竹島問題の出発点は、1905年だけではない。日本と韓国は、それぞれ異なる歴史資料を根拠に、近代以前から自国との関係があったと説明している。
17世紀初頭:江戸幕府の許可と日本人の利用
日本政府の説明によると、1618年には米子の町人である大谷家が江戸幕府から鬱陵島への渡海許可を得て、その後、村川家も渡航するようになった。
当時、日本では現在の鬱陵島を「竹島」、現在の竹島を「松島」と呼ぶことがあった。この名称の違いは、古文書を読む際に注意すべき点だ。
日本人は鬱陵島への渡航途中に現在の竹島を航路の目印や停泊地として利用し、アシカやアワビなどの漁猟も行っていた。
日本政府は、こうした利用実績などを根拠に、遅くとも17世紀半ばには竹島に対する領有権が確立していたと説明している。
1693〜1696年:安龍福事件と鬱陵島への渡航禁止
この時期に起きたのが、朝鮮人の安龍福(アン・ヨンボク)をめぐる問題だ。
韓国側は、安龍福が日本に渡り、鬱陵島と独島が朝鮮の領土であると主張した出来事を、歴史的根拠の一つとして挙げている。
加えて、1696年に江戸幕府が鬱陵島への渡航を禁止したことも重要視している。
韓国側の解釈では、この一連の経緯は日本が鬱陵島と独島に対する朝鮮の権利を認識していたことを示す。
これに対し、日本政府は、幕府が禁止したのは鬱陵島への渡航であり、現在の竹島への渡航は禁止されていなかったと説明する。また、安龍福の発言は朝鮮政府を代表した正式な外交行為ではないとの立場を取っている。
つまり、同じ1690年代の出来事でも、何を禁止し、どの島を対象としていたのかについて解釈が分かれている。
1900年:大韓帝国勅令第41号
韓国側の歴史的主張で重要な資料が、1900年10月25日に公布された大韓帝国勅令第41号だ。
この勅令は、鬱陵島を鬱島と改称し、行政区域を整備する内容だった。その第2条では、鬱島郡の管轄区域として鬱陵島全島と竹島・石島が記載されている。
韓国政府は、ここにある「石島」が現在の独島を指すと解釈している。
一方、日本政府は、石島が現在の竹島を意味するという明確な証拠がないと反論している。また、勅令の公布前後に大韓帝国が竹島で実効的な行政権を行使したことを示す資料も確認できないという立場だ。
この勅令は、両国の歴史認識が分かれる代表的な一次史料の一つである。
1905年:日本政府が島根県への編入を決定
1905年は竹島問題の大きな転換点となった。
日本政府は1905年1月28日の閣議決定で竹島を島根県に編入した。
その後、同年2月22日、島根県知事が島根県告示第40号によって編入を公示した。
日本政府の説明では、この措置は、それ以前から存在していた領有権を近代国際法上も明確にするためのものだった。
その後、日本は官有地台帳への登録、アシカ漁の許可、国有地使用料の徴収などを行った。
一方、韓国政府は、1905年当時の日韓関係を重視する。
日露戦争が進行する中、日本は朝鮮半島への影響力を強めていた。韓国側は、1904年以降の日本による政治的・外交的介入と、1905年の竹島編入を一連の植民地支配過程として捉えている。
したがって、韓国側にとって問題なのは、単に日本が島を編入したという事実だけではない。その時点で大韓帝国が置かれていた政治的状況と、編入の正当性そのものにある。
歴史的な関係を整理すると
ここまでの主な主体と出来事の関係は次のようになる。
- 江戸幕府・大谷家・村川家: 鬱陵島への渡航許可と、現在の竹島周辺での日本人の利用。
- 朝鮮王朝・安龍福: 17世紀の鬱陵島をめぐる対立と、韓国側が重視する領有認識の歴史。
- 大韓帝国・勅令第41号: 1900年に鬱島郡の管轄区域を定めた行政文書。
- 日本政府・島根県: 1905年の閣議決定と島根県告示第40号による編入。
- 韓国政府: 1905年の措置を日本の朝鮮半島侵略の一環と捉える立場。
このように、竹島問題は一つの出来事だけで説明できず、歴史的認識、行政文書、近代国際法の解釈が結び付いている。
【戦後の最大の争点】1951年サンフランシスコ平和条約とラスク書簡
竹島問題を理解するうえで、1905年と並んで重要なのが1951年のサンフランシスコ平和条約だ。
第二次世界大戦後、日本の領土をどのように整理するかという問題は、連合国との外交交渉によって進められた。
1951年9月8日:サンフランシスコ平和条約に署名
1951年9月8日、日本と連合国との間でサンフランシスコ平和条約が署名された。
条約第2条(a)では、日本が朝鮮の独立を承認し、朝鮮に対するすべての権利、権原、請求権を放棄することが定められた。
その対象の例として、済州島、巨文島、鬱陵島が挙げられている。
注目すべきなのは、最終的な条約本文には竹島の名称が直接記載されていないという点だ。
この記載の有無が、現在まで続く日韓双方の法的解釈の大きな争点になっている。
日本側の解釈:竹島は日本が放棄した領土に含まれていない
日本政府は、条約で日本が放棄する地域として列挙された島々に竹島が含まれていないことを重視している。
加えて、条約の起草過程で韓国側が竹島を放棄対象に追加するよう米国に求めたものの、米国がその要請を拒否した経緯を根拠としている。
この交渉を示す重要な外交文書が、いわゆる「ラスク書簡」だ。
1951年8月10日:ラスク書簡とは何か
ラスク書簡は、1951年8月10日、米国務省のディーン・ラスク極東担当国務次官補から、駐米韓国大使の梁裕燦(ヤン・ユチャン)に送られた書簡である。
韓国側は、サンフランシスコ平和条約の起草過程で、日本が放棄する領土に独島を加えるよう米国に要請していた。
これに対して米国側は、竹島について、当時の米国の情報では朝鮮の一部として扱われたことがなく、1905年頃から島根県隠岐島支庁の管轄下にあったという認識を示した。
日本政府は、この回答を自国の領有権を裏付ける重要な証拠としている。
ただし、ラスク書簡については、文書の性格を正しく理解する必要がある。
これは米国政府が韓国政府の要請に回答した外交書簡であり、サンフランシスコ平和条約そのものではない。また、国際司法裁判所による領有権判決でもない。
そのため、書簡の内容は重要な外交史料である一方、それだけで国際的な最終裁定が成立したと理解するのは適切ではない。
韓国側の反論:条約に記載されなかったことは韓国領でない証拠にならない
韓国政府は、サンフランシスコ平和条約に独島が明記されなかったからといって、韓国の領土から除外されたことにはならないと主張している。
その根拠として、条約第2条(a)の島名は、韓国の多数の島々の中から代表例を挙げたものにすぎないという解釈を示す。
また、韓国側は1946年のSCAPIN第677号など、戦後の連合国による日本の行政区域の取り扱いも重視している。
SCAPIN第677号では、鬱陵島、リアンクール岩礁、済州島などが日本政府の行政権行使の対象から除外された。
しかし、この指令の第6項には、対象となる島々の最終的な領土帰属について連合国の政策を示すものと解釈してはならないという趣旨が明記されている。
日本政府はこの条項を根拠に、SCAPIN第677号は最終的な領有権を決定した文書ではないと説明する。
つまり、戦後の行政上の取り扱いと、国際法上の領土帰属を分けて考える必要がある。
【1952年から現在まで】李承晩ラインと韓国の実効支配
1952年以降、竹島問題は歴史的な領有権の主張から、現地の管理と外交的対立を伴う問題へと変化していった。
その大きなきっかけが、韓国の李承晩大統領による海洋主権宣言だった。
1952年1月18日:李承晩ラインの設定
1952年1月18日、韓国の李承晩大統領は「隣接海洋に対する主権に関する宣言」を発表した。
これによって設定された海洋境界線が、一般に「李承晩ライン」または「平和線」と呼ばれている。
この線は韓国周辺の広い海域を取り込み、竹島もその内側に含めていた。
当時、日本はサンフランシスコ平和条約の発効前であり、戦後の領土・海洋秩序が再編される時期にあった。
日本政府はこの設定に対して抗議し、1952年1月28日には韓国政府に外交文書を送付している。
1953〜1954年:現地での対立が深刻化
1953年には、竹島周辺で日本側の巡視船と韓国側の関係者との間で緊張が高まった。
日本政府の資料によると、1953年7月には竹島周辺で韓国側が日本の巡視船に発砲する事件が発生した。
さらに1954年6月、韓国側は警備隊を竹島に常駐させた。
その後、韓国側は宿舎、監視所、灯台、接岸施設などを整備していった。
こうした一連の動きによって、韓国による現地管理が継続的なものとなった。
現在の竹島は韓国が実効支配している
現在、竹島では韓国側が警備要員を常駐させ、施設の管理や警備を行っている。
韓国政府は、これを自国の領土主権の行使として説明している。
対して日本政府は、韓国による占拠を不法占拠と位置付けている。
ここで押さえておきたいのは、実効支配と領有権の違いだ。
実効支配とは、ある地域を実際に管理し、行政や警備などの活動を継続している状態を指す。
現在の竹島について整理すると、次のようになる。
- 現地の警備・施設管理:韓国側が実施。
- 韓国政府の説明:韓国固有の領土に対する主権行使。
- 日本政府の説明:法的根拠のない占拠であり、領有権は日本にある。
- 国際的な司法判断:領有権を最終確定した判決は存在しない。
したがって、「韓国が実効支配している」という説明は現在の現地状況を示すものであり、「韓国の領有権が国際司法上確定している」という意味ではない。
同様に、日本の行政区分に含まれていることだけで、現地の管理実態まで日本が担っているということにもならない。
【2026年最新動向】外交青書2026と韓国外交部の対応、ICJ提訴問題
2026年も、竹島をめぐる日本と韓国の基本的な立場に変化はない。
両政府は公式資料や外交声明を通じて、それぞれの主張を維持している。
外務省の外交青書2026で示された日本の立場
日本の外務省が公表した「外交青書2026」では、竹島について、日本固有の領土であるとの基本的な立場が改めて示された。
同青書は、韓国が警備隊を常駐させていることを取り上げ、日本政府が韓国による竹島周辺での軍事訓練や海洋調査などに対して抗議を続けていると説明している。
特に、2025年に竹島やその周辺で実施された軍事訓練についても、日本政府は抗議したと記載されている。
また、日本政府は領有権問題の平和的解決を目指す方針を維持している。
韓国外交部も2026年に日本へ抗議
韓国外交部も2026年、竹島問題について複数の公式声明を発表している。
主な動きを整理すると、次のとおりだ。
2026年2月22日:島根県の「竹島の日」関連行事に抗議
島根県が開催した竹島の日の行事と、日本政府関係者の参加について、韓国外交部は強く抗議した。
韓国側は、独島が歴史的・地理的・国際法的に韓国の領土であるという基本的立場を改めて表明した。
2026年3月24日:日本の高校教科書検定に抗議
韓国外交部は、日本の高校教科書に竹島をめぐる日本側の主張が掲載されたことについて抗議声明を発表した。
韓国側は、独島についての日本の領有権主張を受け入れられないとして、記述の是正を求めた。
2026年8月5日:日本の防衛白書2026に抗議
韓国外交部は、日本政府が8月4日に公表した「防衛白書2026」に独島に関する領有権主張が記載されたことについて、翌5日に抗議声明を発表した。
韓国側は、日本政府に対して主張の撤回を要求し、独島に対する韓国の主権を守る姿勢を改めて示した。
こうした動きを見ると、2026年も竹島問題は日韓両国の外交上の懸案として続いていることが分かる。
国際司法裁判所への提訴はなぜ実現していない?
竹島問題の解決方法として、日本政府が繰り返し提案してきたのが、国際司法裁判所(ICJ)への付託だ。
日本政府の外務省資料によると、提案の経緯は次のようになっている。
- 1954年9月: 日本がICJへの付託を提案。韓国は同年10月に拒否。
- 1962年3月: 日韓外相会談で日本が改めて提案。韓国は受け入れず。
- 2012年8月: 李明博大統領の竹島上陸を受け、日本が再提案。韓国は同月に拒否。
日本政府は、国際法に基づいた平和的解決の手段として、ICJの活用を求めている。
一方、韓国政府は独島について領有権紛争そのものが存在しないという立場であり、ICJで争う必要はないと説明している。
ここで注意したいのが、ICJの裁判権の仕組みだ。
ICJは、国家間の紛争について、原則として当事国の同意などに基づいて管轄権を持つ。日本が一方的に提訴を提案しただけで、韓国が必ず裁判に参加しなければならないわけではない。
そのため、どちらか一方が裁判を望んでも、もう一方が同意しなければ、竹島の領有権をICJで判断することは難しい。
この制度上の事情が、長年にわたって司法的解決が実現していない理由の一つとなっている。
【プロの結論】竹島問題で知っておくべき3つの誤解と判断基準
竹島問題を理解するには、政府の主張をそのまま結論として受け取るのではなく、歴史資料、国際条約、現在の行政実態を区別することが大切だ。
特に、次の3つは混同されやすい。
誤解1:韓国が実効支配しているから領有権も確定している
これは正確ではない。
韓国が竹島を実効支配していることは現在の管理状況として確認できる。
しかし、実効支配と国際法上の領有権の確定は別の問題だ。
国際司法裁判所などによる最終的な判断がない以上、現地の管理状況だけで法的な争いまで決着したとすることはできない。
誤解2:サンフランシスコ平和条約に竹島が書かれていないから日本領である
日本政府は、条約で放棄対象として明記されなかったことや、ラスク書簡の内容を重視している。
一方、韓国政府は、条約に独島の名称が記載されなかったことだけで韓国領から除外されたとはいえないと反論する。
条約本文と起草過程の外交文書は、それぞれ分けて検討する必要がある。
誤解3:鬱陵島に近いから韓国領である
地理的な近さは重要な情報だが、それだけで領土の帰属が決まるわけではない。
領有権を検討する際には、歴史的な利用、行政権の行使、条約、外交文書、国際法上の権原などを総合的に見る必要がある。
竹島問題を理解するための情報の見極め方
信頼性の高い情報を探すなら、次の順番で資料を確認するとよい。
1. 一次資料: サンフランシスコ平和条約、ラスク書簡、大韓帝国勅令第41号、1905年の島根県告示。
2. 日本の公式資料: 外務省の竹島問題に関する説明、外交青書、内閣官房の領土・主権関連資料。
3. 韓国の公式資料: 韓国外交部の独島公式見解、韓国の国史編纂機関による歴史資料。
4. 司法的な状況: ICJへの提訴の経緯と、現時点で領有権を確定した判決が存在しないこと。
特に、政府の広報資料は、それぞれの国の公式見解を理解するには有用だが、第三者による中立的な司法判断と同一ではない。
異なる立場の資料を読み比べることが、竹島問題を正確に理解するための基本となる。
【竹島はどこの領土?】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:竹島は日本と韓国のどちらの領土ですか?
A1:日本政府は日本固有の領土と主張し、韓国政府は独島を韓国固有の領土と主張している。現在は韓国が実効支配しているが、国際司法裁判所による最終的な領有権判決は出ていない。
Q2:竹島はなぜ韓国に実効支配されているのですか?
A2:1952年の李承晩ライン設定後、韓国側が竹島周辺での活動を強化し、1954年には警備隊を常駐させた。その後、警備施設や灯台などを整備し、現在まで現地管理を続けている。
Q3:サンフランシスコ平和条約で竹島の領有権は決まったのですか?
A3:条約第2条(a)には済州島、巨文島、鬱陵島が記載されているが、竹島の名称は直接記載されていない。日本と韓国で条約の解釈が異なり、起草過程のラスク書簡も重要な争点となっている。
Q4:ラスク書簡は竹島が日本領だと確定した文書ですか?
A4:ラスク書簡は1951年に米国政府が韓国側の要請に回答した外交文書であり、米国の当時の認識を示す重要な史料だ。ただし、領有権を最終確定した国際裁判の判決や条約そのものではない。
Q5:竹島問題は国際司法裁判所で解決できないのですか?
A5:ICJでの解決は制度上可能だが、原則として当事国の同意などに基づく管轄権が必要となる。日本は1954年、1962年、2012年に付託を提案したが、韓国はいずれも受け入れていない。
まとめ:竹島問題は歴史・国際法・実効支配を分けて考えることが重要
竹島はどこの領土なのかという問いに対して、日本政府と韓国政府は2026年現在も異なる公式見解を維持している。
日本政府は、江戸時代からの利用、1905年の島根県編入、サンフランシスコ平和条約の起草過程におけるラスク書簡などを根拠に、日本固有の領土と主張している。
韓国政府は、朝鮮時代の歴史資料、1900年の大韓帝国勅令第41号、戦後の連合国による行政上の取り扱いなどを根拠に、独島は韓国固有の領土であると主張している。
一方、現在の現地管理については韓国が実効支配を続けており、日本は外交的抗議と国際司法裁判所への付託提案を通じて平和的解決を求めている。
2026年の外交青書や韓国外交部の声明を見ても、両国の基本的な立場に大きな変化はない。
今後の焦点は、両国が歴史資料や国際法上の根拠についてどのような外交的対応を続けるのか、そして司法的な解決に向けた合意が成立する可能性があるのかという点にある。
竹島問題を理解するうえで最も大切なのは、歴史的な主張、条約の法的解釈、現在の実効支配という3つの問題を混同しないことだ。それぞれを分けて検証することが、日韓間の領土問題を冷静に理解するための出発点となる。