秋の山や森から、「フィーヨー」「ヒョーン」という甲高い声が聞こえてきたら、ニホンジカのオスが繁殖期を迎えている可能性があります。普段は静かに見えるシカですが、秋になると鳴き声で縄張りを主張し、ほかのオスに存在を知らせたり、メスを囲い込んだりする行動が活発になります。
2026年は、ニホンジカの鳴き声をめぐる研究にも新たな進展がありました。山形大学などによる音響バイオロギング研究では、オスの「ハウル」と「モウン」の発声パターンが詳しく分析され、さらに2026年10月には、周囲への警戒が強まると繁殖期の鳴き声が減少することを示した研究が『Animal Behaviour』誌に掲載されました。鳴き声は単なる求愛の合図ではなく、シカの行動や生息状況を読み解く手掛かりにもなっています。
【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:ニホンジカのオスは秋の繁殖期に「フィーヨー」「ヒョーン」と表現される声を発し、縄張りの主張や繁殖行動に利用する。
- 要点2:「ハウル」は主に縄張りの主張、「モウン」はメスを囲い込む行動と関連し、発声頻度や場所に違いがある。
- 要点3:2025年の山形大学などの研究と2026年10月の最新研究により、鳴き声の記録から繁殖集団や繁殖適地、警戒行動を推定できる可能性が示されている。
【鳴き声の正体】「フィーヨー」「ヒョーン」は何を意味する?

ニホンジカの鳴き声は、鳥のさえずりのように聞こえることもあれば、遠くから人が叫んでいるように感じられることもあります。森林総合研究所四国支所は、秋のオスジカが発する声を「フィーヨー」と紹介し、たいてい3回ほど続けて鳴くと説明しています。
一方、福井県越前市の公的な生態解説では、繁殖期のオスの声を「ヒョーン」と表現しています。東京都御岳ビジターセンターも、オスが繁殖期に高い声を発することを紹介しています。
こうした違いは、必ずしも別の動物や別の行動を意味するわけではありません。文字による擬音表現には聞き手や録音条件による違いがあり、実際の鳴き声は音の高さ、長さ、音の連なり、発声時の行動などを合わせて判断する必要があります。
研究分野では、繁殖期の鳴き声を総称して「ラッティングコール(rutting call)」と呼ぶことがあります。これは繁殖期に関連する発声を指す言葉であり、「フィーヨー」や「ヒョーン」という表記そのものが、厳密な科学的分類名というわけではありません。
ニホンジカの音声を分析した1992年の研究では、6つの性別・年齢区分のシカから録音した620回の発声を分析し、音声を大きく5群、さらに13種類の発声タイプに分類しました。研究からも、シカの鳴き声は繁殖期の大きな声だけではなく、警戒や接触など複数の役割を持つことが分かります。
【鳴く理由と時期】オスとメスでは声の役割が違う
ニホンジカが鳴く理由は、繁殖、縄張りの維持、仲間との接触、警戒などさまざまです。どの声が聞こえるかは、性別や年齢、周囲の個体との関係、季節によって変わります。
オスは秋の繁殖期に大きな声を出す
ニホンジカの繁殖期は、一般に9月下旬から11月ごろが中心です。地域や個体群によって時期には差がありますが、この季節には成熟したオスが繁殖縄張りを形成し、複数のメスを含む集団を維持しようとします。
このときに発する大きな声には、周囲のオスに縄張りの存在を知らせる意味があります。声を聞いたほかのオスが発声することもあり、鳴き声は個体同士の距離が離れていても成立するコミュニケーション手段です。
また、鳴き声にはメスへのアピールや、繁殖集団を維持する行動との関係も考えられています。ただし、鳴いた回数だけで交尾の成功やオスの優劣を断定することはできません。
メスは子ジカとの接触や警戒などで鳴く
メスの鳴き声は、オスの繁殖期の咆哮ほど遠くまで響くものばかりではありません。奈良の鹿愛護会が紹介する音声資料では、メスが子ジカを呼ぶ声は「チュィーン」、警戒時の声は「ピャッ」と表現されています。
母子間の接触や仲間への警戒など、近距離でのコミュニケーションもシカの音声の重要な役割です。1992年の音声分類研究でも、メスの発声には母子の接触に関連するものが多く、オスでは繁殖期に発声の種類と頻度が増える傾向が報告されています。
そのため、森で甲高い声が聞こえたからといって、すべてを発情したオスの声と判断するのは早計です。声の長さや繰り返し方に加え、周囲に子ジカがいるか、警戒している様子があるかなども手掛かりになります。
【ハウルとモウン】鳴き声の違いを比較
ニホンジカの繁殖期の発声を理解するうえで重要なのが、「ハウル(howl)」と「モウン(moan)」という2つの音声タイプです。山形大学などの研究では、これらを区別して記録することで、オスの繁殖行動や生息地の利用をより詳しく把握できる可能性が示されました。
| 鳴き声・音声タイプ | 聞こえ方の目安 | 主な役割・読み取れること |
|---|---|---|
| ハウル(Howl) | 高い音が連なる、遠くまで響く咆哮 | 主に繁殖縄張りの主張。繁殖集団の数を推定する指標となる可能性がある。 |
| モウン(Moan) | 比較的まとまった、伸びるような発声 | メスを囲い込む行動と関連し、繁殖縄張りの中心や繁殖適地を把握する手掛かりとなる。 |
| メスの接触声 | 比較的短い高音など | 子ジカを呼ぶ、母子や仲間の位置を確かめるといった接触行動に関係する。 |
| 警戒声 | 短く鋭い声 | 危険や不審な気配を仲間に知らせる。繁殖期の咆哮とは役割が異なる。 |
ここで注意したいのは、表に示した聞こえ方が、すべての地域や個体で同じとは限らない点です。野外で聞いた声を擬音だけでハウルやモウンに分類するのは難しく、研究では録音波形や発声時の状況も使って区別しています。
ハウルは縄張り、モウンは繁殖縄張りの利用と関係
山形大学の2025年11月6日付の研究発表によると、福島県南会津町のオスジカに録音機などを組み合わせた首輪を装着し、2020~2022年の秋に調査を実施しました。10頭を捕獲して装着試験を行い、そのうち7頭から音響データを回収しています。
回収できたデータは計1,109時間。その中から6,846回の繁殖期の鳴き声が抽出され、ハウルが362回、モウンが6,484回でした。研究では、ハウルの発声頻度は個体間の差が比較的小さい一方、モウンは個体差が大きく、繁殖縄張りの中心で発声頻度が高くなりやすいことが分かりました。
この結果は、ハウルの検出を繁殖集団の数を把握する手掛かりに、モウンの発声場所や頻度を繁殖に適した環境を見つける手掛かりにできる可能性を示しています。鳴き声を聞けば、ただシカがいるかどうかだけでなく、地域でどのような繁殖行動が起きているのかを推定する道が開けてきたのです。
【夜に聞こえる理由】鳴く時間帯と見分け方のポイント
ニホンジカの鳴き声は、夜の山や森で聞こえることがあります。繁殖期のオスの声は遠くまで届き、周囲に姿が見えなくても存在に気づくことがあります。東京都御岳ビジターセンターも、10月以降に繁殖期の声が頻繁に聞こえることがあると紹介しています。
ただし、「シカは明け方と夕方にしか鳴かない」という理解は、最新の研究とは一致しません。山形大学などの音響バイオロギング研究では、ハウルとモウンは一日を通じて発声されることが多く、薄明薄暮だけに限定されないことが示されました。
一方、麻布大学の南正人氏による2021年の研究では、奈良公園と宮城県の金華山でハウルの発声頻度を調査し、地域によって季節や時間帯のピークに違いがあることが報告されています。奈良公園では11月に発声が最も多く、日の出や日没ごろにピークが見られたほか、夜間にも小さなピークがありました。
つまり、特定の時間帯に声が聞こえやすい場所はあるものの、発声時刻は地域や調査条件によって変わります。夜に聞こえたという理由だけで、特定の行動を断定することはできません。
聞こえた声から何が分かる?
長く伸びる高い声が何度も繰り返される場合は、繁殖期のオスによる咆哮を疑う手掛かりになります。特に秋の森林で聞こえ、周囲から別の大きな声が返ってくるなら、複数のオスが発声している可能性があります。
短く鋭い声が一度、または断続的に聞こえる場合は、警戒声などの可能性があります。短い接触声もあるため、音の長さだけで決めつけず、同じ声が繰り返されるか、鳴き声の前後で物音や動物の動きがあったかを観察することが大切です。
なお、山形大学などの研究では、風雨による環境雑音が大きい条件ではハウルとモウンの発声頻度が低下することも示されました。声が聞こえないからといって、シカがいないとは限りません。周囲の音環境そのものが、発声の有無に影響する可能性があるためです。
【2026年最新研究】鳴き声はシカの警戒心まで映し出す
2026年10月に『Animal Behaviour』誌に掲載された江成広斗氏、角田浩氏、江成はるか氏らの研究は、ニホンジカの鳴き声をめぐる新しい視点を示しました。研究タイトルは「Silencing as an antipredator tactic: perceived risk inhibits rutting calls in sika deer」。周囲の危険を強く感じている状況では、繁殖期の鳴き声が減少する可能性を検証したものです。
研究チームは、日本本土の21か所の調査地点で、2021~2024年の秋季に音響モニタリングを行いました。収集した音響データは計1,960日分に及び、対象となる鳴き声は45,139回。加えて、カメラで撮影した651本の動画からシカの警戒行動を評価しました。
分析の結果、警戒行動が多い状況では、ハウルとモウンの発声頻度が有意に低下していました。一方、危険を知らせる警戒声については、同じような低下がほとんど見られませんでした。
この結果は、繁殖期の大きな声を控える「沈黙」が、捕食者などに位置を知られにくくするための行動である可能性を示唆しています。ただし、警戒行動との関連が示されたことと、個々のシカが人間を恐れて必ず鳴きやむことは同じではありません。実際の発声は複数の環境要因や社会的条件に左右されます。
最新研究から見える3つのポイント
1. 鳴き声が少ない場所でも、シカがいないとは限らない。 周囲への警戒が強い状況や、風雨による雑音が大きい状況では、発声が減少する可能性があります。
2. 繁殖期の鳴き声と警戒声は、同じようには変化しない。 2026年の研究では、繁殖期の咆哮と警戒声で、警戒行動との関連が異なりました。鳴き声を一括りにせず、種類ごとに調べる必要があります。
3. 音響モニタリングは個体数管理にも役立つ可能性がある。 2025年の山形大学などの研究では、繁殖集団の把握や繁殖適地の推定につながる成果が得られました。2026年の研究は、発声頻度を解釈する際に警戒行動も考慮すべきことを示しています。
2026年時点の研究を総合すると、ニホンジカの鳴き声は単純な生息確認のサインではありません。声の種類、季節、時間帯、天候、警戒行動を組み合わせることで、シカの行動をより正確に読み取れるようになりつつあります。
【プロの結論】鳴き声を聞いたら、何を基準に判断すべきか
ニホンジカの鳴き声を理解するうえで大切なのは、音の印象だけで行動を決めつけないことです。「フィーヨー」「ヒョーン」という声は、秋の繁殖期のオスを考える重要な手掛かりですが、擬音だけではハウルとモウンを厳密に判別できません。
実際に鳴き声を観察するなら、次の3点を意識すると理解しやすくなります。
- 季節:9月下旬から11月ごろなら、繁殖期のオスの発声である可能性を考える。
- 音の特徴:高く長い声が連なるのか、短く鋭い声なのか、繰り返し方も含めて観察する。
- 周囲の状況:別の声が返ってくるか、風雨が強いか、警戒するような物音があるかなどを確認する。
鳴き声を録音して記録する場合も、シカを追いかけたり、鳴き声をまねて不用意に呼び寄せたりする必要はありません。野生動物との距離を保ち、自然な状態で観察することが、行動を正しく理解するための基本です。
【ニホンジカ鳴き声】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:ニホンジカの鳴き声は「フィーヨー」と「ヒョーン」のどちらが正しい?
A1:どちらも、ニホンジカのオスの繁殖期の声を表現する際に使われる擬音です。森林総合研究所四国支所は「フィーヨー」、越前市の生態解説は「ヒョーン」と紹介しています。擬音には個人差があるため、表記だけで音声タイプを厳密に区別することはできません。
Q2:ニホンジカは何月ごろに鳴く?
A2:繁殖期の大きな鳴き声は、一般に9月下旬から11月ごろに目立ちます。ただし、地域や個体群によって違いがあり、研究ではそれ以外の時期にも発声が記録されています。
Q3:ニホンジカのメスも鳴く?
A3:鳴きます。メスは子ジカを呼ぶ声や仲間との接触、警戒などに関係する声を発します。秋に遠くまで響くオスの咆哮ほど目立たない場合がありますが、メスが鳴かないわけではありません。
Q4:夜に聞こえるニホンジカの声は、発情期の鳴き声?
A4:秋の夜間なら繁殖期のオスの声である可能性があります。ただし、夜間にも警戒声や接触声などが聞こえることがあり、時刻だけで断定はできません。声の長さや繰り返し方、季節などを合わせて判断しましょう。
Q5:ハウルとモウンの違いは?
A5:研究上、ハウルは主に縄張りの主張に関係する発声、モウンはメスを囲い込む行動と関連する発声として区別されます。山形大学などの研究では、ハウルは繁殖集団の数、モウンは繁殖適地を把握する手掛かりになる可能性が示されました。
Q6:2026年の最新研究では何が分かった?
A6:2026年10月に『Animal Behaviour』誌に掲載された研究では、警戒行動が多い状況で繁殖期のハウルとモウンの発声頻度が低下する一方、警戒声には同じ傾向がほとんど見られませんでした。周囲への警戒が、繁殖期の音声コミュニケーションに影響する可能性が示されています。
まとめ:ニホンジカの鳴き声から生態を読み解く
ニホンジカの「フィーヨー」「ヒョーン」という鳴き声は、秋の繁殖期にオスが縄張りを主張したり、繁殖集団を維持したりする行動を理解する手掛かりです。一方、メスの接触声や警戒声にも、それぞれ異なる役割があります。
2025年の山形大学などによる研究は、ハウルとモウンの発声パターンを分析することで、繁殖集団の数や繁殖適地を把握できる可能性を示しました。さらに2026年10月の研究では、周囲への警戒が強い状況で繁殖期の鳴き声が減少することが示され、音声の記録から行動環境まで読み解く研究が進んでいます。
山で不思議な声を聞いたときは、まず季節と音の特徴に注目してみてください。鳴き声はシカの存在を知らせるだけでなく、繁殖、縄張り、仲間との接触、警戒といった目に見えにくい生態を伝える重要なサインです。最新の音響研究が進むにつれ、森の中から聞こえる一声が、野生動物の暮らしを知るための貴重な情報になっています。