の現役ドラフトで阪神へ

2023年の現役ドラフトで阪神から指名され、2024年シーズンから阪神タイガースの一員となりました。

移籍先の阪神には、当時から実力のあるリリーフ投手が複数在籍していました。

その中で一軍の登板機会をつかみ、ブルペンの一角を担うことが新たな課題となりました。

2024年は阪神で38試合に登板

NPBの公式年度別成績によると、2024年の漆原さんの一軍成績は次のとおりです。

- 登板:38試合
- 勝利:1勝
- 敗北:4敗
- ホールド:5
- 投球回:34回2/3
- 奪三振:22
- 防御率:3.89

阪神移籍1年目に38試合の登板を記録したことは、一軍のリリーフ投手として一定の役割を担ったことを示しています。

ただし、防御率や登板数だけで投手の貢献度をすべて評価することはできません。登板した場面、相手打者、試合展開なども含めて考える必要があります。

2025年シーズンの成績と契約終了

2025年の一軍成績は11試合、投球回11回2/3、防御率0.00、2ホールドでした。

一軍での登板機会は前年より減少しましたが、登板した公式戦では自責点を記録していません。

また、ウエスタン・リーグでは31試合に登板し、29イニングを投げ、防御率2.17、7セーブを記録しています。

一軍とファームで異なる役割を経験しながら、シーズンを戦いました。

その後、阪神タイガースは2025年10月21日、漆原さんと来季の選手契約を結ばないことを公式発表しました。

球団の発表は、次の内容です。

漆原大晟選手に対して、来季の契約を結ばないことを伝えましたのでお知らせします。

この発表を受け、2025年シーズンをもって現役生活に区切りをつけることになりました。

【漆原大晟の現在】2026年はタイガースアカデミーのコーチ

2026年現在、漆原大晟さんはプロ野球選手ではなく、阪神タイガースの野球指導に携わっています。

現役引退後の進路として選んだのは、これまで自身が取り組んできた野球を次の世代へ伝える仕事です。

タイガースアカデミーのコーチに就任

阪神タイガースの公式スタッフ紹介では、漆原さんは「阪神タイガースOBコーチ」として掲載されています。

プロフィールには、次の経歴が記載されています。

- 新潟医療福祉大学
- オリックス・バファローズ(2019~2023年)
- 阪神タイガース(2024~2025年)

また、投手、右投左打、生年月日1996年9月10日、新潟県出身という情報も掲載されています。

2026年度のベースボールスクールにも名前が掲載

阪神タイガースが公開している2026年度のベースボールスクール開校情報では、漆原さんが担当コーチとして掲載されています。

具体的には、宝塚小浜校や伊丹校などの開校クラスで名前を確認できます。

タイガースアカデミーのベースボールスクールは、元プロ野球選手らが子どもたちを直接指導する取り組みです。幼児から小学生まで、年齢や経験に応じた野球指導を行っています。

現役時代に投手として経験した技術や、プロの世界で身につけた競技への向き合い方を、次世代の選手たちに伝える立場になったことが分かります。

現役引退後も野球に携わるキャリア

プロ野球選手の引退後には、指導者、解説者、球団スタッフ、一般企業への転職など、さまざまな進路があります。

漆原さんの場合は、球団と関わりを持ちながら野球指導に携わる道を選びました。

現役時代に経験した育成選手からの昇格、一軍での登板、球団移籍という経験は、これから野球を始める子どもやプロを目指す選手にとっても、学びにつながる題材です。

なお、結婚や家族構成などの私生活については、今回確認できる球団や自治体のプロフィール資料に具体的な情報は掲載されていません。

【右投左打の特徴と現役時代の実績】数字から見る漆原大晟の投手像

漆原大晟さんのプロフィールで特徴的なのが、右投左打という投打の組み合わせです。

また、プロ入り前から評価されていた直球とフォークも、投手としての個性を理解するうえで重要な要素です。

右投左打とはどんな意味?

右投左打とは、ボールを投げるときは右腕を使い、打席では左打席に立つという意味です。

漆原さんの場合、投手として右腕から投球する一方、打者としての登録は左打ちです。

ただし、投打の組み合わせだけで投手としての実力や投球スタイルが決まるわけではありません。

特に投手の場合、評価の中心となるのは球速、変化球、制球力、奪三振能力、投球内容などです。

右投左打というプロフィールは身体的な特徴を示す情報であり、投球技術そのものを表す数字ではありません。

150キロ台の直球とフォークが持ち味

燕市の公式プロフィールでは、漆原さんの投球について、150キロ台の直球と落差のあるフォークを生かしたパワーピッチングが特徴として紹介されています。

直球で打者に力強く勝負し、フォークで空振りや打ち損じを狙う投球スタイルです。

大学時代には連続奪三振や完封勝利を記録しており、奪三振能力はプロ入り前から評価されていました。

NPB公式記録で見る通算成績

NPBの2025年シーズン終了時点の公式記録によると、漆原さんの一軍通算成績は次のとおりです。

成績項目 通算記録
登板 121試合
勝利 3勝
敗北 6敗
セーブ 4
ホールド 17
ホールドポイント 20
投球回 126回2/3
奪三振 94
防御率 3.06

注目したいのは、育成選手としてプロ入りした後、一軍公式戦で121試合に登板した点です。

育成選手は、入団後も支配下登録を勝ち取れるかどうかが大きな課題になります。漆原さんはファームで結果を残し、支配下登録を経て一軍の公式戦に出場する機会をつかみました。

また、オリックスと阪神という異なるチームでリリーフ投手としての経験を積んでいます。

勝利数やセーブ数だけでは表せない、ブルペンでの役割や登板機会も含めて評価する必要がある選手です。

【プロの結論】漆原大晟の経歴から分かる人物像と注目ポイント

漆原大晟さんのキャリアを振り返ると、最も特徴的なのは、育成選手から支配下登録を勝ち取り、一軍で実績を積み重ねた点です。

2018年にオリックスから育成ドラフト1位で指名され、2019年にはファームで23セーブを記録。2020年に支配下登録となり、その年の8月には一軍デビューと初セーブを同時に達成しました。

その後もオリックスで登板を重ね、現役ドラフトを経て阪神へ移籍。2025年までプロ野球選手としてプレーしました。

こうした経歴から、漆原さんについて押さえておきたい要点は3つあります。

1. 育成から一軍へ進んだ経験

育成ドラフト1位という立場から、ファームで結果を残して支配下登録を実現した経験は、プロを目指す若い選手にとって参考になるキャリアです。

2. 複数球団でリリーフを経験したこと

オリックスと阪神でプレーし、それぞれ異なるチーム事情や投手陣の競争を経験しました。環境が変わる中で一軍登板を重ねたことも、選手としての歩みを特徴づけています。

3. 引退後に指導者として野球を続けていること

2026年現在はタイガースアカデミーのコーチとして活動しています。現役時代に培った経験を、子どもたちへの指導に生かす新しい段階に進みました。

漆原さんを調べる際には、「元プロ野球選手」という肩書だけでなく、現在の所属や活動にも目を向けると、人物像をより正確に理解できます。

【漆原大晟に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:漆原大晟の生年月日はいつですか?

A1:1996年9月10日です。2026年10月31日現在、30歳です。

Q2:漆原大晟の出身地はどこですか?

A2:新潟県燕市です。小学校2年生のときに地元の吉田ジュニアクラブで野球を始めました。

Q3:漆原大晟は右投右打ですか?

A3:いいえ、右投左打です。投手としては右腕で投げ、打席では左打ちに登録されています。

Q4:漆原大晟はどこの球団に所属していましたか?

A4:オリックス・バファローズと阪神タイガースです。2018年にオリックスから育成ドラフト1位で指名され、2024年から阪神でプレーしました。

Q5:漆原大晟は引退したのですか?

A5:はい。2025年シーズンをもって現役を引退しています。阪神は2025年10月21日に来季の選手契約を結ばないことを発表しました。

Q6:漆原大晟は2026年現在何をしていますか?

A6:阪神タイガースのタイガースアカデミーでコーチを務めています。公式スタッフ紹介や2026年度のベースボールスクール開校情報にも名前が掲載されています。

まとめ:漆原大晟は育成から一軍へ進み、指導者として新たな道へ

漆原大晟さんは、1996年9月10日生まれ、新潟県燕市出身の元プロ野球投手です。

新潟明訓高校、新潟医療福祉大学を経て、2018年にオリックスの育成ドラフト1位で入団。ファームで23セーブを挙げて実力を示し、2020年には支配下登録と一軍デビューを実現しました。

その後はオリックスから阪神へ移籍し、プロ通算121試合に登板。2025年シーズンをもって現役生活を終え、2026年からはタイガースアカデミーのコーチとして野球の指導に携わっています。

漆原さんの経歴を知るうえで大切なのは、単に「阪神に所属していた元投手」と捉えるのではなく、育成選手から一軍への昇格を果たし、複数球団で経験を積んだ選手として見ることです。

2026年現在は、選手としてマウンドに立つ立場から、次世代の野球選手を育てる立場へと変わりました。新潟県燕市からプロの世界へ進んだ漆原大晟さんの歩みは、今後の指導者としての活動にもつながっています。

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