2026年10月現在、女優の加賀まりこさんは82歳。NHK連続テレビ小説『ブラッサム』でヒロインの晩年を演じ、長年にわたって培ってきた存在感を発揮しています。1962年の映画デビュー以来、映画やドラマ、舞台で活躍してきた加賀さんは、「小悪魔」「和製ブリジット・バルドー」と呼ばれた若い頃から、率直な発言と自分の感性を大切にする生き方でも注目されてきました。
一方、私生活では石坂浩二さんとの交際、1972年に出産した娘との別れ、フジテレビプロデューサーの高田明侑さんとの結婚・離婚、そして現在のパートナーとの事実婚など、さまざまな転機を経験しています。加賀まりこさんの本名や経歴、代表作、結婚歴を時系列で整理し、公表されている情報から、その人物像と女優としての歩みを読み解きます。
【この記事の重要ポイントまとめ】
- 現在:1943年12月11日生まれの82歳。2026年はNHK連続テレビ小説『ブラッサム』への出演が注目されています。
- 結婚歴:1974年に高田明侑さんと結婚し、1980年に離婚。その後は演出家の清弘誠さんと事実婚の関係を続けています。
- 娘との別れ:1972年2月に女児を出産しましたが、生後7時間で亡くなりました。死因と父親の名前は公表されていません。
【2026年最新】加賀まりこの現在は?82歳で続く女優活動
加賀まりこさんは1943年12月11日生まれ、東京都出身の女優です。本名は加賀雅子(かが・まさこ)。2026年10月現在82歳で、芸歴は60年を大きく超えています。
2026年の出演作として注目されるのが、NHKの連続テレビ小説『ブラッサム』です。作家・宇野千代をモデルにしたヒロインの晩年を加賀さんが演じています。PRESIDENT Onlineが2026年10月12日に掲載した記事でも、若き日のヒロインを演じる石橋静河さんに続いて加賀さんが登場する構成が紹介されました。
若い頃の美貌や奔放なイメージだけでなく、年齢を重ねた人物の人生を表現する演技にも注目が集まっています。かつて「小悪魔」と呼ばれた女優が、人生経験を重ねた女性の役を担うことには、長いキャリアならではの説得力があります。
近年の出演作では、2021年公開の主演映画『梅切らぬバカ』が代表的です。自閉症の息子と暮らす母親を演じ、親子の日常や地域社会との関係を丁寧に表現しました。2024年にはドラマ『南くんが恋人!?』にも出演し、2025年にはNHKドラマ『しあわせは食べて寝て待て』への出演が確認されています。
映画、テレビドラマ、舞台と活動の場を広げてきた加賀さんの強みは、若い頃の華やかなイメージにとどまらず、年齢や役柄に応じて表現の幅を変えてきたことです。2026年の『ブラッサム』も、そのキャリアを振り返るうえで重要な作品となっています。
【経歴・出演作品】本名や若い頃の画像から代表作まで年表で整理
加賀まりこさんの芸能界入りのきっかけは、劇作家の寺山修司さんと映画監督の篠田正浩さんによるスカウトでした。松竹の作品データベースによると、映画デビュー作は1962年公開の『涙を、獅子のたて髪に』です。
高校生の頃から文化人が集う東京・飯倉片町のレストラン「キャンティ」に出入りしていたことも知られています。若くして映画や文学に近い環境に身を置き、既成の価値観にとらわれない感性を育んだことは、その後の女優人生にもつながっています。
代表作の一つである『月曜日のユカ』は1964年公開。自由奔放でありながら独特の魅力を持つ女性を演じ、加賀さんの名前を広く知らしめました。当時はフランスの女優ブリジット・バルドーになぞらえて「和製ブリジット・バルドー」と呼ばれ、「小悪魔」というイメージも定着していきます。
若い頃の写真を調べる際に押さえておきたいのが、写真家・立木義浩さんが撮影した写真集『私生活』です。1971年に毎日新聞社から刊行された作品で、国立国会図書館の書誌にも記録されています。加賀さんの若い頃の姿を知るうえで、後年のネット記事に転載された写真だけでなく、こうした当時の写真資料にも注目する価値があります。
その後は、若手女優としての人気に加え、助演女優としての評価も高めていきました。1981年公開の『泥の河』『陽炎座』などは、キャリアを語るうえで欠かせない作品です。テレビドラマでは『あすなろ白書』『花より男子』『やすらぎの郷』などに出演し、幅広い世代の視聴者に知られる存在となりました。
| 時期 | 主な出来事・作品 | ポイント |
|---|---|---|
| 1943年12月11日 | 東京都に生まれる | 本名は加賀雅子 |
| 1962年 | 映画『涙を、獅子のたて髪に』 | 篠田正浩監督作品で映画デビュー |
| 1964年 | 映画『月曜日のユカ』 | 小悪魔的な魅力で注目を集める |
| 1966年 | 石坂浩二さんと舞台で共演 | 交際のきっかけとなる |
| 1971年 | 写真集『私生活』刊行 | 立木義浩さんが撮影 |
| 1972年2月 | 女児を出産 | 生後7時間で亡くなる |
| 1974年 | 高田明侑さんと結婚 | 初めての法律婚 |
| 1980年 | 高田さんと離婚 | 婚姻関係を解消 |
| 1981年前後 | 『泥の河』『陽炎座』など | 映画俳優として高い評価を得る |
| 2017年 | ドラマ『やすらぎの郷』 | 石坂浩二さんとの再共演も話題に |
| 2021年 | 主演映画『梅切らぬバカ』 | 母親役で親子の日常を描く |
| 2024年 | ドラマ『南くんが恋人!?』 | 近年のテレビ出演作 |
| 2026年 | NHK連続テレビ小説『ブラッサム』 | ヒロインの晩年を演じる |
なお、加賀さんの若い頃の画像を検索すると、現在の姿と比較した写真や、写真集の画像などが見つかることがあります。写真が撮影された年代や出典を確かめると、単なる容姿の比較にとどまらず、当時の映画文化やスター像を理解する手がかりになります。
【石坂浩二との交際】出会いから破局、浅丘ルリ子を紹介した経緯
加賀まりこさんの恋愛史を語るうえで欠かせないのが、俳優の石坂浩二さんとの交際です。2人は1966年に舞台で共演したことをきっかけに親しくなり、交際へと発展しました。一時は同棲する関係にまで至ったとされています。
当時の2人は、俳優として活動の幅を広げていた時期でした。ところが、互いに仕事が忙しくなり、会う時間が減っていったことから、関係は次第に自然消滅したと伝えられています。破局について、特定の事件や一方的な別れを裏づける公表情報があるわけではありません。仕事によるすれ違いが関係の変化につながったという経緯が中心です。
このエピソードで興味深いのは、加賀さんが石坂さんと別れた後、女優の浅丘ルリ子さんを石坂さんに紹介したことです。浅丘さんは後年、雑誌『anan』のインタビューで、加賀さんから石坂さんを紹介された経緯を振り返っています。浅丘さんと石坂さんはその後結婚しました。
恋人だった相手に友人を紹介するという行動は、恋愛関係だけを見れば意外に映る可能性があります。しかし、加賀さんと浅丘さんは同じ芸能界で活動する間柄でもあり、石坂さんとの関係が終わった後も、互いの仕事や人間関係を切り離して考えていたことがうかがえます。
2017年放送のドラマ『やすらぎの郷』では、加賀さんと石坂さんが再び共演しました。かつて交際していた2人が、長い年月を経て同じ作品に出演したことは、当時の芸能ニュースでも話題になりました。過去の恋愛がそのまま現在の関係を決めるのではなく、仕事仲間として新たな関係を築いている点も印象的です。
なお、加賀まりこさんの交際歴を調べる際には、石坂さんとの交際があったことと、その破局理由を区別する必要があります。多忙による自然消滅という経緯は伝えられていますが、ネット上で語られる細かな私生活の噂まで、すべてが事実として裏づけられているわけではありません。
【結婚歴】高田明侑との結婚・離婚と現在の事実婚パートナー
加賀まりこさんの法律上の結婚歴として知られているのは、1974年にフジテレビのプロデューサー、高田明侑さんと結婚し、1980年に離婚した経歴です。結婚生活は6年ほどで終わり、その後は再婚という形を選ばず、現在のパートナーとの事実婚を続けています。
高田さんとの結婚・離婚について、加賀さんの人生を語る際にはしばしば「結婚に失敗した」という見方が持ち込まれます。しかし、離婚という結果だけから、当時の2人の関係全体を評価することはできません。個別の離婚理由についても、感性の違いなどが伝えられているものの、本人たちの詳細な説明を超えて断定するのは適切ではありません。
現在のパートナーは、演出家の清弘誠さんです。日刊スポーツやスポニチなどの報道では、清弘さんは加賀さんより6歳年下で、テレビ業界で仕事をしてきた人物として紹介されています。2人は長年の友人関係を経て交際するようになりました。
スポニチが2021年10月に報じたところによると、加賀さんは55歳頃に清弘さんへ思いを伝えたものの、すぐには受け入れてもらえず、5年ほどかかったと説明しています。同記事では、当時すでに事実婚の関係が19年目に入っていたことも紹介されました。2026年時点では、20年以上にわたるパートナー関係となっています。
加賀さんは、入籍すること自体が人生において最も重要なことだとは考えていないという趣旨の発言もしています。法律婚を選ぶか、事実婚を選ぶかという違いより、相手と一緒にいて自然体でいられることを大切にしてきたようです。
清弘さんとの関係については、加賀さん自身が「楽ちん」「ものすごく楽に息ができる人」という趣旨で語ったことも報じられています。長い友人関係を経て、互いに無理をせず暮らせる相手を選んだという点は、若い頃の恋愛遍歴とはまた異なる一面です。
また、清弘さんには息子がおり、加賀さんはインタビューでその存在を大切に思っていることを語っています。2022年の『週刊文春WOMAN』掲載インタビューでは、パートナーの息子について愛情を込めて話していました。加賀さんが実際に出産した娘と、パートナーの息子は別の存在です。この区別は、加賀まりこさんの子供について検索する際に押さえておきたい点です。
【娘との別れ】1972年の出産と死別、死因が非公表である理由
加賀まりこさんの人生で、特に重い意味を持つ出来事が1972年の出産です。当時、加賀さんは結婚していない状態で妊娠し、出産して子供を育てる決意をしていました。現在の価値観とは異なり、当時は未婚の女性が子供を産むことへの社会的な風当たりが強かった時代です。
デイリースポーツが紹介した1972年当時の報道によると、加賀さんは同年2月14日に女児を出産しました。娘は生後7時間で亡くなっています。加賀さんは後年、NHKの情報番組『あさイチ』や『婦人公論』のインタビューで、この出来事を自らの言葉で振り返っています。
『婦人公論』の2021年のインタビューでは、娘が生まれて7時間で心臓が止まったと語っています。また、2023年12月の『あさイチ』関連報道では、子供を産んで育て、責任を持って愛情を注ぐという母親の生活に憧れていたこと、そして娘との別れを経験した後に自分の考え方が変化したことを明かしました。
加賀さんは当時、未婚のまま出産するという選択を公にしていました。子供の父親については名前を明かさず、出産後の生活についても、本人が語った範囲を超える詳細は広く公表されていません。父親の名前を特定しようとする憶測記事やネット上の書き込みを、事実と混同しないことが大切です。
また、娘の死因についても公表されていません。生後7時間で亡くなったという事実は本人のインタビューや当時の報道で確認できますが、死因の詳細を示す公的な説明はありません。医学的な原因を特定したり、死因を推測したりすることは、本人が明らかにしていない情報を事実のように扱うことにつながります。
この出来事を単に芸能人の悲劇として消費するのではなく、当時の社会状況と本人の言葉の両方から考える必要があります。加賀さんは、出産や娘との別れを振り返る中で、世間が考える「普通」の人生にこだわらなくなったという趣旨の話をしています。そこには、本人が経験を通してたどり着いた人生観が表れています。
娘の死後、加賀さんは女優として仕事に復帰し、その後も映画やドラマへの出演を続けました。人生の重大な出来事を経験しながらも、仕事を通じて自分の表現を続けてきたことは、彼女のキャリアを理解するうえで見逃せない点です。
【人物像と交友関係】小悪魔と呼ばれた性格、冨士眞奈美・吉行和子との友情
加賀まりこさんは、デビュー当時から率直な発言で知られてきました。メディアが付けた「小悪魔」や「和製ブリジット・バルドー」という呼び名は、その美貌だけでなく、思ったことを遠慮なく口にする姿勢とも結びついています。
ただし、これらの呼び名は芸能メディアが作り上げたイメージでもあります。加賀さん自身は、2026年1月に放送されたテレビ朝日系『徹子の部屋』で、若い頃の自分について「小憎らしかった」と振り返りました。ABEMA TIMESの同月の報道でも、この発言が取り上げられています。若い頃のイメージを本人がどのように捉えているのかを知ると、外から作られた人物像と実際の自己認識の違いが見えてきます。
また、加賀さんは『婦人公論』のインタビューで、世間体にとらわれずに生きる考え方が家庭環境から育まれたことを語っています。自分で行動することを幼い頃から当たり前とし、他人の評価に過度に左右されない姿勢を持っていたといいます。こうした自立心は、仕事や恋愛、結婚に対する考え方にも通じています。
交友関係では、女優の冨士眞奈美さんとの長年の友情がよく知られています。2人は60年来の親友として、2026年1月の『徹子の部屋』にもそろって出演しました。年齢や先輩・後輩という関係にとらわれず、互いに率直な言葉を交わす様子が報じられています。
加えて、共通の親友だった吉行和子さんとの交流も大切な関係の一つでした。吉行さんは2025年9月に90歳で亡くなり、加賀さんと冨士さんは翌2026年1月の番組で、その思い出を語っています。長い時間を共有した友人を見送る経験は、加賀さんの現在の人間関係を考えるうえでも印象深い出来事です。
加賀さんの性格を「気が強い」「歯に衣着せぬ」といった言葉だけで片づけると、人物像の一部しか見えません。仕事に対する姿勢、長く続く友情、パートナーとの関係、そして本人が自分の過去を率直に語る姿からは、他人の期待に合わせるより、自分の感覚を信じて生きることを重視してきた様子がうかがえます。
【加賀まりこ】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:加賀まりこさんは2026年現在、何歳ですか?
A1:1943年12月11日生まれで、2026年10月現在82歳です。NHK連続テレビ小説『ブラッサム』では、ヒロインの晩年を演じています。
Q2:加賀まりこさんの本名は何ですか?
A2:本名は加賀雅子(かが・まさこ)です。芸名の加賀まりこで、映画、テレビドラマ、舞台など幅広く活動してきました。
Q3:加賀まりこさんと石坂浩二さんは、なぜ別れたのですか?
A3:1966年の舞台共演をきっかけに交際し、一時は同棲していたと伝えられています。その後、互いに仕事が忙しくなって会う時間が減り、関係が自然消滅したという経緯が紹介されています。
Q4:加賀まりこさんの結婚歴は?現在の夫は誰ですか?
A4:1974年にフジテレビのプロデューサー、高田明侑さんと結婚し、1980年に離婚しました。その後は演出家の清弘誠さんと事実婚の関係を続けています。法律上の再婚をしたという情報は公表されていません。
Q5:加賀まりこさんの娘はなぜ亡くなったのですか?
A5:1972年2月に女児を出産しましたが、生後7時間で亡くなりました。本人は後年のインタビューでこの出来事を語っていますが、死因は公表されていません。
Q6:加賀まりこさんに息子はいますか?
A6:加賀さんが出産した子供として知られているのは、1972年に生まれ、生後7時間で亡くなった女児です。一方、現在のパートナーである清弘誠さんには息子がおり、加賀さんはインタビューで、その息子を大切な存在として語っています。パートナーの息子と実子を混同しないことが重要です。
まとめ:加賀まりこの現在と人生から見えるもの
加賀まりこさんは、若い頃に「小悪魔」「和製ブリジット・バルドー」と呼ばれた華やかな女優でありながら、長いキャリアの中でさまざまな役柄に挑戦してきた表現者です。2026年にはNHK連続テレビ小説『ブラッサム』に出演し、82歳となった現在も女優として存在感を示しています。
私生活では、石坂浩二さんとの交際と自然消滅、高田明侑さんとの結婚・離婚、1972年に出産した娘との別れ、そして清弘誠さんとの事実婚を経験してきました。こうした出来事は、単なる恋愛遍歴やゴシップとしてではなく、本人がどのような価値観を持ち、人生の選択を重ねてきたかという視点から捉えることが大切です。
とりわけ娘との別れについては、生後7時間で亡くなったという事実と、死因が公表されていないという点を区別して理解する必要があります。また、現在のパートナーとの関係も、法律婚という形式にこだわらず、互いに自然体で暮らせることを重視してきた選択として見ることができます。
【プロの結論】 加賀まりこさんの人生を読み解く鍵は、華やかな外見や率直な発言だけでなく、自分の感性を信じ、世間の期待に必ずしも合わせずに生きてきた姿勢にあります。若い頃の映画や写真集から現在のドラマ出演までをたどると、変わらない個性と、経験を重ねることで深まった表現力の両方が見えてきます。結婚歴や家族についても、本人が語った事実と公表されていない情報を区別することが、人物像を正しく理解するための判断基準となります。