2026年現在、元北海道日本ハムファイターズ監督の栗山英樹氏は、監督として現場を指揮する立場から、球団全体の強化や選手育成を支える立場へと活動の軸を移している。2024年1月に就任した役職は、チーフ・ベースボール・オフィサー(CBO)。大谷翔平選手の二刀流育成、2016年の日本一、2023年の侍ジャパンWBC優勝に続き、2026年には野球殿堂入りも果たした。
栗山英樹氏が日本ハムの監督を務めたのは2012年から2021年までの10年間だ。リーグ優勝2回、日本シリーズ優勝1回という実績を残した一方、監督最終盤には下位に沈むシーズンも経験している。現在のCBOとして何を担っているのか、退任の経緯はどうだったのか、そして現監督の新庄剛志氏とは何が違うのか。球団公式発表、NPBの記録、野球殿堂博物館の資料などをもとに整理する。
【この記事の重要ポイントまとめ】
- 現在の役職:2024年1月から北海道日本ハムファイターズのCBOを務め、球団運営とチーム編成の強化に携わっている。
- 監督時代の実績:2012~2021年の10年間でリーグ優勝2回、2016年には最大11.5ゲーム差を逆転して日本一に輝いた。
- 2026年の最新トピック:1月に野球殿堂入りが発表され、7月28日に表彰式が開催された。現在は北海道恵庭市へのファーム施設移転構想など、育成環境の整備にも関わっている。
【2026年現在】栗山英樹は日ハム監督ではなくCBOとして活動中

栗山英樹氏は、2021年シーズンを最後に日本ハムの監督を退任した。その後、侍ジャパンの監督として2023年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で世界一を達成。代表監督の任期満了後は日本ハムの球団運営に携わり、2024年1月1日付でCBOに就任した。
北海道日本ハムファイターズが2023年12月26日に発表した就任資料によると、CBOは球団の基盤強化や発展、チーム編成の強化を推進するために新設された役職だ。球団運営とチーム編成を担うポジションであり、一軍監督とは役割が異なる。
つまり、2026年現在の栗山氏は、試合ごとのスターティングメンバーや継投を決める現場監督ではなく、チームが長期的に強くなるための仕組みづくりに関わる立場にある。選手の獲得や育成環境、球団の将来像を考える仕事は、監督時代に培った経験を生かせる領域だ。
2026年は野球殿堂入りとファーム施設の移転構想が話題に
2026年1月15日、野球殿堂博物館は栗山氏が競技者表彰のエキスパート表彰で野球殿堂入りしたと発表した。選出理由につながる実績として、同博物館は日本ハムでのリーグ優勝と日本一、大谷翔平選手の二刀流育成、侍ジャパンのWBC優勝を挙げている。
表彰式は7月28日、マイナビオールスターゲーム2026が開催された東京ドームで実施された。翌29日には、栗山氏のレリーフが野球殿堂博物館の殿堂ホールで公開された。監督としての功績に加え、日本野球界への貢献が公的に顕彰された節目といえる。
もう一つの重要な動きが、ファーム施設の北海道内移転構想だ。球団は2026年7月2日、千葉県鎌ケ谷市にあるファーム施設の移転候補地を北海道恵庭市に内定したと発表。会見に出席した栗山CBOは、野球に限らず世界中の人々が集まり、子どもたちや選手が成長できる施設を目指す考えを示した。
この計画は、単に二軍の練習場を移すだけの話ではない。育成、トレーニング、リハビリ、地域との連携を含めた長期的な基盤づくりという側面がある。大谷選手の育成に象徴される「選手の可能性を伸ばす」という栗山氏の考え方が、現在は球団の組織づくりにもつながっている。
【経歴年表】栗山英樹は選手・解説者を経て名将へ
栗山氏は1961年4月26日、東京都に生まれた。創価高校から東京学芸大学へ進み、1984年にヤクルトスワローズでプロ野球選手としてのキャリアをスタートさせた。現役時代は外野手としてプレーし、1989年にはゴールデングラブ賞を受賞している。
1990年限りで現役を引退した後は、野球解説者やスポーツキャスターとして活動。大学で教鞭を執った経験もあり、野球を競技面だけでなく、教育や組織づくりの視点から考えてきた経歴を持つ。
2012年に日本ハムの監督へ就任すると、初年度からパ・リーグ優勝を達成。2013年に入団した大谷翔平選手の二刀流育成に取り組み、2016年にはチームを10年ぶりの日本一に導いた。2021年の退任後は侍ジャパンの監督を務め、WBC優勝を経て、球団のCBOへと活動の場を移している。
こうした経歴を時系列で整理すると、栗山氏のキャリアには、選手、伝える側、現場の指揮官、代表監督、球団運営という複数の段階がある。監督としての実績だけでなく、選手をどう評価し、どう育て、組織にどう還元するかという経験の積み重ねが、現在の役職にもつながっている。
【数字で検証】日本ハム監督10年間の成績と2016年日本一
栗山氏の監督時代を評価するうえで、最も分かりやすい指標は公式戦の成績だ。NPBの年度別成績を集計すると、2012年から2021年までのレギュラーシーズン通算成績は1410試合、684勝672敗54分、勝率.504。リーグ優勝は2012年と2016年の2回、日本シリーズ優勝は2016年の1回だった。
各年度の成績を見ると、優勝争いを演じた時期と、再建や低迷に苦しんだ時期の両方があったことが分かる。
| 年度 | 勝敗・引き分け | リーグ順位 | 主なトピック |
|---|---|---|---|
| 2012年 | 74勝59敗11分 | 1位 | 監督就任1年目でリーグ優勝 |
| 2013年 | 64勝78敗2分 | 6位 | 大谷翔平選手が入団したシーズン |
| 2014年 | 73勝68敗3分 | 3位 | クライマックスシリーズ進出 |
| 2015年 | 79勝62敗2分 | 2位 | 優勝争いを展開 |
| 2016年 | 87勝53敗3分 | 1位 | リーグ優勝・日本一 |
| 2017年 | 60勝83敗0分 | 5位 | 前年の日本一から順位を落とす |
| 2018年 | 74勝66敗3分 | 3位 | クライマックスシリーズ進出 |
| 2019年 | 65勝73敗5分 | 5位 | シーズン終盤に苦戦 |
| 2020年 | 53勝62敗5分 | 5位 | 新型コロナ禍で120試合制 |
| 2021年 | 55勝68敗20分 | 5位 | 10年目のシーズンで退任 |
最大11.5ゲーム差を覆した2016年の逆転劇
栗山監督時代を代表するシーズンが2016年だ。北海道日本ハムファイターズの公式発表によると、チームは球団新記録となる15連勝を記録し、最大11.5ゲーム差を逆転してリーグ優勝を果たした。さらに日本シリーズでは広島東洋カープを破り、球団として10年ぶり3度目の日本一に輝いた。
シーズンを通じて主力の力を生かしながら、若手選手も起用し、チーム全体の戦力を引き出したことが大きな成果につながった。短期的な勢いだけでなく、レギュラーシーズンの長い戦いを経て優勝し、ポストシーズンでも結果を残した点に意味がある。
一方、10年間を優勝実績だけで語るのも適切ではない。2013年には最下位に沈み、2017年以降も5位となるシーズンが複数あった。2021年も5位で終わっている。栗山氏の評価は、2016年の成功だけでなく、成績が伸び悩む局面を含めて判断する必要がある。
それでも、リーグ優勝2回と日本一を実現し、大谷選手のような特別な才能を預かって育成したことは、球団史に残る成果だ。2016年の優勝は、栗山氏の選手起用とチームマネジメントを象徴する実績として位置づけられている。
【大谷翔平の二刀流】栗山監督が選んだ「どちらかを捨てない」育成
栗山氏を語るうえで欠かせないのが、大谷翔平選手の二刀流育成だ。大谷選手は2012年のドラフトで日本ハムから指名され、2013年に入団した。当時から投手と打者の双方で高い能力を示していたが、プロ野球で両方を本格的に続けることには、起用法やコンディション管理など多くの課題があった。
一般的には、投手として育てるのか、打者として育てるのか、早い段階で専門性を絞る選択肢も考えられる。栗山氏は大谷選手の可能性を一方に限定せず、投打の両方に挑戦できる環境を整える方針を取った。TBS NEWS DIGなどのインタビューでも、栗山氏は高校時代から大谷選手の能力を見ており、どちらかを諦めさせるよりも両方の可能性を追求する考えだったと振り返っている。
二刀流は大胆な起用だけでは成立しない
二刀流の実現には、試合で投手と野手の両方を経験させるだけでなく、登板間隔、練習内容、疲労の管理、故障のリスクなどを考慮した運用が必要になる。栗山氏は大谷選手の能力を信じる一方、投打の両立に伴う難しさも認識していた。日刊スポーツのインタビュー報道では、二刀流起用に伴う肩や肘への負担を懸念していたことも伝えられている。
重要なのは、二刀流を単なる話題づくりとして扱わず、チームの戦力として成立させようとしたことだ。大谷選手にとって投打の両立は、どちらか一方を選んで才能を狭めるのではなく、自分の能力を最大限に生かすための道になった。
その後、大谷選手はメジャーリーグでも投打の両面で歴史的な成果を残した。もちろん、現在の活躍は本人の努力、技術、身体能力、所属球団の支援など、さまざまな要因によるものだ。それでも、日本ハム時代に二刀流を実践できる環境が用意されたことは、キャリア形成の重要な出発点だった。
栗山流の指導方針は「全員に同じ正解を当てはめない」
栗山氏の指導方針は、大谷選手のケースだけに限られない。TBS NEWS DIGのインタビューでは、選手一人ひとりの状況に応じて何が必要かを考え、一般論をそのまま当てはめないことを大切にしていると語っている。
この考え方は、育成の現場で重要な意味を持つ。成長の速度、得意なプレー、身体的な特徴、本人の意欲は選手によって違う。全員に同じ型を求めるのではなく、個々の長所を見つけ、それをチームの勝利に結びつける。栗山氏が評価されてきた理由の一つは、固定観念にとらわれず、選手の可能性から逆算して起用法を考えた点にある。
ただし、二刀流のような特別な育成方法が、すべての選手に適しているわけではない。成功の条件は、本人の能力と意思、競技環境、コンディション管理がそろうことだ。栗山氏の事例から学べるのは、奇抜な方法をまねることではなく、選手の特性を見極めたうえで、挑戦を可能にする仕組みを用意する姿勢である。
【WBC優勝と退任の経緯】日本ハム監督を離れた理由は?
栗山氏は2021年10月16日、日本ハムの監督を今シーズン限りで退任すると球団から発表された。2012年から10シーズンにわたってチームを指揮し、5度のAクラス、リーグ優勝2回、日本一1回という実績を残した後の決断だった。
退任発表が行われた2021年、日本ハムはパ・リーグ5位だった。監督最終年の成績が振るわなかったことは事実だが、退任を成績不振だけに結びつけるのは十分ではない。球団の公式発表は10年間の指揮と実績を説明している一方、退任の理由を一つに限定して詳述してはいない。長期政権に区切りをつけ、チームが次の体制へ移行したという経緯を押さえておきたい。
侍ジャパンの監督就任からWBC世界一へ
日本ハム退任後の栗山氏は、2021年12月に野球日本代表「侍ジャパン」のトップチーム監督に就任した。代表監督として臨んだ最大の目標が、2023年3月に開催されたWBCだった。
侍ジャパンは同大会で優勝し、2009年以来となる3大会ぶり3度目の世界一を達成した。大谷翔平選手をはじめ、国内外のトップ選手をまとめ上げ、決勝では米国代表を破った。日本ハムで二刀流育成に取り組んだ栗山氏が、今度は日本代表という異なる組織で世界一を実現したことになる。
日本野球機構や野球殿堂博物館の紹介でも、日本ハムの日本一と侍ジャパンのWBC優勝は、栗山氏を代表する実績として扱われている。プロ球団と代表チームでは、選手の選考方法も準備期間も異なる。その両方で結果を残した点は、栗山氏のマネジメントを評価するうえで見逃せない。
侍ジャパン監督の退任は任期満了
WBC優勝後、栗山氏は2023年5月31日付で侍ジャパンの監督を任期満了により退任した。日本野球機構の公式サイトに掲載された退任会見の報告は、6月2日に会見が行われたことを伝えている。
したがって、日本ハム監督の退任と侍ジャパン監督の退任は、分けて理解する必要がある。前者は10シーズンを終えた球団監督としての退任であり、後者はWBC優勝後の契約上の任期満了だった。代表監督を退任した後も野球界から離れたわけではなく、2024年から日本ハムのCBOとして新たな役割を担っている。
【新庄剛志監督と比較】指導方針・役割・評判の違い
栗山英樹氏と新庄剛志監督を比較するとき、最初に整理したいのは現在の役割の違いだ。2026年の日本ハムで一軍を指揮しているのは新庄監督であり、栗山氏はCBOとして球団運営とチーム編成に携わっている。同じ「監督」という肩書で現在も活動しているわけではない。
新庄監督は2022年に就任し、2026年10月8日には2027年シーズンも続投することが球団から発表された。球団の発表資料に掲載された2026年のレギュラーシーズン成績は78勝62敗3分、勝率.557。2024年、2025年と上位争いを続け、2026年も勝ち越しでシーズンを終えている。
栗山氏は選手の可能性と長期的な組織づくりを重視
栗山氏の特徴は、選手の能力を一つの型に限定せず、個々の長所を生かす育成に取り組んできたことだ。大谷選手の二刀流は、その象徴的な事例である。また、10年間の監督経験を経てCBOに就任した現在は、選手の獲得や育成を支える球団の仕組みづくりにも関わっている。
監督時代の実績には、2012年と2016年のリーグ優勝、2016年の日本一という大きな成功がある。一方で、2017年以降には5位のシーズンも複数あり、長期的なチーム運営が常に順調だったわけではない。栗山氏の評価では、優勝実績とともに、長期政権の難しさや戦力の入れ替わりへの対応も考慮する必要がある。
新庄監督は現場の指揮とチームの変革を担う
新庄監督は、選手としての実績に加え、監督就任後の発信力やチームづくりでも注目を集めてきた。2022年と2023年は最下位だったが、2024年には2位へ浮上し、2025年も83勝57敗3分、勝率.593を記録。2026年も勝ち越しを維持し、続投が決まった。
栗山氏が長期的な育成や選手個々の可能性を生かす指導で知られるのに対し、新庄監督は現在のチームを率いて試合の采配を振るう立場にある。もちろん、両者とも選手育成と勝利の両方を求められる点は共通しており、単純にどちらが優れているかを決める比較には意味がない。
両者の違いを理解するなら、栗山氏は監督としての経験を球団全体の強化へつなげる立場、新庄監督は一軍の現場で勝利を目指す立場、と捉えるのが分かりやすい。2026年の日本ハムでは、この二つの役割が並行して存在している。
栗山氏の評判を判断する3つの視点
栗山氏の評価を整理するときは、次の3点を見ると、実績と課題の両面を理解しやすい。
- 優勝実績:2012年のリーグ優勝、2016年のリーグ優勝と日本一、2023年のWBC優勝という結果を残している。
- 育成と起用:大谷選手の二刀流をはじめ、選手の個性を生かす方針で知られる。ただし、特別な育成方法をすべての選手に適用できるわけではない。
- 長期政権の課題:10年間の監督成績には優勝と低迷の両方がある。好成績のシーズンだけでなく、チームが苦戦した時期も含めて評価する必要がある。
野球殿堂入りは、栗山氏の功績が長期的な視点から評価されたことを示している。ただし、殿堂入りはすべての采配やチーム運営が常に正しかったことを意味するものではない。記録、選手育成への貢献、組織づくりの実績を分けて考えることで、栗山氏の指導者としての特徴がより明確になる。
【日ハム監督栗山】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:栗山英樹は2026年現在、何をしている?
A1:北海道日本ハムファイターズのチーフ・ベースボール・オフィサー(CBO)を務めている。2024年1月に就任し、球団運営やチーム編成の強化に携わる。2026年には野球殿堂入りを果たし、ファーム施設の北海道恵庭市への移転構想にも関わっている。
Q2:栗山英樹の日ハム監督時代の成績は?
A2:2012年から2021年までの10年間で、レギュラーシーズン通算1410試合、684勝672敗54分、勝率.504。パ・リーグ優勝は2012年と2016年の2回で、2016年には日本シリーズを制して日本一になった。
Q3:栗山英樹はなぜ日本ハムの監督を辞めた?
A3:2021年10月に、そのシーズン限りでの退任が球団から発表された。10年間の指揮に区切りをつける形で、最終年のチーム順位は5位だった。退任発表では10年間の実績も説明されているが、理由を単一の要因に限定した公式説明はない。その後は侍ジャパンの監督に就任し、2023年のWBC優勝を経て、2024年からCBOを務めている。
まとめ:【プロの結論】栗山英樹の功績は優勝実績と育成の仕組みにある
栗山英樹氏は、2012年から2021年まで日本ハムを率い、リーグ優勝2回と2016年の日本一を達成した。大谷翔平選手の二刀流育成に代表される、選手の可能性を一つに限定しない考え方は、監督時代を象徴する特徴だ。加えて、侍ジャパンを2023年のWBC世界一に導き、2026年には野球殿堂入りを果たした。
現在の栗山氏は、現場の采配を担う監督ではなく、CBOとして球団全体の強化や育成環境の整備に関わっている。恵庭市へのファーム施設移転構想は、その活動を理解するうえで重要な動きだ。監督として選手を育ててきた経験を、球団の将来を支える仕組みづくりへ生かそうとしている。
栗山氏を評価する際に大切なのは、2016年の日本一や大谷選手の育成だけを切り取るのではなく、10年間の成績、苦戦した時期、WBCでの成果、現在の球団運営までを一続きのキャリアとして捉えることだ。新庄監督が一軍の現場を率いる一方で、栗山CBOは組織の基盤を支える。役割の違いを理解すれば、2026年の日本ハムにおける栗山氏の存在意義も見えてくる。
2026年の野球殿堂入りは、栗山氏が残してきた実績を振り返る節目となった。今後は、選手育成の経験を球団全体の強化にどう結びつけるか、そして北海道に新たな育成拠点を築く構想がどのように進むかが注目される。