竪穴式住居とは、地面を掘り下げて床をつくり、その上に柱や屋根を組み上げた古代の住まいです。縄文時代の代表的な住居として知られていますが、実際には弥生時代や古墳時代、さらに奈良時代・平安時代にも各地で使われていました。地面を掘ることで、なぜ暮らしやすくなったのでしょうか。
その答えを知る手がかりは、住居跡に残る柱穴、炉の痕跡、炭化した木材、そして各地の発掘調査にあります。縄文時代と弥生時代では住居の形や集落の構成に違いがあり、屋根も全国一律ではありません。2026年に公開・更新された自治体や考古学関連機関の解説も踏まえ、構造、作り方、内部の暮らし、復元遺跡の見どころまで整理します。
【この記事の重要ポイントまとめ】
- 竪穴式住居の基本:地面を掘り下げた床と木材などで組んだ屋根が特徴で、断熱性や風への備えにも利点がありました。
- 縄文・弥生時代の違い:縄文時代には円形や楕円形が多く見られ、弥生時代には時期や地域によって長方形に近い建物が広がりました。
- 復元住居の見方:屋根の素材や形は遺跡ごとの発掘成果に基づいて復元されており、すべての住居が同じ構造だったわけではありません。
【基礎知識】竪穴式住居とは?地面を掘る理由と基本構造

竪穴式住居は、地面を掘り下げた場所に居住空間を設ける建物です。考古学や博物館の解説では「竪穴住居」や「竪穴建物」と表記されることもあります。住居として使われたものだけでなく、別の用途に使われた建物もあるため、遺跡の調査では「竪穴建物」という用語が選ばれる場合があります。
基本的な構造は、掘り下げた床、屋根を支える柱、木材を組んだ骨組み、雨風を防ぐ屋根材、そして炉などの設備です。床面の形は円形・楕円形・方形・長方形などがあり、柱の配置や炉の位置も時代や地域によって変化します。
なぜ地面を掘って住居をつくったのか
地面を掘ることには、複数の合理的な理由が考えられます。
- 風を避けやすい:床が地表より低いため、地上に建てた建物に比べて、居住空間に直接吹き込む風を抑えやすくなります。
- 室温の変化を和らげる:土は熱を蓄える性質があり、地面に近い空間は外気温の急激な変化の影響を受けにくい場合があります。
- 壁の構築を工夫できる:掘り下げた部分の周囲の土を利用することで、壁に相当する部分をつくりやすくなります。
- 屋根を低く構成できる:床面が低いため、地表から見た建物全体の高さを抑えながら、内部空間を確保できます。
ただし、竪穴式住居なら必ず暖かく、雨にも強かったというわけではありません。床を掘り下げる構造は、土地によっては水が入り込む原因にもなります。佐賀県の吉野ヶ里歴史公園の解説では、住居の周囲に土を積んで水を防いだり、壁際に溝を設けて水を集めたりする工夫が紹介されています。
つまり、竪穴式住居は単純に地面へ穴を掘った家ではなく、地形や土質、雨水の流れに対応しながらつくられた建築だったのです。
【構造と作り方】屋根の材料・柱・炉はどうなっていた?
竪穴式住居の作り方を理解するには、発掘された床面や柱穴と、復元された建物を組み合わせて見る必要があります。古代の建築手順をそのまま記録した設計図は残っていないため、実際の施工方法には推定を含みます。
竪穴式住居を建てる基本的な手順
- 場所を選ぶ:水はけや地形、周辺の資源、集落内での位置などを考慮して建築場所を決めます。
- 地面を掘り下げる:円形や楕円形、方形などの形に掘り、床面を整えます。
- 柱を立てる:床面に残された柱穴などから推定される配置に従い、屋根を支える柱を設けます。
- 屋根の骨組みを組む:木材を組み合わせ、垂木などを配置して屋根の形をつくります。
- 屋根材を葺く:草やカヤ、樹皮などの植物性材料を利用し、地域や時期によっては土をかぶせた屋根もつくられたと考えられています。
- 炉や排水などを整える:住居の内部に炉を設け、必要に応じて周囲の排水や出入り口の構造を整えます。
この手順は基本的な構造を理解するための整理です。すべての竪穴式住居が同じ順番・工法で建てられたと確認されているわけではありません。
屋根の材料はカヤだけではなかった
復元された竪穴式住居では、カヤなどを葺いた屋根をよく見かけます。しかし、屋根の材料を全国共通の仕様として扱うのは正確ではありません。
福島県文化財センター白河館「まほろん」の解説では、縄文時代の住居について、木材で骨組みをつくり、木の皮やカヤなどを載せる構造が紹介されています。一方、岩手県の御所野遺跡や福島県の宮畑遺跡では、屋根の上に土を載せたと考えられる住居が確認されています。
加えて、2026年8月14日更新の播磨町郷土資料館の解説では、兵庫県の大中遺跡でカヤ葺きの住居が復元されている一方、鳥取県の妻木晩田遺跡では、焼失住居の分析からカヤ葺きの上に土をかぶせた屋根が考えられていることが説明されています。
この違いは、復元住居を見比べるうえで重要です。屋根の見た目が違うからといって、どちらかが誤りとは限りません。地域ごとの発掘成果や研究の進展によって、復元の考え方が異なるのです。
炉の仕組みと煙の処理
縄文時代の竪穴式住居では、床面の中央付近などに炉が設けられました。炉は煮炊きのためだけでなく、暖を取ったり、暗い室内を照らしたりする役割も担っていたと考えられています。
炉には、床面を直接利用するものや、石を組み合わせたもの、土器を埋め込んだものなどがあります。群馬県埋蔵文化財調査事業団が2025年度から2026年度にかけて調査した高崎市の下里見上ノ原遺跡では、縄文時代前期後半の竪穴建物から、底を抜いた深鉢を2個埋めた「埋甕炉」が確認されました。こうした発見から、炉の形にも多様性があったことが分かります。
煙については、現代の住宅にあるような煙突を標準装備していたと考えることはできません。屋根の隙間や開口部などから煙が抜ける構造だった可能性がありますが、実際の通気方法は屋根の形や材料、開口部の設計によって異なったはずです。
火を使う以上、煙や一酸化炭素、火災への対策は暮らしに直結する問題です。現代の復元住居を見て、炉の位置や屋根の開口部を観察すると、古代の人々が火を使う空間をどのように構成していたのか、具体的に考えられます。
【時代別に比較】縄文時代と弥生時代の竪穴式住居は何が違う?
竪穴式住居は縄文時代だけの建築ではありません。縄文時代には広く利用され、弥生時代には稲作を営む集落でも重要な建物となりました。ただし、時代の境目で全国の住居が一斉に同じ形へ変わったわけではありません。
青森県の三内丸山遺跡や佐賀県の吉野ヶ里遺跡の調査成果を比べると、床面の形や柱の配置が時期によって変わる様子が分かります。
| 比較項目 | 縄文時代 | 弥生時代 |
|---|---|---|
| 平面形 | 円形・楕円形などが見られる | 古い時期は円形が多く、中期以降は長方形に近い形が広がる |
| 主な暮らしとの関係 | 狩猟・採集・漁労など、地域の自然資源を利用する生活 | 稲作や貯蔵を伴う集落生活が各地で発展 |
| 炉・設備 | 床面の炉や埋甕炉などが確認される | 炉の位置や柱の配置などに地域差がある |
| 集落の構成 | 住居、貯蔵穴、墓域などを組み合わせた集落が見られる | 住居に加え、高床倉庫や環濠などを備える集落も発達 |
| 代表的な遺跡 | 三内丸山遺跡、御所野遺跡など | 吉野ヶ里遺跡、大塚・歳勝土遺跡、登呂遺跡など |
縄文時代は住居の形と規模にも幅があった
青森県の三内丸山遺跡では、縄文時代前期から中期を中心に、竪穴建物跡が500軒以上見つかっています。青森県の公式解説資料では、一般的な住居の目安として直径3〜4メートル、床面積約12平方メートルという規模が紹介されています。
一方、同遺跡では長さ約32メートル、幅約10メートルの大型竪穴建物跡も確認されています。集会所や共同作業所などに使われた可能性が考えられていますが、用途が完全に確定しているわけではありません。
この例から分かるのは、縄文時代の住居をすべて小さな家族用の家として理解するのは適切ではないということです。建物の大きさや位置を集落全体の構成と照らし合わせることで、当時の共同生活のあり方を考える手がかりが得られます。
弥生時代は長方形の建物や高床倉庫が注目点
佐賀県の吉野ヶ里遺跡では、弥生時代の竪穴建物跡が多数確認されています。佐賀県の公式解説によると、弥生時代の古い段階では円形の建物が多く、中期前半には小判形や楕円形に近い形が現れ、中期後半には長方形を基調とする建物が主流になっていきました。
ただし、弥生時代の住居がすべて長方形だったわけではありません。地域や年代による違いがあり、登呂遺跡のように、地面を掘り下げる竪穴式住居には不向きな土地で、床を地表と同じ高さに設ける平地式住居がつくられた例もあります。
また、弥生時代には高床倉庫も重要な建物でした。稲などの収穫物を地面から離して保管し、湿気やネズミによる被害を抑えるための工夫が見られます。竪穴式住居と高床式の建物は、単純にどちらかが優れていたのではなく、用途に応じて使い分けられていたのです。
【内部の暮らし】寒さ対策から高床式住居との比較まで
竪穴式住居の内部では、炉を中心とした生活が営まれていたと考えられています。火を使って食事をつくり、暖を取り、道具を扱う。床面に残る炉跡や土器、石器、貯蔵穴などは、そうした暮らしを復元する重要な手がかりです。
住居の中ではどのように暮らしていたのか
竪穴式住居の内部には、現代の家のような独立した台所や寝室が必ずしも設けられていたわけではありません。限られた空間の中で、調理、休息、道具の使用など、複数の活動が行われていたと考えられます。
ただし、すべての住居で同じ人数が暮らし、同じ生活様式を送っていたわけではありません。床面積や炉の位置、出土した道具、周辺の建物との関係などから、住居ごとの役割を検討する必要があります。
また、竪穴式住居に現代的な浴室や水洗トイレが備わっていたと考える根拠はありません。水の確保や衛生の方法については、住居の外側も含めて、遺跡ごとの資料から考える必要があります。
竪穴式住居の寒さ対策はどうなっていた?
地面を掘り下げた床は、外気の影響を和らげる可能性があります。そこに炉の熱や屋根による風雨の遮断が加われば、屋外よりも過ごしやすい空間を確保できたと考えられます。
しかし、現代の住宅のような断熱材や気密構造があったわけではありません。屋根や壁の隙間から冷気が入り、炉を使えば煙が室内にこもることもあり得ます。加えて、雨水や地面からの湿気が入り込む問題もありました。
寒さへの備えは、住居の構造だけでなく、燃料となる木材の確保、火の管理、衣類、食料の保存、季節に応じた生活などと一体になっていたはずです。現代の感覚で「暖かい家だった」「寒い家だった」と一言で決めるのは難しく、地域の気候や建物の仕様を踏まえて考える必要があります。
竪穴式住居と高床式住居の違い
竪穴式住居と高床式住居の大きな違いは、床面の高さと主な用途です。竪穴式住居は地面を掘り下げて居住空間を設けるのに対し、高床式の建物は柱で床を地面から持ち上げます。
- 竪穴式住居:床が地面より低く、居住空間を風雨から守りやすい構造。住居として使われた例が多く見られます。
- 高床式倉庫:床を高くすることで、地面からの湿気やネズミなどによる被害を抑え、収穫物を保管しやすくした建物です。
なお、「高床式住居」と「高床式倉庫」は同じ意味ではありません。高床式の建物にはさまざまな用途があり、弥生時代の遺跡でよく知られる高床建築の代表例は、収穫物などを保管する倉庫です。
建物の形式を比較するときは、外観だけでなく、床面の高さ、柱穴、出土品、集落内での配置などを合わせて確認することが大切です。
【発掘調査の最前線】復元住居から分かること、分からないこと
竪穴式住居の復元は、昔の人々の暮らしを視覚的に理解するための有力な方法です。ただし、現在見られる建物は、古代からそのまま残ったものではありません。発掘調査で得られた情報をもとに、建築学や構造力学などの知見も取り入れて再構成されています。
発掘調査では何が見つかるのか
住居跡を発掘すると、柱穴、炉跡、床面、壁際の溝、土器、石器、炭化した木材などが見つかることがあります。これらの位置関係や出土状況を調べることで、建物の大きさ、柱の配置、調理設備、建物が使われた時期などを推定できます。
特に、火災などで焼失した住居は、柱や屋根材が炭化して残る場合があります。福島県文化財センター白河館「まほろん」の解説でも、焼けた住居から見つかる炭化材が、屋根の構造を考える重要な資料になることが紹介されています。
一方、木材や植物性の屋根材は、土の状態によっては腐って失われます。柱穴や炉跡だけが残っている場合、屋根の高さや傾斜、具体的な葺き方まで正確に復元することは容易ではありません。
復元住居の屋根が遺跡ごとに違う理由
復元住居を見る際に注目したいのが、屋根の形や材料です。カヤ葺きの建物もあれば、屋根に土をかぶせた構造が採用される例もあります。
これは、研究者や施設の担当者が単に好みで外観を変えているからではありません。発掘調査で確認された炭化材や建物跡、同じ地域の別の遺跡、建築学的な検討などを踏まえて復元方法が決められています。
2026年8月更新の播磨町郷土資料館の解説は、遺跡によって復元方法が異なることを明確に示しています。屋根の違いを比較することは、考古学の研究成果がどのように展示へ反映されているかを知る機会にもなります。
2026年も続く発掘調査が示すもの
竪穴式住居の研究は、過去の発見だけで完結していません。群馬県埋蔵文化財調査事業団が公表した下里見上ノ原遺跡の調査成果では、縄文時代前期後半の住居跡から、底を抜いた深鉢を2個埋めた埋甕炉が確認されています。
このような発見は、教科書などで見かける典型的な住居のイメージだけでは、当時の建築や暮らしの多様性を捉えきれないことを示しています。炉のつくり方ひとつを取っても、地域や時期によって異なる工夫が存在したのです。
発掘調査の価値は、単に古い建物の跡を見つけることではありません。地面の下に残った痕跡を分析し、当時の人々がどのように建物をつくり、使い、役目を終えた住居がどのように埋まっていったのかを明らかにすることにあります。
【遺跡見学ガイド】竪穴式住居を実際に見られる代表的なスポット
竪穴式住居を理解するなら、写真や図解だけでなく、発掘された住居跡と復元建物を見比べるのがおすすめです。遺跡ごとに時代や復元方法が異なるため、複数の場所を訪れると違いがよく分かります。
三内丸山遺跡(青森県)
三内丸山遺跡は、縄文時代前期から中期を中心とする大規模な集落遺跡です。青森県の公式解説によると、竪穴建物跡のほか、墓域、貯蔵穴、掘立柱建物、捨て場などが確認されています。
見学では、一般的な規模の住居と大型竪穴建物の違いに注目すると、住居が単なる個人の生活空間にとどまらず、集落全体の活動と結び付いていた可能性を考えられます。遺跡の規模や建物の配置を知りたい人に向いた場所です。
吉野ヶ里歴史公園(佐賀県)
吉野ヶ里歴史公園では、弥生時代の環濠集落を中心に、竪穴建物や高床倉庫などの復元建物を見ることができます。住居だけでなく、集落を囲む環濠や貯蔵施設にも目を向けると、弥生時代の暮らしと集落の構造を一体的に理解できます。
特に注目したいのは、竪穴建物の平面形や柱の配置です。時期によって建物の形が変化したことを、復元建物と遺跡の解説から確認できます。
大塚・歳勝土遺跡公園(神奈川県横浜市)
横浜市歴史博物館が案内する大塚・歳勝土遺跡公園は、弥生時代の集落と墓域を見学できる場所です。大塚遺跡には竪穴住居や高床式倉庫などが復元され、歳勝土遺跡では方形周溝墓を通して当時の埋葬のあり方を知ることができます。
横浜市歴史博物館の公式案内では、大塚遺跡は約2,200年前の弥生時代の集落跡とされ、周囲に濠が巡らされ、当時は約100人が暮らしていたと考えられています。住居の内部だけでなく、集落を守る仕組みや墓域との関係まで見たい人に適しています。
大塚遺跡の見学区域について、横浜市歴史博物館の案内では開園時間は9時から17時、休園日は月曜日(祝日の場合は翌平日)と年末年始、料金は無料とされています。公園内に駐車場はないため、訪問前に最新の施設案内を確認しておくと安心です。
登呂遺跡・静岡市立登呂博物館(静岡県)
登呂遺跡は、弥生時代の住居や水田、高床倉庫などの復元を通して、稲作を中心とする暮らしを考えられる遺跡です。
注目点は、竪穴式住居だけが住まいの標準形ではなかったことです。静岡市立登呂博物館の公式解説によると、遺跡周辺は地面を掘ると水が染み出す土地だったため、床を地表と同じ高さに設け、周囲に盛土で壁をつくる平地式住居が建てられました。
この事例は、住居の構造が時代だけでなく、土地の水はけや地形にも左右されていたことを教えてくれます。竪穴式住居と異なる建築を比較したい人にもおすすめです。
遺跡を訪れる際は、復元建物の外観だけでなく、実際の住居跡、柱穴、炉の位置、解説板に示された推定根拠も確認してみてください。目に見える建物と、地面に残る痕跡を照らし合わせることが、見学を深めるポイントです。
【竪穴式住居】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:竪穴式住居は縄文時代だけに使われていたのですか?
A1:いいえ。縄文時代に広く利用されましたが、弥生時代、古墳時代、さらに奈良時代・平安時代にも使われていました。構造や調理設備は、時代や地域によって変化しています。
Q2:竪穴式住居の屋根は、すべてカヤ葺きだったのですか?
A2:すべてがカヤ葺きだったとは限りません。木の皮やカヤなどの植物性材料を使った屋根のほか、屋根の上に土をかぶせたと考えられる例もあります。復元方法は、各遺跡の発掘成果や研究に基づいています。
Q3:竪穴式住居は、地面を掘ることで冬でも暖かかったのですか?
A3:地面に近い空間は外気温の変化を受けにくい場合があり、炉も暖を取る役割を担っていました。ただし、現代の住宅のような断熱・気密性能があったわけではなく、煙や湿気、雨水への対策も必要でした。
Q4:竪穴式住居を見学するなら、どこがおすすめですか?
A4:縄文時代の集落を知るなら三内丸山遺跡、弥生時代の集落構造を知るなら吉野ヶ里歴史公園や大塚・歳勝土遺跡公園がおすすめです。住居と水田・倉庫の関係を見たい場合は登呂遺跡も候補になります。
Q5:復元された竪穴式住居は、当時の姿を完全に再現しているのですか?
A5:完全に同じ姿だと断定することはできません。柱穴や炉跡、炭化材などの発掘資料をもとに復元されていますが、屋根の形や材料などには推定が含まれます。遺跡ごとの復元方法の違いも、研究成果を理解する手がかりになります。
まとめ:竪穴式住居を理解するための3つの視点
竪穴式住居は、地面を掘り下げた床と屋根を組み合わせた建物であり、縄文時代から古代にかけて各地の人々の暮らしを支えてきました。地面を掘ることには、風を避けやすくすることや室温の変化を和らげることなどの利点がありましたが、水はけや煙の処理といった課題もありました。
竪穴式住居を理解するうえで押さえておきたいのは、次の3点です。
- 構造:床、柱、屋根、炉の仕組みを知ると、建物がどのように暮らしを支えたのかが分かります。
- 時代と地域:縄文時代と弥生時代では住居の形や集落の構成に変化があり、同じ時代でも土地の条件によって建築方法が異なりました。
- 発掘と復元:復元住居は考古学的な証拠から組み立てられたものです。実際の遺構と比較することで、当時の暮らしについて、より具体的に理解できます。
竪穴式住居は、単に昔の人が暮らした古い家ではありません。自然環境に適応し、限られた材料を使って生活空間をつくり上げた建築の記録です。復元住居を訪れる際には、屋根の素材や炉の位置、床面の形、周囲の地形まで観察してみてください。地面に残された痕跡から、古代の暮らしを読み解く面白さが見えてきます。