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塩瀬総本家の発祥は奈良?1349年の創業から江戸進出まで歴史を徹底解説

天海 凛 天海 凛 • 更新: • 公開: • 読了約 16 分
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塩瀬総本家の発祥は、南北朝時代の1349年(貞和5年)にさかのぼります。中国から来日した林浄因(りんじょういん)が奈良で餡入り饅頭を作り始めたことが、同店の公式沿革に記されています。肉食を避ける僧侶のために、小豆を植物由来の甘味料で甘く煮て饅頭の皮に包んだという伝承は、日本の和菓子文化を考えるうえでも興味深い歴史です。

しかし、塩瀬総本家の歩みは奈良だけで完結しません。京都への進出、三河国塩瀬村に由来する姓の誕生、足利義政から贈られたと伝わる看板、江戸への出店、そして現在の東京の和菓子店へと続いています。2026年時点で創業677年目にあたる老舗の歴史を、塩瀬総本家の公式沿革や奈良市観光協会の案内をもとに整理します。

【この記事の重要ポイントまとめ】
  • 発祥:1349年、林浄因が中国から来日し、奈良で餡入り饅頭を作ったことが始まりとされる。
  • 姓の由来:応仁の乱の際に移り住んだ三河国設楽郡の塩瀬という地名から、塩瀬姓を名乗るようになったと伝わる。
  • 歴史の要点:京都での再興、足利義政の看板、1659年ごろの江戸進出を経て、1951年に現在の塩瀬総本家につながる会社が設立された。

【発祥の地は奈良】1349年、林浄因が餡入り饅頭を生み出した

塩瀬総本家発祥

塩瀬総本家の歴史を語るうえで欠かせない人物が、初代とされる林浄因です。同社の公式沿革によると、浄因は貞和5年(1349年)に中国から来日し、奈良に住んで饅頭を作り、販売したとされています。

当時の中国には、肉などを具材にした饅頭の食文化がありました。浄因はその製法を背景に、日本の食習慣や禅宗の僧侶の事情に合わせた菓子を考案したと伝えられています。肉食を避ける僧侶にも食べられるよう、小豆を甘く煮て餡を作り、皮で包んで蒸し上げたのです。

こうして生まれたとされるのが、塩瀬総本家の歴史で重要な位置を占める「奈良饅頭」です。店の公式説明では、日本で初めて餡入り饅頭を作った人物として林浄因を紹介しています。奈良市観光協会も、林浄因を中国から渡来し、日本に初めて饅頭を伝えた人物として案内しています。

浄因の饅頭は寺院に集う人々の間で評判になり、やがて宮中にも献上されるようになったと伝わります。塩瀬総本家の公式沿革には、後村上天皇から宮中の女性を賜ったという記述もあります。また、同社の伝承では、浄因が婚姻の際に紅白の饅頭を作って配ったことが、祝い事に紅白饅頭を用いる文化につながったとされています。

ただし、「日本初」という表現は、塩瀬総本家の由緒や林浄因を祭る神社の伝承に基づくものです。日本の饅頭文化の起源を考える際には、同店が伝える創業の歴史と、菓子文化全体の歴史を区別して理解することが大切です。

【甘葛煎と小豆餡】塩瀬総本家の発祥が和菓子史で注目される理由

林浄因の物語で特に注目したいのが、甘味料として登場する「甘葛煎(あまづらせん)」です。塩瀬総本家の公式解説によると、これは植物から得た汁を煎じて作る甘味料で、砂糖が広く普及する以前に食品へ甘みを付けるために使われていました。

浄因は、小豆を甘葛煎で煮詰め、餡にしたと伝えられています。現在の和菓子で当たり前のように使われている甘い小豆餡も、材料や製法を歴史的にたどると、当時の食文化や宗教上の制約に応じた工夫が背景にあったことが分かります。

ここで重要なのは、餡入り饅頭が単に中国の食文化をそのまま移植したものではないという点です。中国由来の饅頭を、日本の僧侶が食べられる形に変え、甘味を加えることで菓子として発展させたというのが、塩瀬総本家の伝承の中心です。異なる文化の技術を受け入れながら、日本の暮らしに合う形へ変えていく過程が見えてきます。

また、饅頭は保存性や携帯性の面でも扱いやすく、寺院や宮中など、人が集まる場所で提供する菓子として広がる余地がありました。塩瀬総本家の公式解説は、浄因の饅頭が評判を呼び、宮中に献上されるようになった経緯を紹介しています。甘味の工夫と、当時の有力者や寺院を通じた評判の広がりが、饅頭文化の定着を考える手がかりになります。

なお、甘葛煎を使った餡の誕生と、現在一般的な砂糖を使う餡の製法は同一ではありません。1349年の饅頭を、現代の和菓子とまったく同じ味や製法だったと考えるよりも、甘い餡を包んだ饅頭という発想が後世の和菓子文化につながった、と捉えるのが適切です。

【塩瀬という姓の由来】京都への移転と足利義政の看板

林浄因の子孫は、奈良から京都へと活動の場を広げていきます。塩瀬総本家の公式沿革では、1460年ごろに京都と奈良に分家し、京都へ進出したとされています。その後、応仁の乱が起こると、京都を離れて三河国設楽郡塩瀬に移り住み、この地名から「塩瀬」を姓にしたと伝えられています。

つまり、塩瀬という姓は、創業者の林浄因が最初から名乗っていたものではありません。林氏の一族が移住先の地名にちなんで名乗るようになった、というのが同社の伝える由来です。店名に残る「林氏塩瀬」という表現も、林氏の系譜と塩瀬の名が結び付いた歴史を示しています。

応仁の乱が終わった1477年ごろ、一族は再び京都に戻り、饅頭屋を営むようになったと公式沿革には記されています。京都では宮中や将軍家との関係を深め、店のあった地域は「饅頭屋町」と呼ばれるようになったとされます。現在の京都市中京区、烏丸通三条下ル付近にその地名の記憶が残っています。

この時代の象徴として伝わるのが、室町幕府の将軍・足利義政から贈られたという看板です。塩瀬総本家の公式沿革では、応仁年間(1467~1476年)に、義政の直筆とされる「日本第一番本饅頭所林氏塩瀬」の看板を賜ったとしています。

この看板は、単なる店舗の看板ではありません。宮中や将軍家に出入りする菓子店としての格式や、饅頭の名声を象徴するものです。現代のブランド戦略に置き換えて考えるなら、品質に加え、権威ある顧客との関係や由緒が、店の信用を支える要素になっていたといえます。

ただし、看板に記された「日本第一番」は、当時の店の格式や由緒を示す称号として理解する必要があります。現代の市場調査による全国順位や、客観的な販売シェアを示す統計ではありません。

【歴史年表】京都から江戸へ、そして現在の塩瀬総本家へ

塩瀬総本家の歴史は、奈良での創業から京都での再興、江戸での商い、近代の会社設立へと続きます。ここで注意したいのは、1349年という創業年と、現在の株式会社につながる会社が設立された年は異なることです。前者は林浄因の饅頭づくりに由来する創業の年、後者は近代の法人組織としての歩みを示しています。

年・時期 主な出来事 歴史上の意味
1349年(貞和5年) 林浄因が中国から来日し、奈良で餡入り饅頭を作ったとされる 塩瀬総本家が伝える創業の起点
1460年ごろ 奈良と京都に分家し、京都へ進出 活動の場を広げる
1467~1476年ごろ 三河国塩瀬へ移住し、足利義政から看板を賜ったと伝わる 塩瀬姓と店の格式に関わる節目
1477年ごろ 京都へ戻り、饅頭屋を再開 京都での商いを再興
1659年ごろ 江戸・日本橋に店を構え、江戸城の御用を承ったとされる 江戸での展開が進む
1940年 合資会社京橋塩瀬を設立 近代の会社組織へ移行
1951年(昭和26年) 合資会社塩瀬総本家を設立 現在の社名につながる会社の設立
1980年 川島英子が社長に就任 経営体制の転換
2000年 川島一世が社長に就任 現在の経営体制につながる節目

出典は塩瀬総本家の公式沿革・会社概要です。沿革によれば、江戸進出は1659年ごろで、日本橋一丁目に店を構え、江戸城の御用を承るようになったとされています。その後、江戸の名物を記した書物にも塩瀬饅頭の名が登場します。1836年の『江戸名物詩選』にも塩瀬饅頭の記載があるとされ、当時の江戸で広く知られた菓子だったことがうかがえます。

一方、京都の塩瀬家は1798年に当主が没し、絶家したと公式沿革に記されています。これは、現在までの歴史が単純に一つの店舗、一つの家系だけで途切れず続いたという説明ではないことを示す重要な点です。江戸側の系譜や、後世の名跡・経営体制の変遷も含めて見る必要があります。

近代に入ると、1940年に合資会社京橋塩瀬が設立され、1951年には合資会社塩瀬総本家が設立されました。創業から数百年にわたる饅頭づくりの伝承と、現在の会社組織の成立は、別の出来事として整理すると歴史を理解しやすくなります。

【林神社と饅頭祭り】奈良に残る饅頭発祥の記憶

林浄因の物語を現在の奈良でたどるなら、重要な場所が漢國神社(かんごうじんじゃ)の境内にある林神社です。奈良市観光協会の案内によると、林神社には饅頭を日本に伝えたとされる林浄因が祭られており、毎年4月19日に「饅頭祭り」が行われます。

饅頭祭りは、林浄因の功績をたたえるとともに、菓子業界の繁栄を祈願する行事です。奈良市観光協会は、全国の銘菓が献上される行事として紹介しています。2026年4月19日にも祭りが開催され、奈良テレビや奈良新聞などが、全国各地の菓子関係者が集まり、菓子づくりの技術向上や業界の発展を祈願した様子を報じました。

林神社が興味深いのは、歴史上の人物を顕彰する場所であると同時に、現在の菓子文化を支える人々が集まる場所でもあることです。饅頭の起源を語る伝承が、毎年の祭礼を通して、菓子づくりに携わる人々の共同体意識と結び付いています。

奈良を訪れて発祥の地の歴史に触れたい場合は、漢國神社と林神社が訪問先の候補になります。奈良市観光協会の案内では、近鉄奈良駅から徒歩約5分、JR奈良駅から徒歩約13分とされています。祭りの開催内容や振る舞い、販売品は年によって変更されることがあるため、参加を考えている場合は当年の案内を確認するのが確実です。

【志ほせ饅頭の由来】677年目の老舗は現在何を受け継いでいるのか

塩瀬総本家を代表する菓子の一つが「志ほせ饅頭」です。白く小ぶりな薯蕷饅頭で、表面には「志ほせ」の焼き印が押されています。この名前には、老舗ならではの実務的な工夫が隠されています。

塩瀬総本家の公式ブログによると、旧字の「鹽瀬」は画数が多く、饅頭に焼き印を押す際に扱いにくかったことから、「志」を当て字にして「志ほせ」と表記するようになりました。つまり、「志ほせ饅頭」という名称は、単に古い姓をひらがな交じりにしたものではなく、商品の仕上げに使う焼き印と結び付いて生まれたものです。

現在の塩瀬総本家は、東京都中央区明石町に本社を置き、和菓子の製造・販売を行っています。公式会社概要では、創業を貞和5年(1349年)とし、取締役会長を川島英子、代表取締役社長を川島一世としています。公式の代表挨拶では、川島一世を三十五代店主と紹介しています。

2026年時点では、創業年の1349年から677年目にあたります。現在の店舗展開は築地本店のほか、松屋銀座店、大丸東京店、日本橋高島屋店などです。公式サイトでは、伝統的な饅頭だけでなく、羊羹や最中、上生菓子なども紹介されています。伝統を看板にする一方、商品や販売の形を時代に合わせて変えてきたことが、長い歴史を持つ店の現在につながっています。

この歩みから読み取れるのは、老舗の価値が「昔と同じものを作り続けること」だけでは成り立たないという点です。林浄因の饅頭が中国由来の技術を日本の食習慣に合わせたとされるように、塩瀬総本家の歴史そのものが、伝統を守りながら新しい形を取り入れる連続でもあります。2026年の現在も、同店は和菓子を通じてその考え方を発信しています。

【塩瀬総本家発祥】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:塩瀬総本家の発祥の地はどこですか?
A1:塩瀬総本家の公式沿革では、初代とされる林浄因が1349年に中国から来日し、奈良で餡入り饅頭を作ったことが創業の起点とされています。現在の会社の本社所在地は東京都中央区明石町です。

Q2:塩瀬総本家の創業年は何年ですか?
A2:創業年は1349年(貞和5年)です。ただし、現在の社名につながる合資会社塩瀬総本家が設立されたのは1951年です。創業の由緒と近代の会社設立年は分けて考える必要があります。

Q3:塩瀬という姓はどこから来たのですか?
A3:塩瀬総本家の公式沿革では、応仁の乱の際に一族が三河国設楽郡塩瀬に移り住み、その地名から塩瀬姓を名乗るようになったと説明されています。

Q4:林浄因はなぜ日本の饅頭の元祖と呼ばれるのですか?
A4:塩瀬総本家や奈良市観光協会の説明では、林浄因は中国から饅頭の文化を伝え、日本で餡入り饅頭を作った人物とされています。特に、甘葛煎を使った甘い小豆餡を皮で包んだ饅頭の創作が、同店の由緒における重要な出来事です。

Q5:志ほせ饅頭の「志ほせ」という名前にはどんな意味がありますか?
A5:塩瀬総本家の公式ブログによると、旧字の「鹽瀬」は焼き印で押すには画数が多かったため、「志」を当て字にして「志ほせ」と表記するようになりました。商品の焼き印が名称の由来になっています。

Q6:林浄因を祭る饅頭祭りはいつ開催されますか?
A6:奈良市の漢國神社境内にある林神社で、毎年4月19日に開催されます。林浄因の功績をたたえ、菓子業界の繁栄を祈願する祭りです。行事の詳細や当日の催しは、開催年ごとの公式案内を確認してください。

まとめ:塩瀬総本家の発祥から見える和菓子文化の歩み

塩瀬総本家の発祥は、1349年に中国から来日した林浄因が奈良で餡入り饅頭を作ったという由緒にあります。甘葛煎を使った小豆餡、京都への進出、三河国塩瀬村に由来する姓、足利義政から贈られたと伝わる看板、そして1659年ごろの江戸進出へと、その歴史は各時代の食文化や社会との関わりを映しています。

一方、現在の会社につながる合資会社塩瀬総本家が設立されたのは1951年です。創業の年と法人設立の年を区別することで、長い伝承の歴史と近代企業としての歩みを正確に捉えられます。

林神社の饅頭祭りや、焼き印から生まれた「志ほせ饅頭」の名称は、過去の物語が現在の文化や商品に結び付いている例です。塩瀬総本家の歴史を知る際は、「日本初」という由緒を尊重しながら、公式沿革、地域の伝承、現代の会社情報を照らし合わせて読むことが大切です。奈良に始まったとされる饅頭の物語は、2026年の今も、和菓子を通じて受け継がれています。

主な確認資料: 塩瀬総本家公式「沿革」「会社概要」「塩瀬と和菓子の物語」「しおせ便り」、奈良市観光協会「漢國神社(林神社)」、2026年4月の奈良テレビ・奈良新聞による饅頭祭りの報道。

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トレンドリサーチャー 天海 凛
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美容・ファッション領域のライター。ブランドの公式発表、商品の成分表示、取材先の一次コメントをもとに構成し、体験談と公開情報を区別して記載します。

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