女優・加賀まりこさんは、1943年12月11日生まれ。映画『月曜日のユカ』などで鮮烈な印象を残し、「小悪魔」「和製ブリジット・バルドー」と呼ばれた、日本映画界を代表する個性派女優です。率直な発言や華やかな存在感だけでなく、石坂浩二さんとの交際、結婚と離婚、1972年に出産した娘との別れなど、その歩みには知られざる側面もあります。
2026年現在、82歳を迎えた加賀さんは、長年のパートナーとの生活を大切にしながら、ドラマ出演などで活躍を続けています。NHK連続テレビ小説『ブラッサム』への出演も話題です。本名や若い頃の経歴から、恋愛・結婚歴、娘の出産をめぐる経緯、親友との交流まで、公開されているプロフィールや報道をもとに整理します。
【この記事の重要ポイントまとめ】
- 本名と経歴:本名は加賀雅子。1960年ごろから女優として活動し、『月曜日のユカ』などで独自の存在感を確立しました。
- 結婚・家族:石坂浩二さんとの交際を経て、1974年に高田明侑さんと結婚。1980年に離婚し、1972年に出産した娘は生後約7時間で亡くなっています。
- 2026年現在:演出家の清弘誠さんと20年以上にわたるパートナー関係を築き、NHK連続テレビ小説『ブラッサム』などに出演しています。
【プロフィール】加賀まりこの本名・年齢と若い頃の華やかな経歴
加賀まりこさんの本名は加賀雅子(かが・まさこ)です。1943年12月11日、東京都で生まれ、神楽坂などで育ちました。父親は映画会社・大映のプロデューサーだった加賀四郎さんです。
幼い頃から自分の考えを率直に口にする性格で、早くから大人びた感性を持っていたと伝えられています。映画や文学への関心も強く、周囲に合わせるより、自分の好みや判断を大切にする姿勢が、後年の自由奔放なイメージにつながりました。
女優としての転機は10代に訪れます。寺山修司さんや篠田正浩さんに見いだされ、1960年ごろからテレビドラマに出演。1962年には映画『涙を、獅子のたて髪に』で映画界にも進出しました。若い頃から目を引く美貌と個性的な雰囲気を備え、同世代の女優とは異なる存在感を示していきます。映画情報データベースKINENOTEにも、テレビ・映画・舞台を横断して活動した経歴が記録されています。
若き日の代表作として知られるのが、1964年公開の映画『月曜日のユカ』です。中平康監督のもとで演じた、どこかつかみどころのない魅力を持つ女性像は、当時の映画ファンに強い印象を残しました。無邪気さと大胆さ、可憐さとしたたかさが同居する人物像は、加賀さんのイメージを象徴するものとなりました。
1964年にはパリへ渡り、約3か月間を過ごしたことも知られています。映画やファッションへの関心が強かった彼女にとって、海外での経験は、自分の感性をさらに広げる機会だったと考えられます。日本の芸能界の慣習に縛られず、自らの意思で行動する姿勢も、当時の若い女性たちにとって新鮮に映ったのでしょう。
加賀さんの若い頃を振り返る際には、美貌だけでなく、作品選びや生き方にも目を向ける必要があります。周囲の期待に応えるだけのスターではなく、自分の感覚を前面に出す表現者だったことが、60年以上にわたって記憶される理由の一つです。
【年表】女優デビューから2026年現在までの主な歩み
加賀まりこさんの経歴を時系列で見ると、若手スターとして注目された時期、映画女優として評価を高めた時期、テレビの司会やバラエティー番組で新たな魅力を見せた時期、そして年齢を重ねて個性派俳優として存在感を発揮する現在へと、活動の幅が広がってきたことが分かります。
| 時期 | 主な出来事・作品 | ポイント |
|---|---|---|
| 1943年 | 東京都で誕生 | 本名は加賀雅子 |
| 1960年ごろ | テレビドラマで女優活動を開始 | 10代から芸能界で活動 |
| 1962年 | 映画『涙を、獅子のたて髪に』 | 映画界でも存在感を示す |
| 1964年 | 映画『月曜日のユカ』、パリ滞在 | 若手スターとして注目を集める |
| 1965年 | 舞台『オンディーヌ』 | 舞台でも活動の幅を広げる |
| 1966年 | 石坂浩二さんと舞台で共演 | 交際のきっかけとなる |
| 1972年 | 娘を出産 | 出産から約7時間後に娘が亡くなる |
| 1974年 | 高田明侑さんと結婚 | 最初の結婚 |
| 1980年 | 高田さんと離婚 | その後も女優活動を継続 |
| 1981年 | 映画『泥の河』などで評価 | キネマ旬報の助演女優賞を受賞 |
| 1990年代以降 | 映画・ドラマ・司会などで活躍 | 率直な発言でも注目される |
| 2025年 | ドラマ『しあわせは食べて寝て待て』 | 美山鈴役で新たな世代にも存在感を示す |
| 2026年 | 同作の特別編、朝ドラ『ブラッサム』 | 82歳で俳優活動を継続 |
映画女優としての評価を語るうえで欠かせないのが、1981年の『泥の河』などでの演技です。若い頃の華やかなイメージだけにとどまらず、人物の複雑さや人生の陰影を表現できる俳優として評価を重ねてきました。映画情報データベースKINENOTEには、映画やテレビドラマの出演歴、受賞歴がまとめられています。
また、1990年にはフジテレビの音楽番組『夜のヒットスタジオ』で司会を務め、俳優業以外でも活躍しました。テレビでの率直な物言いは、映画の役柄とは異なる本人のキャラクターを広く知らしめることになります。
こうした変化は、単に出演ジャンルが増えたというだけではありません。若い頃は美貌と独特の存在感が注目され、年齢を重ねてからは、経験に裏打ちされた言葉や演技そのものが魅力として受け止められるようになりました。
【恋愛・結婚歴】石坂浩二との関係、浅丘ルリ子との意外なつながり
加賀まりこさんの恋愛歴でよく取り上げられるのが、俳優の石坂浩二さんとの交際です。2人は1966年に舞台で共演したことをきっかけに親しくなり、交際へと発展したとされています。一時は同棲するほどの関係だったものの、互いに仕事が忙しくなり、やがて自然に関係が終わったと伝えられています。
注目されるのは、その後の石坂さんと女優・浅丘ルリ子さんの関係です。加賀さんは、石坂さんと浅丘さんが知り合うきっかけをつくった人物としても知られています。過去の恋人と、その後に結婚する女性を紹介したというエピソードは、加賀さんの人間関係を語る際によく取り上げられます。
ただし、この関係を単純な三角関係として捉えるのは適切ではありません。加賀さんと石坂さんの交際は過去のものであり、浅丘さんとのつながりも、芸能界での交流の一つとして理解する必要があります。3人それぞれの人生や仕事があり、現在まで続く恋愛関係があるという意味ではありません。
加賀さんの結婚歴については、1974年2月にフジテレビのプロデューサー・高田明侑さんと結婚し、1980年3月に離婚したことが映画情報データベースKINENOTEなどに記録されています。石坂さんとの交際と、高田さんとの結婚は別の出来事です。結婚相手や時期を整理すると、混同されやすい情報を区別できます。
離婚後、加賀さんは再婚したのではなく、長年のパートナーとの生活を選んでいます。2026年1月に放送されたテレビ朝日系『徹子の部屋』では、演出家の清弘誠さんとの関係について語り、23年目を迎えたパートナー生活を明かしました。スポーツニッポンの報道でも、2人が20年以上にわたりパートナー関係にあることが紹介されています。
この関係は、法律上の婚姻と同じものではなく、一般に事実婚・パートナー関係として紹介されています。加賀さんの現在の暮らしを理解する際には、過去の結婚歴と、現在のパートナーとの関係を分けて考えることが大切です。
【娘の出産と別れ】1972年に何があったのか、死因は公表されている?
加賀まりこさんの人生を語るうえで、1972年の出産と娘との別れは、非常に重い出来事です。当時、加賀さんは未婚のまま女児を出産しました。出産後、娘は約7時間で亡くなったと伝えられています。
当時の芸能界では、結婚や出産をめぐる世間の価値観が現在とは異なり、未婚で子どもを産むことは大きな注目を集める出来事でした。そうした時代に、加賀さんは出産を経験しています。この事実は、彼女の華やかなスター像の裏側に、本人にしか分からない深い悲しみがあったことを示しています。
一方、娘の父親については公表されていません。名前や詳しい経緯をめぐってさまざまな情報が語られることがありますが、本人や信頼できる報道によって公に確認されている情報と、推測を混同しないことが重要です。
また、娘の死因についても、公表された確かな情報はありません。生後約7時間で亡くなったという経緯は伝えられていますが、具体的な病名や死亡原因は明らかにされていません。死因を断定したり、医療上の事情を推測したりすることはできません。
この出来事を取り上げるとき、注目すべきなのは、悲劇そのものをセンセーショナルに扱うことではありません。加賀さんの人生において、出産と別れが確かな出来事として記録されている一方、家族の詳細には公表されていない部分があるということです。本人の人生を知ることと、家族のプライバシーを尊重することは両立します。
その後、加賀さんは女優として仕事を続け、1974年には高田明侑さんと結婚しました。出産の翌年以降も映画への出演を重ねており、私生活の大きな出来事を経ながら、俳優としてのキャリアを継続していったことが分かります。
【2026年現在】加賀まりこの仕事、パートナーとの暮らしと最新出演作
2026年10月現在、加賀まりこさんは82歳です。1943年12月11日生まれのため、2026年12月に83歳を迎えます。年齢を重ねても俳優として活動を続けており、若い頃のスターイメージだけでは語れない、現在の加賀さんにも注目が集まっています。
2026年の出演作として注目されるのが、NHK連続テレビ小説『ブラッサム』です。2026年9月28日に放送が始まった同作は、作家・宇野千代さんをモデルにした物語で、加賀さんは年齢を重ねた主人公・葉野珠を演じています。映画やドラマで長い経験を積んできた加賀さんが、朝ドラという幅広い視聴者が見る作品に出演することは、現在の活動を知るうえで重要なトピックです。
加えて、2025年に放送されたNHKドラマ『しあわせは食べて寝て待て』では、団地の大家・美山鈴役を演じました。2026年8月18日放送の特別編『早春の養生編』でも同役を再び演じています。2026年8月のインタビューでは、鈴という人物が自分自身にも活力を与えてくれる役であることや、後輩への思いについて語っていました。
この役が印象的なのは、加賀さんが長年演じてきた強い女性像とは少し違い、相手との距離を考えながら手を差し伸べる人物であることです。若い頃の小悪魔的な魅力とは異なる、包容力や人生経験を感じさせる演技が、作品の世界観を支えています。
私生活では、演出家の清弘誠さんと20年以上にわたるパートナー関係を築いています。2026年1月の『徹子の部屋』では、長年連れ添っていることや、一緒に外食することが多い生活について話しました。同番組では、ピラティスを12年続けていることにも触れています。
このように、現在の加賀さんは、俳優業と日常生活の両方を自分らしく続けています。若い頃の華やかさや自由奔放なイメージに加え、長い年月を経て築いてきた人間関係や、年齢に応じた役柄への向き合い方も、2026年の姿を理解するための大切な要素です。
【小悪魔・和製ブリジット・バルドー】発言の評判と冨士眞奈美・吉行和子との友情
加賀まりこさんが「小悪魔」や「和製ブリジット・バルドー」と呼ばれてきた背景には、若い頃の美貌だけでなく、周囲に遠慮せず自分の考えを表現する姿勢がありました。映画『月曜日のユカ』で見せた、自由でつかみどころのない女性像と、実生活で伝えられてきた率直な言動が重なり、独特のパブリックイメージが形成されたのです。
一方、歯に衣着せぬ発言は、見る人によって受け止め方が分かれることもあります。はっきり意見を伝える姿勢を頼もしいと感じる人がいる一方、言葉が強く感じられる場面では、厳しい人物という印象を持つ人もいるでしょう。2026年8月のインタビューでも、加賀さん自身が、自分は周囲から怖がられることがあると振り返っています。
ただ、発言の一部だけを切り取って人物像を決めつけると、長いキャリアの全体像を見失います。演技に対して自分の考えを伝え、監督やスタッフと話し合う姿勢も紹介されており、仕事に対する真剣さや、現場でのコミュニケーションを大切にする一面がうかがえます。
私生活では、女優の冨士眞奈美さん、吉行和子さんとの長年の友情が知られています。冨士さんとは60年来の親友で、互いの家を行き来するほど親しい間柄でした。2026年1月に2人で『徹子の部屋』に出演した際には、2025年9月に90歳で亡くなった吉行さんとの思い出を語っています。
同番組では、吉行さんが冨士さんに「一緒に住まない」と持ちかけたエピソードも紹介されました。冨士さんは当時、その言葉を冗談だと思ったものの、後になって本気だったのかもしれないと振り返っています。加賀さんも会話に加わり、長年の友人だからこそ分かる吉行さんの人柄を語りました。
この友情は、芸能界の華やかな交友関係というだけではありません。仕事の場で知り合い、互いの性格や暮らしをよく知る関係が、何十年にもわたって続いてきたということです。加賀さんの率直な言葉も、長い付き合いの中では、相手をよく知ったうえで交わされる会話として受け止められている面があります。
「小悪魔」という呼び名は、若い頃の外見や奔放な印象を表す言葉として定着しました。しかし、現在の加賀さんを理解するには、それだけでは不十分です。作品ごとに異なる人物を演じる柔軟さ、仕事へのこだわり、長年続く友情、そして現在のパートナーとの暮らしまで含めて見ることで、より立体的な人物像が浮かび上がります。
【加賀まりこ】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:加賀まりこの本名は何ですか?
A1:本名は加賀雅子(かが・まさこ)です。1943年12月11日生まれで、2026年10月現在は82歳です。
Q2:加賀まりこと石坂浩二は結婚していたのですか?
A2:結婚したという記録はありません。2人は1966年に舞台で共演したことをきっかけに交際し、一時は同棲していたと伝えられています。その後、関係は自然に終わったとされています。
Q3:加賀まりこの結婚相手と離婚歴は?
A3:1974年2月にフジテレビのプロデューサー・高田明侑さんと結婚し、1980年3月に離婚しました。2026年現在は、演出家の清弘誠さんと20年以上にわたるパートナー関係を築いています。
Q4:加賀まりこの娘の死因は公表されていますか?
A4:1972年に出産した娘は、生後約7時間で亡くなったと伝えられています。ただし、具体的な死因は公表されていません。父親についても公表されていないため、推測による情報には注意が必要です。
Q5:加賀まりこは2026年現在も女優として活動していますか?
A5:はい。2026年にはNHK連続テレビ小説『ブラッサム』に出演しています。また、2026年8月放送の『しあわせは食べて寝て待て』特別編にも出演し、俳優活動を続けています。
Q6:「小悪魔」「和製ブリジット・バルドー」と呼ばれた理由は何ですか?
A6:若い頃の美貌に加え、映画『月曜日のユカ』などで見せた自由でつかみどころのない女性像、そして実生活での率直な言動が背景にあります。単なる外見上の評価ではなく、独自の存在感や生き方を象徴する呼び名として広まりました。
まとめ:加賀まりこの現在を知るには、若い頃の伝説と今の活躍をあわせて見る
加賀まりこさんは、本名を加賀雅子といい、10代から女優として活動してきました。映画『月曜日のユカ』で注目を集め、「小悪魔」「和製ブリジット・バルドー」と呼ばれる一方、映画やテレビ、舞台、司会など幅広い分野でキャリアを築いてきた人物です。
石坂浩二さんとの交際、高田明侑さんとの結婚と離婚、1972年の出産と娘との別れは、その人生を理解するうえで欠かせない出来事です。ただし、娘の父親や死因など、公表されていない家族の情報を憶測で補うことはできません。公に知られている事実と、推測や噂を区別することが大切です。
2026年現在、82歳の加賀さんは、清弘誠さんとの長年のパートナー関係を大切にしながら、『ブラッサム』などの作品で活躍を続けています。若い頃の華やかなイメージにとどまらず、年齢を重ねた今だからこそ表現できる人物像にも注目したいところです。
加賀まりこさんの魅力は、型にはまらない生き方と、時代が変わっても失われない表現者としての存在感にあります。恋愛や家族の話題だけでなく、作品、友情、率直な言葉、そして現在の活動をあわせて見ることが、彼女の長い歩みを理解するための手がかりになります。