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塩瀬総本家の発祥は1349年?林浄因と日本初の餡入り饅頭、京都移転を徹底解説

藤咲 尚 藤咲 尚 • 更新: • 公開: • 読了約 18 分
目次

塩瀬総本家の発祥は、貞和5年(1349年)に中国から来日した林浄因(りんじょういん)が、奈良で餡入り饅頭を作ったことに始まるとされています。東京・築地に本店を構える老舗和菓子店で、公式会社概要にも創業年として1349年が記載されています。2026年には、創業から数えて677年にわたる歴史を持つことになります。

ただし、塩瀬総本家の歴史を理解するには、創業年だけでなく、奈良で生まれた饅頭が京都へ伝わった経緯、三河国の地名に由来する「塩瀬」という姓、室町幕府8代将軍・足利義政との関係を知る必要があります。加えて、初代の林浄因が考案したとされる餡入り饅頭と、後世に発展した薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)は、区別して捉えることが大切です。

【この記事の重要ポイントまとめ】
  • 発祥:1349年、中国から来日した林浄因が奈良で餡入り饅頭を作ったことが、塩瀬総本家の起源とされる。
  • 名前の由来:応仁の乱の際に移り住んだ三河国の塩瀬という地名から、姓を「塩瀬」に改めたと公式沿革に記されている。
  • 歴史的な看板:足利義政から「日本第一番饅頭所林氏塩瀬」と伝わる看板を賜ったとされる。
  • 現在の姿:2026年も築地本店や百貨店店舗で和菓子を販売。伝統的な饅頭に加え、季節商品やコラボレーションにも取り組んでいる。

【発祥の核心】塩瀬総本家は1349年に奈良で始まった

塩瀬総本家発祥

塩瀬総本家の公式サイト「沿革」によると、初代の林浄因は貞和5年(1349年)に中国から来日し、奈良に住み、日本で初めて餡入り饅頭を作って販売したとされています。会社の公式な創業年も、この出来事に基づく1349年です。

林浄因の来日は、京都・建仁寺の住持を務めた龍山徳見(りゅうざんとっけん)の中国留学からの帰国に伴うものだったと、塩瀬総本家の「塩瀬と和菓子の物語」は説明しています。中国の食文化を背景に持つ林浄因が、日本の食習慣や仏教文化に合わせて新しい菓子を生み出したことが、同店の歴史の出発点になりました。

当時の中国には、肉などを具材にする饅頭の食文化がありました。一方、肉食を避ける仏教僧侶にとって、肉入りの饅頭はそのまま食べられるものではありません。そこで林浄因は、小豆を植物由来の甘味料である甘葛煎(あまづらせん)を使って煮詰め、甘い餡を作り、饅頭の中に入れたと伝えられています。

この工夫の意義は、単に新しい菓子を考案したことだけではありません。中国由来の食文化を日本の食習慣に適応させ、甘い小豆餡を使う菓子の系譜を切り開いたという点にあります。塩瀬総本家は、この餡入り饅頭を日本の饅頭文化の原点として位置づけています。

なお、ここでいう「日本最初の饅頭」は、塩瀬総本家や林神社の由緒で語られる、餡入り饅頭の起源という意味で理解するのが適切です。中国から伝わった饅頭の食文化全体と、日本で甘い餡を包む菓子が発展した歴史は、分けて考える必要があります。

【検証資料 1】当時のメディア報道・掲載写真(出典:agatajapan.com)

【奈良饅頭の起源】林浄因が生んだ餡入り饅頭と薯蕷饅頭の違い

林浄因が奈良で作ったとされる饅頭は、奈良饅頭と呼ばれています。奈良市観光協会の特集「奈良と菓子 はじまりの物語」でも、1349年に中国から渡来した林浄因が奈良に住み、小豆の餡を用いた饅頭を考案したことが紹介されています。

奈良饅頭の物語で重要なのは、甘い餡が菓子の中心的な要素になったことです。甘味を加えた小豆餡を小麦粉などの生地で包む発想は、後世の和菓子文化を考えるうえで大きな意味を持ちます。寺院や宮中に伝わったとされる饅頭は、やがて贈答や祝い事とも結びついていきました。

塩瀬総本家の公式の物語では、林浄因は後村上天皇の時代に宮中へ饅頭を献上し、その功績が認められたと伝えられています。また、婚礼に際して紅白の饅頭を作って配ったことが、祝い事に紅白饅頭を用いる文化につながったとも説明されています。こうした伝承は、饅頭が単なる食べ物にとどまらず、慶事や贈答の意味を担うようになった背景を示しています。

一方、現在の塩瀬総本家を代表する饅頭の皮は、大和芋と米粉、砂糖を使う薯蕷饅頭です。初代が奈良で餡入り饅頭を作ったという由緒と、現在の製法の基盤となる薯蕷饅頭の誕生は、同じ出来事ではありません。

塩瀬総本家の公式商品説明によると、薯蕷饅頭の基礎を築いたのは、林浄因から数えて7代目にあたる林紹絆(りんしょうばん)です。中国で製菓を研究するなかで宮廷料理に着想を得て、大和芋を用いる饅頭を考案したとされています。つまり、1349年の餡入り饅頭の誕生を出発点として、後代の当主が皮や製法を発展させてきたのです。

現在の製造でも、大和芋をすりおろし、米粉と合わせて生地を作る工程が受け継がれています。塩瀬総本家の公式説明では、温度や湿度に合わせて生地を調整し、北海道産の小豆などを用いた餡と組み合わせるとしています。伝統とは、古い形をそのまま保存するだけではなく、材料や技術を磨きながら味を継承することでもあります。

【塩瀬の名前の由来】京都への移転と足利義政との関係

塩瀬総本家の名前の由来は、創業者の林浄因が最初から「塩瀬」という姓を名乗っていたことにあるのではありません。公式沿革によると、林浄因の子孫が京都と奈良に分かれ、京都へ進出したのち、応仁の乱を避けて三河国へ移り住んだ際に、塩瀬という姓を名乗るようになりました。

具体的には、公式沿革は寛正元年(1460年)ごろ、林家の子孫が京都へ上ったと記録しています。その後、応仁元年(1467年)に応仁の乱が起きると、京都を離れ、三河国設楽郡の塩瀬に移住したとされます。これが「塩瀬」という名前の由来です。

応仁の乱が終息した文明9年(1477年)ごろには、再び京都に戻って饅頭屋を営むようになったと記されています。塩瀬の名は、菓子の製法や味だけでなく、戦乱による移住という歴史的な出来事を通じて定着したのです。

この時代に塩瀬の名を広めた存在として伝えられるのが、室町幕府8代将軍の足利義政です。塩瀬総本家の公式沿革によると、義政は応仁年間(1467~1476年)に「日本第一番本饅頭所林氏塩瀬」と記された看板を与えたとされています。現在も同店の歴史を象徴する品として語られる看板です。

看板にある「日本第一番饅頭所」という表現は、塩瀬が当時の権力者に認められた存在だったことを示すものとして受け継がれています。ただし、これを現代の第三者機関による全国ランキングや、あらゆる饅頭店の創業年を比較した結果と同一視することはできません。歴史的な由緒としての意味と、現代の客観的な順位は区別して読むべきです。

その後、塩瀬の饅頭は宮中や将軍家とのつながりを深め、江戸時代には江戸にも進出したと公式沿革に記されています。徳川家康との関係や茶の湯文化との結びつきも、塩瀬総本家が伝える歴史の一部です。饅頭が日常のおやつにとどまらず、献上品や儀礼の菓子として発展したことが、老舗としての地位を支えてきました。

【検証資料 2】活動歴および当時の関連ビジュアル記録(出典:cdn-ak.f.st-hatena.com)

【塩瀬総本家の歴史年表】1349年から2026年までの主な出来事

塩瀬総本家の公式沿革と「塩瀬と和菓子の物語」をもとに、発祥から現在までの主な節目を整理しました。奈良での創業伝承、京都への進出、三河での改姓、江戸への進出、そして近代の会社設立を順番に見ると、同店が長い時間をかけて形を変えてきたことがわかります。

年代 出来事 歴史的な意味
1349年(貞和5年) 林浄因が中国から来日し、奈良で餡入り饅頭を作ったとされる。 塩瀬総本家が創業年とする起点。
1359年(延文4年) 公式沿革では、林浄因が元朝へ帰ったと記録される。 初代の来日後の歩みを示す節目。
1460年ごろ(寛正元年) 林家の子孫が京都と奈良に分かれ、京都へ進出したとされる。 京都での饅頭商いの展開。
1467年(応仁元年) 応仁の乱を避けて三河国設楽郡の塩瀬に移住し、塩瀬姓を名乗ったとされる。 現在の屋号につながる名前の由来。
1467~1476年(応仁年間) 足利義政から「日本第一番本饅頭所林氏塩瀬」の看板を賜ったとされる。 将軍家との関係を象徴する由緒。
1477年(文明9年)ごろ 京都へ戻り、塩瀬の名で饅頭屋を営んだとされる。 京都での営業再開と発展。
1659年(万治2年)ごろ 江戸へ進出し、日本橋に店を構えたと公式沿革に記される。 江戸の菓子文化への広がり。
1940年(昭和15年) 合資会社京橋塩瀬を設立。 近代的な企業組織への移行。
1951年(昭和26年) 合資会社塩瀬総本家を設立。 現在の社名につながる会社組織の節目。
2026年(令和8年) 豆大福の製造再開、季節商品や異業種との企画、テレビ番組での紹介を告知。 伝統を継承しながら現在の顧客に向けた取り組みを続ける。

この年表で特に注意したいのが、1349年の「創業」と1951年の「会社設立」は意味が異なるという点です。塩瀬総本家は、林浄因による餡入り饅頭の誕生を創業の起点としています。一方、1951年は公式沿革に記された合資会社塩瀬総本家の設立年です。歴史上の商いの始まりと、法人としての組織形成を分ければ、創業年をめぐる混乱は避けられます。

また、歴代当主の歩みは、単純に同じ人物名や姓だけでつながるものではありません。公式沿革には、林家の子孫による京都・奈良の分家、江戸での営業、近代における名跡の継承が記されています。近代以降は渡辺亀次郎、渡辺よし、川島英子らが経営を担い、現在の代表取締役社長は川島一世氏です。

なお、代数の表記には公式ページ間で違いがあります。代表挨拶では川島一世氏を「三十五代店主」と紹介する一方、2026年10月のテレビ番組告知では「36代」と表現しています。両者の数え方の違いについて公式説明は見当たらないため、代数だけを根拠に歴代当主の系譜を断定するのは避けたいところです。

【塩瀬総本家の現在】築地本店と伝統を受け継ぐ和菓子

2026年現在、塩瀬総本家の本社は東京都中央区明石町にあり、公式の会社概要では和菓子の製造・販売を事業内容としています。直営の売店として、築地本店、松屋銀座店、大丸東京店、日本橋高島屋店が案内されています。空港や百貨店など、一部商品を取り扱う販売先もあります。

主力商品として知られるのは、志ほせ饅頭をはじめとする薯蕷饅頭です。紅白饅頭、青白饅頭、本饅頭なども展開しており、祝い事や贈答の需要にも対応しています。公式オンラインショップでは、饅頭以外に羊羹、最中、焼き菓子、季節の生菓子、詰め合わせなども扱っています。

2026年の公式発表では、3月26日から一部商品の価格を改定しています。理由として挙げられたのは、大和芋やもち米を中心とした原材料費、包装資材費、物流コストの上昇です。長い歴史を持つ老舗でも、原材料の調達や流通にかかる費用の変化は避けられず、伝統的な製法を維持するには経営面での対応も必要になります。

また、9月23日には、暑さが落ち着いたことを受けて豆大福の製造再開を発表しました。対象店舗として築地本店、松屋銀座店、高島屋東京店、大丸東京店を案内しています。もち米をつき上げ、えんどう豆を加え、特製餡を包むという製法も紹介されており、饅頭以外の商品にも、素材と工程を大切にする姿勢が表れています。

商品開発や外部との企画も進めています。2026年4月には横浜美術館の今村紫紅展に合わせた限定の蒸し饅頭や最中を告知し、9月には銀座ウエストとの季節限定企画として、塩瀬の特製餡を使った月餅を紹介しました。こうした取り組みは、伝統菓子をそのまま販売するだけでなく、異なる文化や販売機会と結びつけて新しい顧客に届ける動きとして捉えられます。

加えて、塩瀬総本家は10月15日付の公式お知らせで、テレビ朝日「プラチナファミリー」の10月20日放送回で紹介されると告知しました。歴史的な看板や、足利義政、徳川家康との関係などが取り上げられる内容として案内されており、創業の由緒が2026年にも広く紹介されていることがわかります。

【検証資料 3】公の場での発言・インタビュー報道記録(出典:shiose.co.jp)

【林神社の饅頭祭り】奈良に残る発祥の記憶

林浄因の歴史を今に伝える場所の一つが、奈良市の漢國神社(かんごうじんじゃ)の境内にある林神社です。漢國神社の公式サイトによると、林神社には林浄因命が祀られ、毎年4月19日に饅頭祭りが行われます。饅頭の祖とされる人物の功績をたたえ、菓子業界の繁栄を祈願する行事です。

奈良市観光協会も、林神社の饅頭祭りを奈良の菓子文化を象徴する行事として紹介しています。祭りには全国の菓子業者から銘菓が献上され、復刻奈良饅頭の販売なども行われます。発祥の地とされる奈良で、饅頭を通じた技術や文化の継承が続いている点は、塩瀬総本家の歴史を理解するうえでも見逃せません。

奈良テレビが2026年4月19日に報じた饅頭祭りでは、全国各地から菓子業者が集まり、菓子作りの技術向上や業界の発展を祈願しました。報道では、饅頭数え歌の奉納や千本杵による餅つきも紹介されています。祭りは歴史上の人物を顕彰するだけでなく、菓子作りに携わる人々が集う機会にもなっています。

塩瀬総本家の創業伝承と林神社の祭礼は、奈良で生まれたとされる餡入り饅頭の記憶を、異なる形で現在に伝えています。東京の老舗店舗で饅頭を買うことと、奈良の林神社で饅頭祭りの由緒に触れることは、同じ歴史を別の角度から知る体験だといえます。

【塩瀬総本家発祥】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:塩瀬総本家の創業年は何年ですか?
A1:公式会社概要では、貞和5年にあたる1349年を創業年としています。初代の林浄因が中国から来日し、奈良で餡入り饅頭を作ったことが起源とされています。なお、合資会社塩瀬総本家の設立は1951年であり、創業年と会社設立年は別です。

Q2:林浄因はどこから来日し、何を作ったのですか?
A2:塩瀬総本家の公式沿革では、中国から1349年に来日したとされています。奈良に住み、甘く煮た小豆餡を包んだ饅頭を作ったことが、日本の餡入り饅頭の起源として伝えられています。

Q3:「塩瀬」という名前の由来は何ですか?
A3:公式沿革によると、応仁の乱を避けて三河国設楽郡の塩瀬に移り住んだ際、その地名から姓を塩瀬に改めたとされています。現在の店名につながる由来です。

Q4:足利義政は塩瀬総本家とどのような関係があったのですか?
A4:塩瀬総本家の公式沿革では、応仁年間に足利義政から「日本第一番本饅頭所林氏塩瀬」と伝わる看板を賜ったとされています。この看板は、同店の歴史を象徴する由緒の一つです。

Q5:奈良饅頭と薯蕷饅頭は同じものですか?
A5:同じものとして扱うのは正確ではありません。奈良饅頭は林浄因が奈良で作ったとされる餡入り饅頭の伝承に関係します。一方、薯蕷饅頭は大和芋などを使った皮が特徴で、塩瀬総本家の公式説明では、7代目の林紹絆が製法の基礎を築いたとされています。

Q6:2026年現在、塩瀬総本家の商品はどこで購入できますか?
A6:公式店舗一覧では、築地本店、松屋銀座店、大丸東京店、日本橋高島屋店が直営売店として案内されています。オンラインショップも利用できます。季節商品や一部商品の取り扱いは店舗によって異なるため、購入前に最新の公式案内を確認すると安心です。

まとめ:塩瀬総本家の発祥から学ぶ、老舗和菓子の歴史と現在

塩瀬総本家の発祥は、1349年に中国から来日した林浄因が奈良で餡入り饅頭を作ったという伝承にあります。その後、子孫が京都へ進出し、応仁の乱を避けて移り住んだ三河国の塩瀬という地名から姓を改め、足利義政との関係を伝える看板を受け継いできました。

歴史を読み解くうえでは、1349年の餡入り饅頭の誕生と、後世に発展した薯蕷饅頭の製法を区別すること、また創業年と法人設立年を混同しないことが重要です。こうした違いを押さえると、単に「日本最古の和菓子店」という肩書きを知るだけでなく、製法、屋号、移住、贈答文化がどのようにつながってきたのかが見えてきます。

2026年現在も、塩瀬総本家は伝統的な饅頭を製造・販売しながら、豆大福の季節販売や美術館との企画、異業種とのコラボレーションなどを続けています。奈良の林神社で毎年行われる饅頭祭りも、饅頭文化の歴史を現代に伝える場です。

【プロの結論】 塩瀬総本家の歴史を知る際は、「1349年に何が始まったのか」「塩瀬という名前はどこから来たのか」「現在の饅頭の製法はどの時代に発展したのか」という3点を軸に見ると、発祥の物語と現代の和菓子が一本の線でつながります。歴史ある店の価値は、長く続いているという事実だけではなく、時代ごとの工夫を積み重ねながら、その味と文化を次の世代へ伝えている点にあります。

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藤咲 尚

旅行・住まい・暮らしの話題を担当。自治体の公式観光情報、施設の公開資料、不動産の公的統計を参照し、料金や所在地は発表時点の情報として明記します。

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