五木ひろしさんは、長年にわたって日本の歌謡界を支えてきた歌手です。2026年10月現在、78歳を迎えてもコンサートや新曲の配信など精力的な活動を続けています。華やかなステージで見せる堂々とした姿の一方、インタビューでは控えめな美意識や、仕事に対する厳しい姿勢もうかがえます。
五木ひろしさんの性格を知る手がかりは、福井県美浜町で過ごした幼少期、母親への思い、1989年の和由布子さんとの結婚、そして美空ひばりさんとの交流にあります。本人の発言を掲載した『GQ JAPAN』『GOETHE』『婦人公論.jp』などのインタビューや、五木ひろし公式サイトの情報をもとに、その人柄と歌手としての信念を読み解きます。
【この記事の重要ポイントまとめ】
- 性格の特徴:本人の発言からは、控えめな自己表現と、目標に向かって挑戦を続ける負けず嫌いな一面がうかがえる。
- 生い立ちと家族:福井県美浜町で母親の苦労を見て育った経験が、歌手として成功し、家族を支えたいという思いにつながった。
- 2026年の活動:新曲の配信やコンサートなど、現在も歌手活動を継続。美空ひばりさんへの敬意も、長く歌い続ける原動力の一つになっている。
【五木ひろしの性格】本人の発言から見える人物像とは?
五木ひろしさんの人柄を理解するうえで注目したいのは、華やかな芸能活動とは対照的な、本人が語る自己表現への考え方です。
2020年に掲載された『GQ JAPAN』の腕時計に関するインタビューで、五木さんは、自分のスタイルについて、必要以上に主張せず、分かる人に分かってもらえればよいという趣旨の考えを語っています。高価な品物や派手な見せ方そのものではなく、自分の仕事や生き方に見合っているかどうかを重視する姿勢も紹介されました。
ここから見えてくるのは、単に物静かな性格というだけではありません。自分を大きく見せることよりも、仕事の質や積み重ねによって評価されることを大切にする考え方です。長年、歌手として第一線に立ってきた人物の自己認識として興味深いものがあります。
一方、2022年掲載の『MusicVoice』のインタビューでは、五木さんは、安定した環境にとどまるよりも挑戦することを好む趣旨を語り、人と違うことをするのが好きで、集団をつくることはあまり好まなかったとも振り返っています。
この二つの発言を合わせると、五木ひろしさんの性格には、表現は控えめでも、内面には強い競争心と挑戦意欲があるという特徴が見えてきます。自分を前面に押し出すことと、目標に向けて努力を続けることは別です。五木さんは、後者を長年の活動によって示してきた人物といえます。
「怖がりな僕」と語る意外な素顔
2019年のテレビ朝日系『徹子の部屋』出演を紹介した「テレ朝POST」の記事では、五木さんが自分の意外な一面として「怖がりな僕」と語ったことが伝えられています。
長年、大きな舞台に立ち続けてきた歌手にも、慎重さや不安を感じる一面があるということです。人前で堂々と歌う姿だけを見て、何事にも動じない人物だと決めつけることはできません。
また、五木さんはゴルフについても、技術だけでなく、マナーや公平性に人間性が表れるという考えを『GOETHE』のインタビューで語っています。自分の振る舞いを律することや、周囲への配慮を重視する姿勢は、仕事以外の価値観にも表れているようです。
もちろん、インタビューだけで私生活を含む性格のすべてが分かるわけではありません。それでも、本人の発言を複数の媒体で比較すると、控えめな自己表現、挑戦を好む気質、規律やマナーを重視する姿勢という共通点が浮かび上がります。
【生い立ちと母親との暮らし】五木ひろしの努力を支えた原点
五木ひろしさんの人柄を考えるうえで欠かせないのが、福井県三方郡美浜町で過ごした幼少期と、母親との暮らしです。
五木さんは1948年3月14日生まれ。本名は松山数夫さんです。出生地については資料によって記載に違いがありますが、五木ひろし公式サイトでは福井県美浜町出身と紹介されています。
家庭では父親が家を離れ、母親のキクノさんが4人の子どもを育てました。五木さんは『婦人公論.jp』のエッセーで、母親が朝早くから働き、複数の仕事を掛け持ちしながら家族を支えていた幼少期を振り返っています。
本人の回想によれば、母親は五木さんが起きるころにはすでに仕事に出かけ、帰宅するのは夕食が終わったあとだったといいます。母親の苦労を間近で見ていたことが、歌手になって生活を楽にさせたいという目標につながりました。
母親を楽にしたいという思いが歌手への道を開いた
歌手を目指す気持ちが強くなっても、当時の美浜町には、歌の実力を世に示す機会が限られていました。そこで五木さんは、中学校の卒業式の翌日に姉を頼って京都へ向かい、音楽を学ぶ道を選びます。
『婦人公論.jp』で語った本人の回想によると、京都の関西音楽学院でピアノやギターを学び、その後、作曲家の上原げんと氏との縁から上京したのが1964年でした。故郷を離れる決断には、音楽の道で成功したいという夢だけでなく、家族への思いもあったのです。
こうした経緯から考えると、五木ひろしさんの努力家としての一面は、単なる仕事熱心という言葉だけでは説明しきれません。自分の成功を家族への恩返しと結び付けていたことが、厳しい競争のなかで歌手活動を続ける動機の一つになったと考えられます。
敦賀ヨーロッパ軒のソースカツ丼に残る故郷の記憶
五木さんと福井県のつながりを象徴するエピソードとして知られるのが、敦賀ヨーロッパ軒のソースカツ丼です。
本人は、子どものころから家族で同店を訪れていたことを語っています。家族で少しぜいたくをする日はソースカツ丼を食べるという習慣があり、福井に帰ると今でも必ず店を訪れるという思い出です。
敦賀ヨーロッパ軒は、福井県敦賀市にあるソースカツ丼で知られる洋食店です。店内には五木さんのサインや写真パネルなどが飾られ、歌手として大成した後も、故郷とのつながりを感じられる場所になっています。
全国的な知名度を得た後も、幼少期の思い出や家族との食事を大切にしていることは、五木さんの人柄を考えるうえで印象的です。大きな舞台での成功と、故郷で過ごした日々の記憶が切り離されていないことがうかがえます。
【歌手活動の経緯】五木ひろしの性格が表れた転機を年表で整理
五木ひろしさんは、デビュー後すぐに大スターになったわけではありません。芸名を変えながら歌手活動を続け、再起を懸けた挑戦を経て、1971年の「よこはま・たそがれ」で大きな成功を収めました。
公式プロフィールによると、1964年にコロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、レコードデビュー。その後、1970年に『全日本歌謡選手権』でグランドチャンピオンとなり、翌1971年に五木ひろしの名で「よこはま・たそがれ」を発表しました。
この経歴を振り返ると、五木さんの性格を考えるうえで重要なのは、成功した後の実績だけではなく、結果が出ない時期にも歌手活動を続け、転機を自らつかみにいったことです。
| 時期 | 出来事 | 人柄を読み解くポイント |
|---|---|---|
| 1948年 | 3月14日生まれ。福井県美浜町出身 | 母親や家族との暮らしが、後の人生観に影響を与えた |
| 1964年 | コロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、デビュー | 歌手になる目標に向かって行動を起こした時期 |
| 1970~1971年 | 『全日本歌謡選手権』でグランドチャンピオンとなり、「よこはま・たそがれ」を発表 | 再起を懸けた挑戦が大きな転機となった |
| 1989年5月 | 女優の和由布子さんと結婚 | 仕事だけでなく、家庭を築く人生の節目を迎えた |
| 2002年 | 母キクノさんが死去 | 本人が語ってきた親孝行への思いを振り返る節目 |
| 2018年 | 旭日小綬章を受章 | 長年の芸能活動が公的にも評価された |
| 2026年 | 新曲の配信、コンサート、テレビ番組関連の活動を継続 | 長いキャリアのなかでも、歌手として挑戦を続けている |
失敗を経験しても挑戦を続ける姿勢
五木さんは、17歳でデビューした後、ヒット曲に恵まれない時期を経験しました。テレビ朝日系『徹子の部屋』の番組紹介記事でも、最後のつもりで挑戦した『全日本歌謡選手権』で10週勝ち抜いたことが紹介されています。
この経験は、本人が『MusicVoice』で語った、安定した場所にとどまらず、あえて勝負に出ることを好むという姿勢とも重なります。芸能界では、実力があっても作品や時代との巡り合わせによって評価が変わります。そうした環境で活動を続けるには、過去の成功に頼らず、自分の立ち位置を見直す必要があります。
五木さんの場合、長年のキャリアそのものが、挑戦を続けてきた結果です。歌唱力だけでなく、機会をつかむ判断力や、状況が変わっても努力を継続する姿勢も、歌手としての評価を支えてきた要素といえます。
【和由布子との結婚】1989年の結婚から見える家庭観と人柄
五木ひろしさんは、1989年5月に元女優の和由布子さんと結婚しました。和さんは結婚前、女優として活動していましたが、結婚を機に芸能界を引退しています。
2021年のスポーツニッポンのインタビュー記事では、五木さんが和さんとの出会いを振り返り、結婚を決めたときの気持ちを語っています。記事によると、二人は共演をきっかけに知り合い、五木さんは相手との相性のよさを感じていたといいます。
また、2017年のデイリースポーツの報道では、五木さんが妻への感謝を語り、家族を支えてくれることが自身の頑張りにつながっているという趣旨の発言をしたことが伝えられています。
家庭を支える人への感謝を言葉にする
五木さんの家庭観を考えるうえで重要なのは、妻の支えを当然のものとして扱わず、本人が感謝の気持ちを公に語ってきたことです。
幼少期には、母親が一人で4人の子どもを育てる姿を見ていました。五木さん自身も、母親の苦労を励みに歌手を目指したと振り返っています。家族を支えることへの意識には、そうした生い立ちが関係している可能性があります。
五木さんと和由布子さんの間には3人の子どもがいます。テレビ朝日系『徹子の部屋』の番組紹介記事でも、子どもたちの成長と、妻への感謝が取り上げられました。家族の詳しい私生活については公表情報の範囲で見る必要がありますが、少なくとも本人の発言からは、家庭を大切にする姿勢がうかがえます。
なお、五木さんと和さんの結婚披露宴は当時、大規模な芸能イベントとして報じられました。華やかな結婚式の印象だけでなく、結婚後に五木さんが妻への感謝を繰り返し語っていることにも目を向けると、二人の関係をより立体的に理解できます。
【美空ひばりとの関係】尊敬する歌手から受け継いだもの
五木ひろしさんの人柄や歌手としての信念を語る際、美空ひばりさんとの交流も重要な手がかりになります。五木さんにとって美空さんは、単に同じ歌謡界で活躍した先輩というだけではなく、長く追い続けてきた目標でもありました。
『GOETHE』の連載インタビューによると、二人が最初に出会ったのは、五木さんが子どものころ、福井県の海岸で行われた映画撮影でした。その後、五木さんが歌手として活動するようになってから交流が深まり、美空さんから食事をごちそうになったり、誕生日のゴルフコンペに招かれたりした思い出を語っています。
結婚祝いとして贈られたペアウォッチ
1989年、五木さんが和由布子さんとの結婚を迎えた際、美空さんは五木夫妻を自宅に招き、祝いの言葉を贈ったといいます。その翌日には、五木さんの明治座公演に足を運び、ペアウォッチをプレゼントしました。
『GOETHE』のインタビューでは、時計の文字盤の裏に「From Hibari」と刻まれていたことが紹介されています。五木さんは、その時計を家宝として大切にしていると語っています。
美空さんは1989年6月24日に亡くなりました。五木さんの結婚式を挟んで間もない時期だったこともあり、本人にとって忘れがたい出来事になっています。祝福を受けた喜びと、尊敬する歌手を失った悲しみが重なった時期でした。
「歌謡界の帝王」を目指す理由
美空さんの死後も、五木さんはその歌や存在を意識しながら活動を続けてきました。『GOETHE』のインタビューでは、美空さんの歌を受け継いでいきたいという思いを語る一方、自分自身を継承する若い歌い手が現れることへの期待にも触れています。
五木さんが目指す「歌謡界の帝王」という考え方を理解するには、単にトップの座を得たいという競争心だけで捉えないことが大切です。美空ひばりさんのように、時代や世代を超えて歌を届ける存在を目標としてきたことが、その背景にあります。
また、美空さんから受け取った時計を大切にし、後年には美空さんの息子である加藤和也さんの結婚祝いとして時計を贈ったことも、同じインタビューで紹介されています。受けた親切を記憶にとどめ、自分が贈る側になったときに思いをつなぐ姿勢は、五木さんの人間関係に対する考え方を知る一例です。
こうした交流からは、尊敬する相手への敬意を持ち続けること、受けた恩を忘れないこと、そして自分も後の世代に何かを残したいという意識がうかがえます。
【2026年最新】五木ひろしの現在の活動と変わらない仕事への姿勢
2026年10月現在、五木ひろしさんは78歳。公式サイトではコンサート情報やテレビ番組関連のお知らせが継続して掲載されており、現役歌手として活動を続けていることが確認できます。
2026年の活動としては、公式サイトが10月14日からの配信を案内した、由紀さおりさんとのデュエット曲「陽光の旅路/太陽と月の恋」があります。また、NHK総合「演歌フェス2026」の公開収録に関する告知も掲載されました。
コンサートについても、「よこはま・たそがれ」から55年を記念するアニバーサリーコンサートが各地で開催され、公式スケジュールには11月の公演や、12月24日のクリスマスディナーショーなどが掲載されています。これらは2026年10月時点で確認できる活動予定です。
長いキャリアを支える継続力
五木ひろし公式サイトによると、これまでのコンサートは7,000公演以上、劇場公演は5,000公演以上に及び、観客動員数は延べ2,000万人以上とされています。また、NHK紅白歌合戦への50回連続出場や、日本レコード大賞での大賞2回受賞など、数々の実績を残してきました。
2004年には芸術選奨文部科学大臣賞、2007年には紫綬褒章、2018年には旭日小綬章を受章しています。こうした実績は、長期間にわたって歌手活動を継続し、幅広い舞台で評価されてきたことを示しています。
ただし、受賞歴や公演数だけで性格を決めることはできません。より注目したいのは、本人がインタビューで語ってきた、仕事に見合う振る舞いを心掛ける姿勢と、安定に甘んじず挑戦を続ける考え方です。
控えめな自己表現を大切にしながら、ステージでは歌手としての責任を果たす。過去のヒット曲に頼るだけでなく、新曲や共演にも取り組む。2026年の活動からも、五木さんが長いキャリアを振り返るだけでなく、現在進行形で歌手としての仕事に向き合っていることが分かります。
【五木ひろし性格】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:五木ひろしの性格は、ひと言でいうとどんな人物ですか?
A1:本人のインタビューからは、控えめな自己表現を好みながら、挑戦を恐れず、仕事に対して高い意識を持つ人物像がうかがえます。規律やマナーを重視する姿勢も語られています。ただし、これらは公表された発言から読み取れる特徴であり、私生活を含む性格のすべてを断定するものではありません。
Q2:五木ひろしは、なぜ歌手を目指したのですか?
A2:本人が『婦人公論.jp』のエッセーで振り返ったところによると、幼少期に母親が働き詰めで家族を支える姿を見て、歌手になって母親を楽にしたいと考えるようになりました。その目標が、福井県美浜町から京都、そして東京へと進む原動力の一つになりました。
Q3:五木ひろしと美空ひばりには、どのような関係がありましたか?
A3:五木さんは美空さんを尊敬し、長く目標としてきました。二人は五木さんが子どものころに出会い、その後、歌手として活動するなかで交流を深めています。1989年の結婚時には、美空さんから「From Hibari」と刻まれたペアウォッチを贈られたことが『GOETHE』のインタビューで紹介されています。
まとめ:五木ひろしの性格を知る鍵は、控えめな姿勢と挑戦心にある
五木ひろしさんの性格を読み解くと、控えめな自己表現、挑戦を続ける意欲、家族への感謝、尊敬する人物から学んだことを大切にする姿勢が見えてきます。
福井県美浜町で母親の苦労を見て育った経験は、歌手として成功したいという目標につながりました。デビュー後の苦しい時期を経て「よこはま・たそがれ」で大きな転機を迎え、1989年には和由布子さんと結婚。美空ひばりさんとの交流は、歌手として何を目指すのかを考えるうえで大きな意味を持ち続けています。
2026年も新曲の配信やコンサートなどを通じて活動を続ける五木さん。長年の実績に加えて、本人の発言に表れる仕事への姿勢や人との関係を大切にする考え方に目を向けると、その人柄をより深く理解できます。
五木ひろしさんの性格を知るうえで大切なのは、華やかな舞台上の姿や一つの評判だけで判断せず、本人が何を語り、どのような選択を重ねてきたかを見ることです。その歩みには、長く歌い続けるための努力と、人生の節目で支えとなった家族や先輩への思いが表れています。